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2017/07/31

漫画記 水城せとな「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

なんともすごい漫画だった。圧倒されてしまった。読み終わってから数日経っても,この漫画の内容とか恋愛に関する諸々とかがずっと頭の中をぐるぐるしていて,その後少し落ち着いたところで改めて読み返してみたのだが,またもや圧倒されてしまった。さらにまた,懲りもせずにところどころ読み返した。とりあえず,今は冷静にこの漫画を捉えられるようになったし,内容も,この漫画によってもたらされたいろんな感情も消化しつつあるのでこの記事を書き始めている。

「窮鼠はチーズの夢を見る 」「俎上の鯉は二度跳ねる」は,男性間の恋愛を描いている。同性愛者の今ヶ瀬は,大学時代の先輩の恭一(異性愛者)に,もう長いこと恋をしている。で,ひょんなことから2人は数年ぶりに再会を果たすのだが,それを機に2人の関係がじりじりと変わっていく。彼らの関係の変化を丹念に描いたのがこの2冊である。どちらも短編集の体裁だが,「窮鼠~」「俎上~」の順で2人の間の時間の流れが描かれる。

この2冊はいわゆるBL漫画なのだが,この記事を読んでくれている皆さんは,BL漫画にどんな印象を持っているのだろう。BLと聞いて引く人もいるかもしれない。私自身も言われたくないから,人の嗜好をとやかく言う気は全くないが,もし偏見だけでこの漫画を手にとることをやめてしまうとしたら,それはもったいないことかもしれない。私が思うにこの漫画の見せ場は,主人公2人の心情描写だからだ。つくづく思う。相手が同性だろうが異性だろうが,恋愛は恋愛。恋愛によって当事者たちにもたらされる感覚や感情,さまざまな変化は,多くの人が共有できる普遍的なものではないかと。
セリフがものすごく多い漫画なのだが,よくぞここまで…と思うくらいの心情描写力である。卓越してる。2人の間でなされる会話に耳を澄ませ,そのときの2人の表情やしぐさを注視し,ときおり入る互いのモノローグに読みいっていると,恋愛しているときの幸せな気持ち,ヒリヒリ感,混乱がどんどん伝わってきて,共感するしかない。でも同時に,恋愛によって表出する人間の奥底に眠っているどろっとしたもの,欲望,ずるさ,愚かさ,生々しさ,真剣さ,性,も心に身体にがしがしつきつけてくるもんだから,たった2冊の漫画を読んだだけでだいぶ疲弊してしまった。

私はこの漫画を読みながら,思い込みや固定観念を取っ払った先にある現実はどんな景色になるのかとか,素直に生きることへの葛藤とかを考えていた。私には,主人公の1人である今ヶ瀬が,表向きは大胆で策士なのに,その実臆病で,思い込みと固定観念の中で生きているように見えた。今ヶ瀬は,恭一を振り向かせるためにいろんなことを仕掛けるのだけど,最後まで踏み込むことは決してしない。しないというよりできないのだと思う。恭一に対して素直な気持ちを打ち明けても,最後の最後でごまかしてしまう。最後まで踏み込まないのは,恭一を落とすためにあえてそうしているわけではなくて,今ヶ瀬がそうだと思い込んでいる,恭一の心理状態や今ヶ瀬に対する気持ちから自らを守るためであり,異性愛者と同性愛者は違うという強固な固定観念のせいでもあり,また,恭一を同性愛の世界に引っ張り込んではいけないという今ヶ瀬の気遣い?のせいだと思われる。だから今ヶ瀬は,恭一の今ヶ瀬に対する言葉や態度を素直に受け取ることができない。もう1人の主人公である恭一は,そんな今ヶ瀬に最初から最後まで振り回される。彼の場合,今ヶ瀬の態度や言葉を素直に受け取るがゆえに振り回されているのかもしれない。恭一は,最初は異性愛者である自分が同性愛者に迫られている現実が受け止めきれずにもがく。でも,今ヶ瀬と時を重ねるにつれて,生来の流されやすい性格も相まって?,彼を受け入れるようになっていく。でもその一方で,今ヶ瀬の恭一を試すような態度とか,今ヶ瀬から伝わってくる異性愛者と同性愛者は違うんだという観念が影響し,今ヶ瀬に対する自分の気持ちに確信がもてないし,どう扱ったらいいかも分からなくなっていく。危ういバランスでつながっている2人は,互いを傷つけ合っている。物語の終着点は,カッコつきのハッピーエンドである。作者の言葉を借りれば,恭一が今ヶ瀬に対して「漢(オトコ)」を示したからである。ただ,互いに思い込みと固定観念から抜け出し,現実を受け入れ,素直に生きる勇気を持っていないのなら,また傷つけ合うしかない。そういう意味でカッコつきだと表現している。

そんなことを思えば,この2人の話はずいぶん身につまされる。思い込みや固定観念にとらわれることで,多分私は多くのことを逃してきたし,人を傷つけたこともあっただろう。私自身,他人からそう扱われることで嫌な思いをしたこともあった。素直に生きることの難しさもまたしかり。「私はあなたが好き」とか「私はこうしたい」とか,心から湧いてくるシンプルな気持ちと行動にいつの間にか余計なものがどんどんくっつき,気づくといろいろなことがたいそうややこしくなっていたりする。素直にならなかったことでどれだけ損をしただろう。そして,不快な思いを人にさせたこともあったのだろう。思い込みや固定観念はどこまで排除できるのか…,その先に現れる現実をどこまでつかみ受け止めることができるのか…,その現実でどこまで素直に生きることができるのか…,今はそんなことが頭の中を漂っている。

今ヶ瀬と恭一の恋愛物語を読んでいてもう一つ思ったことがある。もしこの話が男性同士の恋愛ではなく,男性女性のカップル間での話だったら,私は同じようにゆさぶられたり,感情移入したり,何度も読み返したりしたのだろうか?ということだ。今ヶ瀬がもし女性だったらと考えると,私は今ヶ瀬をただのうざい女性として処理し,愛しさみたいなものを感じることはなかったのではないかと思う。この漫画を読むのと前後して他のBL漫画もいくつか読んでいるのだが,少女漫画や女性向け漫画を読んでいるときとは異なる感情が流れてくるのを感じている。それがなんなのかまだうまく説明できないのだが,整理ができたらブログに書くかもしれない。

というわけで,今ヶ瀬と恭一の恋愛物語,とてもとてもおすすめである。

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