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2014/09/25

振り付けを覚えよう企画

ここのところ約3週間ほど、ももいろクローバーZの振り付け10曲マスター企画を個人的に行っていた。1曲につき9割程度完成したら次の曲に進む、ということにして、10曲(行くぜっ!怪盗少女 走れ! みてみて☆こっちっち サラバ、愛しき悲しみたちよ コノウタ 猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」 Chai Maxx ももいろパンチ 全力少女 ココ☆ナツ)を覚えた。その振り返りをちょこっと書いておこうと思う。

そもそも私はダンスが苦手だ。小さい頃から運動は苦手、昔行ったクラブでは音楽に合わせて踊れない、テレビで踊っているアイドルを見ながら踊ろうにも手と足が思うように動かない、などの経験から、ダンスへの苦手意識がある。諸事情あってこの企画をすることになり、最初は嫌な気持ちでいっぱいだったが、ダイエットにもなるだろう、とポジティブに捉えて始めてみた。

まずは曲の選定である。ダンスへの苦手意識が強い私にとって、曲の選定は極めて重要である。ももクロの曲は数曲知っているが、振り付けをちゃんと見たことは一度もない。とりあえず、①振り付けが見やすい映像がある、②難しくなさそう、③曲の長さが短い、にあてはまる曲を探そうと、YouTubeでいろんな曲を見て10曲を選んだ。

続いて、どうやって振り付けを覚えるか。振り付けが分かりやすい映像を再生して、一緒に踊りながら覚えていく。YouTube上には、一般の人が振り付けを覚えて踊っている映像が多くupされており、ももクロ本人の映像を見るより、こちらのほうが数倍分かりやすい。定点から撮った、全身が映っている映像がほとんどだからだ。
効率よく覚えられる方法を探した結果、①映像を数回見て歌と振り付けのイメージをつかむ、②数回映像に合わせて踊ってみる(最初から最後まで)、③映像を0.5倍速にして映像に合わせて踊る(最初から最後まで)、④1番、2番、などに区切って何回か練習し振り付けを覚える。(分かりにくいところを何度も再生しながら踊る)、⑤映像を1倍速に戻して踊る、⑥体の動きが音楽に合うようになるまで繰り返し踊る、⑦翌日復習する、というのがよかったと思う。

振り付けを練習していて感じたのは、スロー映像で繰り返し振り付けを観察していると、1倍速で見ているときには速くてどう動いているのか分からなかった動きも、単純な動きの繰り返しや組み合わせでできている、ということだ。さらにサビ、メロなど曲の部分によっては重複する動きがある。これを理解し、いくつかの単純な動きがマスターできると、ダンスが楽しくなってきた。また、ダンスの振り付けにはムダな動きがない。例えば体を回転するときには、回転する直前の足の向きや位置に合わせて無理のない方向に回転となる。どちらも、考えてみれば当たり前すぎるほどに当たり前。でも、やってみて初めて気づいたし、ダンスへのハードルが少し下がった。
とはいえ、やっぱりアイドルはすごい。キレのある動きを音楽に合わせて、しかも歌いながら完璧に踊るのは相当練習が必要だと思う。

ダンスは、今までダイエット目的でやったことのあるジョギングや水泳、ピラティスよりも消費カロリーが大きい気がする。ももクロの振り付けだから、という理由もあると思うが…。

最後に、練習した中でいちばん短い、踊りやすい曲をポスト。


追記:AKB48の恋するフォーチュンクッキーもクリア!

2014/09/17

好奇心の源泉

先日、幕張メッセで開催されている「宇宙博2014」(http://www.space-expo2014.jp/)に行ってきた。会場にはNASAとJAXAから来た展示品の数々。これまでの、アメリカ・ソ連・日本の宇宙開発の歴史を垣間見ることができた。展示品の中に、日本人として初めてコマンダーを務め今春に帰還した宇宙飛行士・若田光一さんからのメッセージがあった。宇宙に憧れる子どもたちに向けたメッセージだ。若田さんがメッセージの中で強調していたのは、「好奇心を大切に、目標をはっきり持ち、目標に向かってあきらめることなく一歩一歩努力していく」ということ。宇宙に関わる仕事をするためのアドバイスである。

宇宙に関わる仕事でなくとも、何かを成し遂げるためには、若田さんのアドバイスは全くもってその通りである。しかし、一体どれくらいの人が若田さんのアドバイスを遂行することができるのだろう。多くの人は成し遂げる前に途中であきらめる。時間がない、私にはできないなど、あきらめる理由はいろいろあるだろうが、結局のところ根源にあるのは、その成し遂げたいことに対する興味(好奇心)が少ない、ということだと思う。人間はしたいことをする。興味があることは、好きなこと/したいことなのでそれをするのは問題ない。反対に、嫌いなこと/したくないことは興味がないことである。たとえ興味があったとしても、興味の度合いはそれほど高くないか、心の底から湧いてきたという興味、好奇心ではない。利害などから発生した興味、好奇心である。だから途中でやめることが可能なのだ。

強い好奇心、興味はどうやったら生まれるのだろう。私は好奇心は「偶然の産物」だと思う。好奇心が生まれる、ということはその対象に接することがまず前提としてある。その対象に接するかどうかは恣意的であり、偶然の出来事だ。また、その対象に対して強い好奇心が生まれるかどうかも偶然である。才能ともいえる。そう考えると、何かに対して強い好奇心を持つというのはけっこう難しい。一時的に何かに好奇心を持つことは簡単だが、何かを成し遂げるほどに継続する好奇心は素質、環境、運が揃っていないと生じるものではないように感じる。ましてや、私を含め、年を重ねてたくさんの経験をし、感度が鈍くなった人たちにはなおさらだ。

強い好奇心は、何かを成し遂げるということを無理なく行わせる。強い好奇心がない場合、ある場合よりも、何かを成し遂げるには負荷がかかることになる。好奇心は持とうと思ってすぐ持てるものではないから、持てないことをぐだぐだ言っていても仕方がない。その時に好奇心の代わりをしてくれるのは、あきらめと忍耐だと思う。あきらめは、その成し遂げたいこと以外を捨てること。忍耐は、それを成し遂げるために必要なステップをやり続けること。やってるうちに楽しいことや喜びもあれば、つまらないことや挫折もあるだろうし、成し遂げたいことが成し遂げられるかも分からない。それでもひたすら続ける忍耐力である。

2014/09/03

本レビュー エレーヌ・フォックス「脳科学は人格を変えられるか?」

今夏出版された、「脳科学は人格を変えられるか?」エレーヌ・フォックス著
(原題:Rainy Brain, Sunny Brain The New Science of Optimism and Pessimism)を読んだ。楽天主義者と悲観主義者の脳の特徴と、脳の可塑性について、さまざまな実験や調査、脳の画像の観察をもとに論じている。本の内容を踏まえて、原題とはかけ離れたやや商売っ気を感じる邦題の問いに答えるなら、答えはYESだ。人格は固定したものではなく変化する。そして、脳に関する知見を応用すれば、人格を意図的に変化させることも可能である。
著者はまず、人間の脳内にある2つの回路(機能)Rainy BrainとSunny Brainを説明する。Rainy Brainとはネガティブな心の動きを司る回路のことで、Sunny Brainはポジティブな心の動きを司る回路のことだ。Rainy Brainの中心は、扁桃体と前頭前野を結ぶ回路である。扁桃体は恐怖に反応し、恐怖から身を守るための指令を出す所だ。扁桃体が恐怖に反応したあと、前頭前野はその恐怖を恐るるに値するものか判断する。扁桃体→前頭前野の経路数が前頭前野→扁桃体の経路数よりも多いと、恐怖に飲み込まれやすいという。一方、Sunny Brainの中心は、側坐核と前頭前野を結ぶ回路である。側坐核は快楽に反応する。側坐核は刺激を受けると、神経伝達物質ドーパミンとオピオイドが分泌され、より快楽を欲するようになる。前頭前野は、快楽追求に歯止めをかける役割を担っている。
人間はこの両方の回路を持っている。しかし人によって、どちらがどの程度活発に働くかは異なる。この2つの回路の働きがものを認識するためのフレームを作り、ひいてはそれが人格になっていくという。Rainy BrainとSunny Brainの働きに関わるのは、遺伝子と環境である。それぞれの回路に特有の遺伝子があるかないかは定かではない。しかし関係があるものとして、例えばセロトニン運搬遺伝子は発現量が低いと、発現量が高い人よりも周りの環境に影響されたり反応したりしやすい。つまりネガティブなことにもポジティブなことにも敏感に反応する傾向があるという。しかし遺伝子の機能は固定化されたものではない。遺伝子は、自身の発現の有無や程度について環境から影響を受けるのだ。これはエピジェネティクスと呼ばれている。
この、人格形成に関わるRainy BrainとSunny Brainの働きは変化させることができる。脳内の神経細胞同士のつながりは、人間の環境に対する反応によって消えたり組み替えられたり生まれたりする。また神経細胞は年をとっても新生する。つまり、環境に対する自身の反応を意図的に変化させることによって脳内のつながりが変化し、ひいては人格変容へとつながる、ということである。

人格形成については前から興味があった。おそらく発端は自分についての謎である。なぜ私はこう思い、こう感じ、こういう行動をとるのか、そしてそれらを他人と比較したとき、同じものを見ているはずなのになぜこうも違うのか、こんなことから人格形成について興味を持った。私の人格を作っているものは何なのか、と。それもあってか、人格形成について述べられたこの本はおもしろかった。Rainy BrainとSunny Brainはおそらく、進化の過程で生まれてきた、人間の精神の働きの根本的なものである。これらの機能が人格の根幹を成しているという説は納得のいくものである。
しかし今回、人格形成についてはまだ分からないことだらけ、ということを改めて認識させられることとなった。楽観主義者と悲観主義者の脳で起こっている現象についての言及はなされているが、その現象の起きるメカニズムの詳細は触れられていない。私も、遺伝子と環境が人格を形成すると考えているが、遺伝子と環境の絡み合いは常に流動的で複雑すぎる。このメカニズムが解ける日は来るのか…。

2014/08/30

話がみえなくて

言葉とは、人が何らかの情報を相手に伝えるための道具である。情報は物質的なモノから非物質的なことまで幅は広い。物質的なモノを表すために使われる際(例えば物の名前などを表す際)、言葉で伝えるのは比較的易しい。同じ時代に同じ文化を共有している同士なら、互いにその言葉が何を表しているかの共通認識が存在しているので、誤解が生じることは少ないと思われる。しかし、観念や感情などの非物質的なこととなると、伝える―理解する、の難易度が高くなる。たしかに、言葉を使えば考えていることや感じていることの大体は誰かに伝えることができるし、誰かが何を考え感じているかを知ることもできる。しかしここで大事なことは、自分がある観念を表すのに使っている言葉と、相手がある観念を表すのに使っている言葉が一致していることである。互いの観念が同じようなもの、少なくとも似ているものでない限り、同じ言葉を使っても通じ合わずに終わるのだ。誰かに何かを伝えようとしたけど、理解してもらえなかった―こんな話は誰と話をしていても起こる。そして本を読んでいる時にも起こる。

本を読んでいると、知っているはずの言葉の入った文章を読み進めているのにもかかわらず、だんだん話が見えなくなっていくことがある。特に、心理学や哲学関連の本を読んでいるとき。読み進めるのをやめて、ちょっと前に戻ってゆっくり読んでいくと、高確率で見つかるのが非物質的な概念や抽象的な概念を表すための言葉である。意識、精神、理性などなど…このような言葉は日頃耳にするしなんとなくのイメージしか自分の中になく、定義を説明できるのかと言われると怪しい。で、辞書で調べてみると、またしても出てくる抽象的な言葉。さらに調べ、読み進めると今度は複数の解釈が出てくる。この時代は○○という意味で使っていた、この学派は〇〇という意味で使っているなどなど。さらに別の辞書を使うとまた違った解釈が出てくる。つまり人による、時代による、定義や解釈の揺れがあり、完全無欠の定義はないのである。なので結局、作者の生きた時代背景を推測しつつ、その言葉の意味を検証しつつまた本を読み進めるしかない。読み続けていると、作者の言わんとしているニュアンスが解けるときもあるし、そのまま解けずに終わることもある。

言葉に完璧な定義はない。そんな中私がすることは、複数の解釈を咀嚼し、その言葉に対する自分の解釈、ニュアンスをはっきりさせておくことである。解釈を咀嚼することでその言葉が社会でどう使われているのかを知り、その言葉と自分の中にある観念を結ぶ。その作業は誰かがその言葉に込めたニュアンスを理解するうえでも、自分の伝えたいことが意図している通りに他の誰かに伝わるためにも役に立つと思う。

2014/08/24

心理学はどこへ行くのか

心理学の全体を俯瞰するのに始めたエントリーもいよいよ終盤。ここまで心理学の起源と心理学における研究領域をいくつか紹介してきたが、最後に最近の心理学についてまとめておこうと思う。
まず今更ながら一つ付け加えておくと、心理学は大分類として基礎心理学と応用心理学に分けることができる。基礎心理学は主に人間の心理について、一般的な法則を見つけようとする分野である。前回記載した、臨床心理学を除く○○心理学(発達、人格、社会、認知)は基礎心理学に位置づけられている。応用心理学は、基礎心理学で明らかになった知見をもとに実際の現場、社会に活かしていこうとする領域である。その代表的なものが臨床心理学だ。臨床心理学は主に、精神に不健康をきたしている人たちの精神を理解し、必要とあらば治療して望ましい方向へ持っていく、ということをしている。現在も引き続きさかんに研究がなされているが、ここ数十年間で、不健康な人以外をもターゲットとする、健康増進のための、より精神的に充実した生活を送るための心理学が登場した。健康心理学とポジティブ心理学である。

健康心理学は1978年頃、アメリカでスタートした。精神の不健康だけでなく、身体の健康や疾病に関わる心理を研究する分野だ。例えばフリードマンの「タイプA」理論。心臓疾患を患った人を調べると性格や行動に一定の傾向が導き出せたことから、この傾向をタイプAとし、心臓疾患にかかりやすい人たちの特徴的な傾向とした。タイプAには競争的、野心家、攻撃的、いらつきやすいなどの傾向が含まれる。また、ストレスもこの分野でメジャーな研究テーマの1つである。ストレスがたまる=病気になりやすい、は長年言われ続けてきたことだ。しかし健康心理学者のマクゴニガルは、ストレスの捉え方を変えればストレスは健康のための味方になると主張する。人間は普通、ストレスを感じると、心臓が高鳴り、血管が収縮(心臓病の原因とされているものの1つ)し、呼吸が早くなり、汗が出るなどの身体症状が現れる。しかし実験によって、ストレスを有用なものと捉えた人は、心臓が高なるものの、血管の収縮は起きなかったという。そしてこれは、喜びや勇気を感じているときの身体の状態と同じだそうである。また、ストレスを有効なものと捉えるための根拠としてオキシトシンを提示する。人間はストレスを感じるとオキシトシンを分泌する。オキシトシンは他の人と親密な関係を求めるようになるほか、血管を弛緩状態に保ったり、心臓細胞の再生を促したりと、ストレスから回復するための機能も持ち合わせているという。

ポジティブ心理学もやはりアメリカで、1998年頃からスタートした。一言でいうと、どうしたらより幸福な生活を送ることができるかを研究する分野である。この分野の代表的な心理学者はチクセントミハイである。彼は様々な職業や民族の人にインタビューし、彼ら、彼女らがどういうときに幸せを感じるか、そしてそのとき彼ら、彼女らはどんな状態なのかを調べた。チクセントミハイは、人はフロー状態にいるとき、幸せを感じているとした。フロー状態にはいくつかの要素がある。それは「、達成できる見通しのある課題に取り組んでいる、自分のしていることに集中している、行われている作業には明瞭な目標があり、フィードバックされる、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、無理のない没入状態で行為が行われている、自分の行為を統制しているという感覚、フロー後、自己感覚はより強く現れる、時間の経過の感覚の変化、である。(一部引用:http://goo.gl/UgM81e)この他、フローに入りやすい/入りにくい性格傾向、環境なども指摘している。

最近の心理学でにおけるもう1つの潮流は進化心理学である。人間の心の働きの基本を、進化によって環境に適応的に形成された情報処理、意志決定システムから成り立つものとして捉える立場だ。つまり、人間の心や行動、そしてそれを生み出す脳を進化の産物とし、状態や変化の動因を適応に帰結する。動物において研究がなされている性淘汰理論(異性獲得競争を通じておきる進化)や互恵的利他行動(即座の見返りがなくとも、あとの見返りを期待して他の利益になることを行うこと)などを人間の行動や心理にもあてはめて考えていく。

数回に分けて心理学の歩みをざっくり振り返ってきた。ではこれから心理学はどこへ向かっていくのか。これまでの心理学は、人間の心的過程はどうなっているのか、何が起こっているのかという、現象を解くということが多くなされてきたと思う。ヴントの内観法や行動主義、認知心理学、社会心理学、発達心理学でなされてきた実験やモデルづくりに見ることができると思う。その一方で、なぜその現象や行動が起こっているのか、という議論もなされてきた。これは精神分析からの潮流に顕著に見ることができる。これらの、これまでなされてきた理由付けは、思弁的なものが中心だった。つまり、心理学者が現象や実験結果を元に、なぜそれが起こるのかを論理的な形で考えていった結果としての説、ということだ。しかし、昨今の心理学はより実証ベースでの理由づけをしていく傾向があるように感じる。なぜそうなるのかを、目に見えるものを使って1つ1つ裏付けしていくということだ。それは、神経科学や生物学の知見がどんどん明らかになってきていることが大きく影響している。デカルトが提唱した心身二元論は今では廃れ気味で、精神を脳の活動と捉える見方が優勢だ。しかし、脳、神経ネットワークの仕組みや遺伝子の仕組みの解明はまだ始まったばかりである。しかもどちらも複雑な仕組みであり、完全な解明ができるのかも分からない。しかし、解明作業は進められており、心理学に神経科学や生物学の知見を取り入れ、現象を説明することは今後も続いていくと思う。心理学は自然科学の系譜を受け継いでおり、精神と脳は切り離せなくなっているからである。

2014/08/21

○○心理学の台頭


前回のエントリで初期の心理学についてまとめたが、今日でも心理学のメジャー分野として名を馳せているいくつかの分野が20世紀に次々と起こる。

まずは発達心理学。発達心理学はその名の通り、人間の、生まれてから死ぬまでの発達をテーマとする。学校教育の普及や教育哲学からの流れで児童に興味が持たれるようになったのを背景に、発達心理学は児童心理学からスタートした。例えば1930年代ごろから活躍したピアジェは、「私たちはどのようにして身の回りの世界に対する認識や理解を獲得するのか?」という問題提起から実験を行い、子供の認知の発達には段階(感覚運動―前操作―具体的操作―形式的操作)があることを示す。行われた実験には例えば、保存課題(容器に入った液体を異なる形の容器に移し、見た目が変わっても量が等しいことを判断できるかを調べる)などがある。認知の発達は子供と環境の相互作用によってなされるとし、子供は自己中心性→社会性を得る、という社会化のプロセスを発達とみた。一方、ヴィゴツキーは別の発達理論を提唱した。ヴィゴツキーの考えはピアジェとは逆で、自己の発達は、人びととの関係の中に自己が現れることから始まり、のちに自分自身の心理内に自己が組織化されるとした。
ボウルヴィーが展開した愛着理論(1958-60ごろ)も有名である。母と子の結びつきの強さは母が子の生理的欲求に応える機会が多いから、という従来の説を覆し、母と子の間には情緒的な結びつきがあるとした。ハーローによるサルを使った代理母実験(ミルクを与える針金の母とミルクの出ない布でできた母のどちらと子ザルはいたがるか)でも母親が愛着の対象であり、安全基地として機能しているという結果が見られる。前述した、人間の発達理論を作ったエリクソンも発達心理学領域で活躍した人である。

続いて人間の個人差を測ることに関わる差異心理学。ここには知能検査などの開発や研究、人間の性格について研究する人格心理学が含まれる。例えばフランスのビネは自分の子を観察し、シモンと、子供の知的活動を総合的に測るためのビネ―シモン式知能検査を1905年に開発した。知能検査はウェクスラーによって成人版(ウェクスラー成人知能検査WAIS)も1955年に開発された。人格にまつわる説は古代ギリシャの頃からあった。例えばガレノスは、ヒポクラテスの唱えた4つの体液(血液、粘液、黄胆液、黒胆液)が気質を支配しているとした。19世紀になると、クレッチマーが体格ごとに特徴的な気質(躁うつ気質、分裂気質、粘着気質)があるという理論を唱えた。また前述したユングは、人間の態度を関心が自分に向く内向と、関心が外界に向く外向に分け、さらに自分と環境を関係づける方法として思考―感情、感覚―直観の4つの心理機能を提示した。これらは「類型論」と呼ばれている。つまり、型が存在しており、そこに人間をあてはめていくやり方だ。そんな類型論に異議を唱えたオルポートは「特性論」を元に人間の性格を定義しようとした。個人を、様々な特性が結合した状態ととらえる見方だ。
ちなみにアメリカでは戦争中、知能検査や性格検査が軍隊で取り入れられ、軍人の戦闘、軍生活に対する態度や行動、リーダーシップ、神経症症状等の傾向を調べるのに使われたようだ。

次は社会心理学。扱うテーマは幅広い。ざっくりまとめると、社会における個人の行動や相互作用、集団の行動、心理がメインである。実験を行うことも多い。社会心理学は、フランスで当時行われていた群衆や模倣の研究(社会学)や、19世紀末~20世紀前後にかけて展開されていた2つの自己の考え(主体性の根拠となる自我、他者の態度や役割によって社会化された客我)の影響を受け、1930年頃から始まった。レヴィンは1940年頃、「グループ・ダイナミクス」という考えを提唱する。これは、集団内における個人は、その集団のもつ性質やどんな成員がいるかによって影響を受ける、というものだ。第二次世界大戦後には前述した行動主義も廃れてきており、社会環境が個人に影響をもたらすという考えが行動主義に変わるアプローチとされ支持を得た。アッシュの印象形成における初頭効果(最初の印象が残る)、ハイダーやケリーの帰属理論(身の回りに起こった出来事や、自己/他者の行動に対して、どこに原因があると推察するか)などがある。また、1960年代になると、権威に対して人は自身の道徳観を無視するということがわかったミルグラムの実験や、一般の人が看守役と囚人役に無作為に分れられて刑務所内で生活するうちに互いにどんな変化が現れるのかを実験した、ジンバルドーのスタンフォード監獄実験(http://www.prisonexp.org/)が行われた。スタンフォード監獄実験は、映画「es」の題材にもなっている。

認知心理学も忘れてはならない。認知心理学が扱うのは、注意や知覚、記憶、忘却、言語の産出、問題解決や意思決定などの仕組み、意識などである。コンピュータや人工知能の技術が発展したことに影響を受けて1950年代からスタートした。脳を情報処理装置とみなし、コンピュータの情報処理過程のモデルを適用するなどして人間の認知過程を明らかにしていく。初期の認知心理学の代表的な人物は、人間が一度に記憶できるのは7つまでの情報の塊であると発表したミラーや、人間の知覚に及ぼす人格要因や社会的要因の影響も示したブルーナーなどである。目撃証言記憶の曖昧さを明らかにしたロフタスも認知心理学者である。ロフタスはいくつかの実験を行った。例えば、模擬事故の現場を被験者に見せ、そのあとで、2台の車が衝突している/どんと突き当たった/接触した/ぶつかった/ときどれくらいのスピードで走ってましたか?と聞くと被験者は、衝突したときと質問された時に、より速いスピードで走っていたと答えた。また、事故で窓ガラスは割れていなかったのにもかかわらず、衝突したときと質問されると割れていると答える人が増えたという。
ヒューリスティック、バイアスの概念も認知心理学の分野である。ヒューリスティックとは簡単にいえば経験則のことで、人が問題解決や何らか意志決定を行う際に時間や手間を省けるような手続き・方法である。しかし経験則はいつも有効であるとは限らず、経験則のせいで物事を偏って認識する(認知バイアス)という事態が生じることもある。ある側面で望ましい特徴のある人間に対して、全体評価を高くする傾向があることも、ハーロー効果と呼ばれるバイアスの1つである。

最後に臨床心理学をちょこっと。臨床心理学は、精神に不健康をきたしている人間を対象とし、カウンセリングや心理療法などの治療行為もこの領域に含まれる。臨床心理学分野では1960年代、人間性心理学とよばれる心理学が起こった。行動主義や精神分析に対するアンチテーゼとして、このころの哲学の実存主義(個別、主体的な存在として人間を捉える)からの影響を受けた。マズローは、自己実現を目指す5段階の欲求階層説を唱えた。またロジャースは、人間には外部から自由になり自律性に向かう傾向が内在しているとし、指示的・分析的な精神分析とは対をなす、クライアント中心療法(指示を与えず、患者の体験に心を寄せて尊重し、患者の本来の力を発揮させて問題の解決を促す)を始めた。また認知心理学を治療に応用した認知行動療法(物事の捉え方を修正していき、行動を変容させる)も、1967年、ベックによって提示された。