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2014/08/20

心理学はどこから来たのか 続き

心理学が成立したころ、ドイツではヴントによる生理学から派生した心理学が、アメリカでは、ジェームズの機能的心理学やワトソンに象徴される行動主義が、オーストリアではフロイトによる精神分析が勃興していた。

ヴントの心理学はティチナーの唱えた構成心理学へと受け継がれた。ティチナーは要素還元主義の立場だ。意識(つまり、私たちが心の現象として経験していること、私たちが私たちの経験だと感じることのできるもの)を最も単純な要素に還元し、その要素が互いに連合する法則を見つける、そしてその意識過程と神経過程の相関を見つけて、意識が起こる原因を探ろうと、というものだ。しかし1910年頃、要素還元の立場に異を唱えたゲシュタルト心理学が起こる。要素に還元せず、統合された全体をそのまま捉える、というアプローチだ。ゲシュタルト心理学は人間の知覚研究から始まった。実際には動いていないのに動いて見える仮現運動の現象など、刺激と感覚の一対一対応では説明がつかないことが起こっていたからだ。その後、人には視覚刺激を単純明快な方向に向かって知覚する傾向がある、視野の中で近くに配置されているもの同士はひとまとまりとして知覚されやすい、性質の違う刺激があるとき、他の条件が等しければ、似ている性質のものがまとまって知覚されやすい、といった近くの諸理論も生まれる。

ワトソンの呈示した行動主義は1930年代になると新行動主義へと変化する。手続きや設定を詳細にした実験を行い、心的過程の理論を作る動きが生まれた。例えば、トールマンはラットを使った迷路箱実験を行い、ラットが経験から学習することを提示、体験―行動間に期待や仮説、信念、認知地図などといった媒介変数を導入して、心的過程の理論化を試みた。スキナーはラットを使った実験を通して、学習には「強化」が必要(強化随伴性)だと述べた。スキナーは、状況、行動、その結果が次の行動の生起にどう関係しているか、に注目、状況を変えれば行動は変化するとし、環境主義の立場をとった。

フロイトの理論は形を変えてユングやアドラー、娘のアンナ・フロイトなどに受け継がれていった。フロイトの、人間の心を無意識の中の性的欲動を中心に考える論理に賛同しなかったのはユングは、独自に分析心理学を打ち立てた。心の構造を意識―無意識とし、無意識には個人的無意識と集合的無意識があるとした。個人的無意識には、かつては意識化されていたものが抑圧、忘却されたものやコンプレックス(自我をおびやかす心的内容が一定の情動を中心に絡み合っているもの)を含む。集合的無意識には人類共通の心の基盤となっているもの(大母、老賢人、影など)が含まれる。集合的無意識は夢や神話、幻覚などに現れる。
アドラーは個人心理学を打ちたて、劣等感の概念を中心に人間の心理や行動を解こうとした。人はそれぞれ他人より劣ったものをもち、その弱さ、劣等感を補償するためにより強く完全になろうとする意志(権力への意志)をもつという。
アンナ・フロイトは自我心理学を展開した。自我を、エスにおける心的葛藤を統制するだけでなく自律性や適応機能を備えたものとし、自我を育てることを提示した。人間の発達には段階があり、各段階ごとに提示される課題を解決しながら人間は発達していくとしたエリクソンも自我の重要性を強調した新フロイト派の1人である。

2014/08/17

心理学はどこから来たのか

心理学は守備範囲が広い。世の中にたくさんある「○○心理学」は、それぞれ似ているようでちょっとずつ違う。数年間心理学を学んできたが、私の中ではどうも「○○心理学」の諸理論が断片的に入っているだけで体系だっていない。そこで、心理学はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、を何回かに分けてちょっとまとめておこうと思う。

心理学とは、心(精神)の営みとそれに基づく行動を研究する学問である。心理学の成立は1879年と言われている。場所はドイツ。医学と生理学を学んだヴントは、自身が教鞭をとるライプツィヒ大学に「心理学実験室」をつくり、ゼミナールを始めたときだ。ヴントが興味を持ったのは、「人間は外部からの刺激をどう認識するのか」ということ。ヴントはそれを実験によって観察し、分析しようとした。人間に外部から刺激を与え、外に出る反応を計測し、そのとき被験者がどんなことを感じたかを語ってもらう「内観法」という手法で解こうとした。ヴントは、刺激―反応という認知体系を統括するものとして、「統覚」という心的過程(つまり意識)を考えていた。
ヴントの始めた心理学は生理学から派生したものだ。ルネサンス以降、人間や動物の解剖が行われるようになり、生物学や医学が発達した。ドイツでは19世紀、医学・生理学の研究がさかんに行われていたという背景がある。

一方で心理学は哲学の土壌で育ってきたものでもある。医学・生理学分野からよりも、哲学からの系譜のほうが歴史が長い。古代ギリシアでは、アリストテレスが「霊魂論」の中で霊魂の性質や機能を明らかにしようとし、中世時代にはデカルトを始めとして、「認識」についてさかんに議論されるようになる。哲学において投げかけられた心に関する問いや説は、未だにはっきりと解明されていないものが多々ある。例えば「心とはなにか」「心はどこにあるのか」などの、心そのものに関する問い。現在でも心の哲学とよばれる哲学分野で議論されている。また、17世紀頃から西洋哲学で起こった、合理主義VS経験主義は心理学でも展開され、生まれか育ちか論争(人間の性格は生得的なものなのか、経験によるものなのか)も未だに続いている。

心理学に話を戻そう。ドイツで心理学が始まったころ、アメリカでも人間の意識に関する研究が始まっていた。ジェームズは、1890年に「心理学原理」を発表、意識を環境に適応する手段の一つと捉え、その目的や効用を明らかにする機能的心理学を提唱した。扱うのは、習慣や注意、記憶などの現象。機能的心理学は、ダーウィンの進化論の影響を受けている。アメリカでは、ドイツで見られるような実験を使ったアプローチではなく、理論的アプローチがとられていた。
機能的心理学はワトソンによって、行動主義へと移行する。ワトソンは意識とそれに伴う主観的言語を排除して、行動から心理学を研究する立場をうちたてる。ワトソンの提示した行動主義の代表的な特徴は、S-R主義、環境主義である。人間の内部で行われる心的過程を排除し、刺激と反応の結びつきにすべてを還元する。また、生後11ヵ月のアルバート坊やに実験によって恐怖反応の条件付けを行い、本能でさえも後天的に条件付けられた反応であるとした。

初期の心理学でもう1つ忘れてはならないのが精神分析の系譜である。19世紀末~20世紀にかけて、オーストリアの医師フロイトが始めた。フロイトによって「無意識」の概念が生み出される。自身によって意識されない領域にこそ、神経症患者の行動のキーがあると考えた フロイトは患者に自由に話してもらう自由連想法を通じて患者の無意識に近づき、無意識に抑圧された記憶(性的幻想を含む)を患者が自覚し、言語化されることで病気が改善すると考えた。フロイトは心は、超自我(良心、道徳的禁止機能)―自我(心的葛藤の統制)―エス(本能的欲望)から成るとした。

生理学からの、刺激に対する反応とその心的過程を捉えるというアプローチ、客観性を重視した行動主義、心を病んだ人を治療することから始まり、心の構造を理論化した精神分析、これらが心理学成立期における心理学の潮流である。

2014/08/06

微分の歴史

「オイラーの贈物―人類の至宝eiπ=-1を学ぶ」(吉田武著、東海大学出版会、2010)という本を使うゼミに参加した。本の内容を紹介すると、オイラーの公式「ecosθisinθ」を導くことを目標に、関連する数学を解説していくというもの。参加者は、本の章立て(微分、積分、三角関数などの数学の分野名になっている)に沿って発表をしていく。

私は微分を担当した。微分は高校時代に得意だったから選択した。微分ってどういうことだろう?といろいろ調べていくうちに、微分っていつできたんだ?と歴史が気になってきた。

微分は、アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツによって成立した。彼らは同時期にそれぞれ別のアプローチで接線問題や求積問題に取り組み、微積分学の基本定理(微分と積分は逆の関係にある)を発見した。ニュートンは微積分学の基本定理を1666年に発見、1704年に発表し、ライプニッツは1684年に発表した。
時系列で見ると、ニュートンによる微分の発見と発表の間にライプニッツの発表が入っているため、どちらが微分を先に発見したのかで一悶着あったようである…

微分の概念は「接線」の概念から生まれたものだ。古代ギリシャの時代には既に接線の概念が存在していた。ユークリッドの幾何学を中心とした当時の数学において接線は、「円と1点のみを共有する直線」と定義された。しかし、接線についての本格的な議論は長い間なされず、時代は中世に。
数学において中世の最大の出来事の1つは、デカルトによる座標の発明だ。座標によって幾何学と代数学が結びついた。定規やコンパスで書かれていた直線や曲線は、座標や代数の概念を使ってより厳密かつ正確に示すことができるようになった。そして、接線は注目を集めるようになる。
デカルトやフェルマーなどの数学者が、曲線に接線を引く方法(「接線問題」)の解決を目指した。デカルトは、方程式を使って楕円上の1点における法線を導き、接線を求めた(1637年)。フェルマーは矩形の面積を題材に、無限小の概念(無限小数e)を取り入れた極値決定法を考え、その方法を利用して接線を引いた(1638年)。しかしどちらも、平面上のどんな曲線にも接線が引ける方法とは言えなかった。

接線問題を解決に導いたのはニュートンだ。ニュートンは、曲線や直線は小さな点が時間の経過とともに動いた軌跡である、という考えのもと、動点の進行方向である接線の傾きを計算する方法を考案した。無限小の時間を表すο(オミクロン)という記を取り入れ、動点がx軸方向に進む距離をxο、y軸方向に進む距離をyοとし、これらの値を曲線の式に代入して、最後にοを含む項を捨てる。この方法は「流率法」と呼ばれている。
一方ライプニッツは、今日の微分で使用されている、dxdyなどの記号を生み、曲線と曲線上のある点における接線と垂線、軸で作られる三角形の辺の比を、微小な三角形の辺の比と等しくなるようにする、という考えから傾きを求めた。また、定数の微分や加減乗除の公式を発表した。

ニュートンとライプニッツによって提示された微分は、「無限小」の概念が十分に論理付けされていなかったため、今日のような厳密さが欠けていた。しかし、微分の概念は、力学や天文学など数学を用いる諸科学分野で応用可能、かつ実用的であったため、複数の科学者によって普及していった。微分概念の普及や発展に貢献した数学者は、ベルヌーイやロピタル、オイラー、ラグランジュ、ラプラスなどである。

微分学が厳密性を伴うようになったのは、19世紀に入ってからだ。仏の数学者コーシーは、1821年に発表した「解析教程」で「極限」や「無限小」、「連続関数」の概念を定義し、解析学の基礎を刷新し、その後デーデキントやカントールによる実数論などを経て、今日の微分の基礎が完成した。

正直、上記した各数学者の考えた理論を完全に理解したとは言えないのだが、微分成立の歴史をざっくりまとめるとこんな感じになる。時の中で1つ1つ論理性に欠けるところをつぶし、普遍的に成り立つものへと発展していく過程が見て取れる。
今あるものは、たくさんの人の積み重ねによって出来上がったもの。数学に限った話ではない。他の学問だって、お店に売ってる商品だって、人間だってそう。

2014/08/04

ドイツ語学習での覚書

この4月からドイツ語を習い始めた。週3回、各90分の授業。授業はそれぞれ「文法」「会話」「読解」に重点を置く、という形でドイツ文学やオーストリア文学が専門の3人の先生から習っている。

ドイツ語は興味があったわけでもなく、ドイツ語を話す知り合いや友達がいるわけでもなく、触れる機会といったら、たまーにドイツ映画を観るくらい、といった程度。完全な初学者で、習い始めてから2ヵ月くらいはドイツ語の仕組みがいまいち把握できず、英語の仕組みともごっちゃになり、予習や宿題が億劫で仕方がなかった。しかし、続けてみると慣れるもので今ではそこそこ楽しくなってきている。

この数ヵ月間のドイツ語学習を振り返ってみると、ドイツ語の理解が進むきっかけがあったように思う。

1つめは、音とそれに対応する文字が頭の中で一致し始めたことだ。これは、単語を見てその単語を発音できる、または、単語を聞いてその単語を文字に起こすことができる、ということである。
そういえば語学の教科書を見てみると、その言語に使われる文字とその発音がまとまっている表や、発音のルールが一番最初のセクションに載っているものは多い。今まで特に意識したことがなかったが、音と文字の対応というのはけっこう重要なのかもしれない。
実際これがある程度できると、音と文字の関連付けがあやふやなときより、単語が記憶に残りやすく、意味も覚えやすい。単語の音だけを覚えようとしても、似ている音を混同して間違って覚えていたりすることがある。単語のスペルだけを覚えるにしても、記号にすぎない文字の並びを写真のようにそのまま再現するのは単語数が増えるほど厳しくなる。しかし、音と文字が対応すると、頭の中で単語の外観のようなものが正しく確立される。そして、その単語が表しているイメージや観念(単語の意味)がそこに入り込み、1つの単語が完成する。
もちろん、いくら単語の音と文字で外観を支えても、時間とともに中身の意味がすっかり抜け落ちるいうのは避けられないので、要反復練習になるわけだが…

2つめは、文の構造を捉えられるようになったことである。文を単語もしくは句レベルに分解して、単語や句がどういう役割を果たしているか(主語、目的語、述語、この句はどの単語、句に係っているのかなど)を捉え、文の意味を理解する。もちろんこれには文法の基礎を習得することがなんといっても不可欠。文法はとにかく覚える、としか言いようがないのだが、文法を分かっていることが果たす役割は大きい。もちろん、ある程度のレベルの短文は単語の意味を知っていれば対処が可能である。しかし長文、複文になってくると単語の意味だけでは収拾がつかないことはしばしばある。しかも、テストでもない限り知らない単語は辞書で引けばいいが、文法はそういうわけにはいかない。文法が分かっていれば、文が自ずと整理されて解けるようになる。
文法の重みは、英語学習を振り返ってみても実感する。ここ数年来、会話で英語を使うことを目的に英語学習をしてきたが、会話でよく使うフレーズを覚えたところで広げられる表現の幅には限界がある。それよりも英文法をマスターしたほうが自分の伝えたいことが伝えられるようになる。言いたいことを口に出せるかどうかは慣れや訓練の問題だ。

ということで、私のドイツ語学習は音読と文法を中心に。