2017/01/13
戦国時代展@東京都江戸東京博物館
2時間超,時間をかけてすべての展示をじっくり見て回った。何百年前に生まれ,使われていたものが今こうして間近で見られることに,こみ上げてくるものがある。それに,戦国武将たちが使っていたもの,愛用していたものを前にすると,既存のイメージに引きずられながらもいろんな妄想が始まる。そしてもっと武将たちのことを知りたくなる。謙信が春日山城の毘沙門堂に祀っていたとされる毘沙門天像,謙信はどんなふうに祈って大切にしていたのか。謙信が使っていたとされる酒盃,彼は宴会の席で何を語るんだろう。織田信長が朝倉氏を討って得た名物籠手切正宗,彼の刀さばきはどんな感じだったのか。佐竹氏の甲冑,兜には前に進むとの気概をこめた装飾が施されているが,戦うの怖くなかったのかな。上杉文書に書かれていた願掛けと武田信玄の甲州法度,当時も今も人が人や国を思う気持ちは変わらない。彼らはどんな国を目指していたんだろう。展示を見ていると,お話の中でしかなじみのなかった戦国武将が実在して生きていたことを実感する。
戦国時代というと戦いのイメージが強い。だがその一方で文化の成熟も起こっていたようだ。それでこの展示会では,連歌や茶の湯などに関する品も展示されていた。連歌がたくさん書かれた冊子,字が読めなくて何かいてあるか分からず,無念…。読みたかった…。室内の装飾の仕方について書かれた書物は,イラスト入りで分かりやすく目を引いた。大陸からの工芸品もけっこう展示されていて,日本のものとの違いが分かる。
それから花押の展示も印象深かった。武将たちが何らかの思いを込めて作ったのだと思うが,それぞれ違っていて,彼らのセンスやこだわりみたいなのが表れている。展示されていた中での一番は織田信長!花押,私も作りたい。
そんなわけで戦国時代展,武将たちの生をたくさん感じ,勉強にもなり,贅沢な時間を過ごせた。たが,信長関連の品があまりなくて少し残念…ということで,安土に行くことを計画しようと思う。
2017/01/12
点取りゲームの受験
塾で受験対策の授業をしていると,受験は点取りゲームだなということをつくづく実感する。時間内にいかに多くの点をたたき出すか,に焦点を当て,それにコミットすることが受験においては何よりも大切であって,こだわりやプライド,強すぎる感情,好奇心などがあると点を稼ぐことは難しくなる。生徒の成績を上げること,希望の学校に進学させることが私たちの塾の目的であり,生徒も親も望んでいることなので,私は目的に沿うことをしているわけだが,同時に少しだけ違和感も感じている。
私が担当している塾の中学生たちは先月から,入試や模試の過去問を解きまくるフェーズに入っている。入試問題の形式は,公立高校においてもそれぞれの私立高校においても毎年大きく変わっていないので,過去問をやればやるだけ生徒たちは問題形式に慣れていく。問題形式に慣れるということは点を稼ぐためにはしておいて損のないことだ。もちろん本番の入試ではどんな問題が出されるか分からないが,入試問題を作ることは労力も時間もかかること,教育内容が前年とそれほど変化していないことを踏まえれば,問題形式が大幅に変わることは考えにくい。よって,本番の際,これまで何度も練習してきたように解き進めていけばいいので,問題形式に慣れていれば心の余裕が少しは生まれてくるであろう。
そんな中,過去問をたくさん解いてきた要領のよい生徒たちにある傾向がみられるようになってきた。英作文の解答で頻発しているのだが,生徒たちは点をとるための文章しか書かなくなった。例えば英作文の問題では,与えられたテーマについて3文程度で書くことが求められる。テーマに沿っていれば,基本的には何を書いてもよい。最初のころはそれぞれのテーマについて考えて書いていた様子が見られたが,今は型にはまった文章であり,1つ1つの文もこれまでに書いた文の中の正しい文の使い回しが多く,I like ○○.といった簡単な文のみでおさまっている。杓子定規な解答も多い。解答に書かれていることについて質問してみると,実際はそう思っていないけど,とりあえず点がとれる解答を,というのがほとんどだ。
減点法での採点ゆえ,英作文で得点を上げるには,自分が分かっている表現のみでシンプルな文を作ることがコツである。そうすることで短時間でその問題を終わらせることもできる。だから,私もそうやって解答を作るように教えているし,であるならなおさらそういう解答が出てくるのは当然のことだ。でもやはり違和感はぬぐえない。私の個人的な気持ちとしては,生徒たちが実際に考えていることや言いたいことを英語で表現する方法を身につけてほしい。そのほうが生徒たちにとっても楽しいだろうし,将来役に立つだろう。それに,それが学ぶということだとも思う。しかし,そんな思いは受験ではお呼びでないのだ。書きたいことを自由に書いて満点になるなら何も問題はないが,生徒にそこまでの英語力はないし,それを実現するためには時間も足りない。よって,高得点だけどその人らしさの反映されない,面白みのない英作文が増産されていく。そして,自分の書きたいことを書きたいという思いが強い生徒や,要領よくできない生徒は,ささいなミスを連発して点を落としていくこととなる。個人的にはそれもなんだか切ない。
とはいえ,受験には人生を左右するという面もあるわけで,そういうルールで行われている以上それに乗っかるしかない。受験で勝たなければ,生徒たちは自分が思い描く高校生活のスタートラインに立てない。私自身もそれに乗っかったから,その後の生活が開けた。なので今は点取りゲームにコミットする次第である。
2017/01/11
人に会って話すことの喜び
直近では今日,人に会って話すことの喜びを感じた。大学の講義に出席し,先生や同級生と話したらふとそんな気持ちが湧いてきた。今日は年明けの初回ということで,それぞれの今年の抱負とか,年末年始の出来事などをみんなで話していたのだが,同級生や先生の話を聞くのも楽しかったし,自分の話をするのもなんだか嬉しかった。ここ数日,年末年始の慌ただしさが終わったからなのか気持ちが塞ぎ込みがちだった。でも,みんなと話をすることで内に内にと閉じこもっていた気持ちが少し開かれたように感じた。
先月末にも,人と会って話すことがいいなと感じられる経験があった。そのときはちょうど冬休みで,人との接触が少なかったときであった。そんな中仕事に向かい,中学生や高校生と話をしていたとき,つくづく人と話ができるって嬉しいな,とじんわり心が温まったものだ。
人と会って話すことは,日常的に行われていることで,当たり前のようにある出来事だ。だからだろうか,それについて今まで特に喜びや温かさを感じることはなかった。むしろ,人に会ったり話したりすることで自分のペースが乱れるのがとても嫌で,一人でいるほうがいいのにと感じていた時期もあった。自分一人でいろいろなことをやっているんだと思っていた。しかし,人と会って話ができることがいつでもどこでもできるわけではないと分かってきた。それに,自分の話を聞いてくれる人ばかりでないことも,自分と会ったり話をしない人がいることも知っている。私に会って一緒に話をしてくれる人は,私のために時間を使ってくれているのだ。また,一人でいることが寂しいと素直に感じられるようにもなってきた。だから今感じること,それは,会って共に話せる人が周りにいてくれるということは,ありがたいし,喜ばしいことだ,ということだ。
2017/01/10
ブログ連続更新を1ヶ月続けて
2017/01/09
成人の日に思う
帰宅して早速,成人の日に撮影した写真を引っ張り出してみた。今の私と成人式の私,写真を見るだけでもけっこう違いがある。まず見てぎょっとしたのは,眉毛がめっちゃ細くてつりあがっていること。そうだ,すっかり忘れていたが,あの頃はまだ眉毛をがんばっていじっていた時期だった。今は太めのなだらか眉で落ち着ていているが,眉毛が違うと人相が変わるもんである…きつく見えるし,かわいくない印象だ。当時どうしてあれがよかったのか・・・理解に苦しむ(汗)それから,顔の大きさが全然違う。成人式のときの顔は今よりも大きくて丸みがある。もともと私はぽっちゃり体質で,小学生のころから太っている部類に属していた。一応ダイエットは何度かしていたが,よくリバウンドを繰り返していたので,おととしから始めたダイエットで10kg超痩せを実現する前までは,丸くて少し大きめの顔がデフォルト。当時はそれほど気に留めていなかったが,写真で見ると顔が大きい。ほかの人もきっとそう思っていたんだろうと推測する次第である。それから,成人式で私は黒の着物を着ていた。そう,当時は黒色が好きで,というか黒にこだわっていて,持ち物の多くは黒だったっけ。洋服も黒系,かばんも黒系,携帯も黒,髪も染めなかった。かっこいいと言えばかっこいいが,今の私だったら黒は選ばないなーという感じだ。きっと赤を選ぶ。
恥ずかしながらも昔の写真を見ていると,当時のことがいろいろよみがえってくるものだ。成人式の日,私は地元の市が開催する成人式に参加した。そこでは,小学校・中学校時代の同級生とたくさん会って話をしたっけ。数人の女の子は,化粧で顔が変わっていて誰だか一瞬分からない感じだった。男の子も数人は変な髪型になっていたりで,中学校のときあんなにかっこよかった◯◯君はいずこへ?という感じだった。その一方で,全然変わっていない人もいたりして,懐かしいやらおめでたいやら嬉しいやらで,新鮮な1日だった。
成人式の日,私は両親とも一緒に写真を撮っていた。父も母も年をとったな…。特に母は,写真と比べて今は白髪がたくさん増えたし,背中と腰が曲がってしまった。写真で眼をつむる癖は変わっていないが。最近実家に帰省してもよく感じることだけれど,親が年をとっていくのを実感するのは切ない。
20歳の頃の私は,今の私を見てどう思うんだろう?当時の私は10年後,学生やってて独身だなんてほんの少しも思ってなかったに違いない。それに,悩み多き人生だってことも思い至ってなかっただろう。当時は漠然と,いろいろなことがうまくいくと思っていた。10年間で私はどれくらい成長できたんだろうか。10年間で私はどれくらいダメになったんだろうか。10年間で私はどれくらい自分のことを知れたんだろうか。
2017/01/08
寝ることは大切です
ここのところ,部屋の模様替えなどで夜活動していたせいで,睡眠パターンが乱れてしまい,どうも調子がよくない。ここ数日,大体3時から4時に布団に入り,8時~8時半くらいに起きる,そんな生活をしていた。平常時には大体1時台には布団に入り,7時過ぎくらいに起きるから,睡眠時間もいつもより1時間くらい減っていた。
年を重ねるにつれて,寝ないと身体が耐えられないということをまざまざと実感するようになった。昔とは違うのだ。10代~20代前半の頃は徹夜も普通に出来たし,徹夜明けの日もいつもより眠いくらいで大きな問題なく過ごせていた。で,今はというと,そもそも徹夜自体そうやすやすとできないし,たとえできたとしても,明けの日がグロッキーになりすぎるのでしたくない。徹夜明けの日は眠いだけでなく,注意力と思考力が散漫になり,イライラし,落ち着かなくなっているのが自分でよく分かる。しかも,その夜はいつもの1.5倍くらい寝ないと翌日すっきりしない。
私はどのくらい寝るのがちょうどよいんだろうか。前,あるアプリを使って調べようとしたのだが,結局よくわからなかった。ただ4時間半睡眠が続くと日中違和感を感じるので,少なくともそれ以上の睡眠は必要なのだと思う。しかし,寝すぎると寝すぎたで頭痛がひどくなり,その日ぼんやり過ごすことになる。私の場合は,8時間以上寝るとそうなる傾向が高いように感じる。
知り合いに3時間睡眠で全く問題ない人がいるが,睡眠時間が短くても支障がない人がちょっとうらやましい。「寝る時間がもったいない」と昔の私はよく思っていて,減らしても問題なしな状態にどうにかもっていけないかと考えていたこともあった。しかし今はもうあきらめた。睡眠時間を減らすことはできそうもないので,よく寝て翌日に備えたい,良い眠りがしたい,最近はそんな感じである。ということで,今日は早めに布団に入ります。