塾で受験対策の授業をしていると,受験は点取りゲームだなということをつくづく実感する。時間内にいかに多くの点をたたき出すか,に焦点を当て,それにコミットすることが受験においては何よりも大切であって,こだわりやプライド,強すぎる感情,好奇心などがあると点を稼ぐことは難しくなる。生徒の成績を上げること,希望の学校に進学させることが私たちの塾の目的であり,生徒も親も望んでいることなので,私は目的に沿うことをしているわけだが,同時に少しだけ違和感も感じている。
私が担当している塾の中学生たちは先月から,入試や模試の過去問を解きまくるフェーズに入っている。入試問題の形式は,公立高校においてもそれぞれの私立高校においても毎年大きく変わっていないので,過去問をやればやるだけ生徒たちは問題形式に慣れていく。問題形式に慣れるということは点を稼ぐためにはしておいて損のないことだ。もちろん本番の入試ではどんな問題が出されるか分からないが,入試問題を作ることは労力も時間もかかること,教育内容が前年とそれほど変化していないことを踏まえれば,問題形式が大幅に変わることは考えにくい。よって,本番の際,これまで何度も練習してきたように解き進めていけばいいので,問題形式に慣れていれば心の余裕が少しは生まれてくるであろう。
そんな中,過去問をたくさん解いてきた要領のよい生徒たちにある傾向がみられるようになってきた。英作文の解答で頻発しているのだが,生徒たちは点をとるための文章しか書かなくなった。例えば英作文の問題では,与えられたテーマについて3文程度で書くことが求められる。テーマに沿っていれば,基本的には何を書いてもよい。最初のころはそれぞれのテーマについて考えて書いていた様子が見られたが,今は型にはまった文章であり,1つ1つの文もこれまでに書いた文の中の正しい文の使い回しが多く,I like ○○.といった簡単な文のみでおさまっている。杓子定規な解答も多い。解答に書かれていることについて質問してみると,実際はそう思っていないけど,とりあえず点がとれる解答を,というのがほとんどだ。
減点法での採点ゆえ,英作文で得点を上げるには,自分が分かっている表現のみでシンプルな文を作ることがコツである。そうすることで短時間でその問題を終わらせることもできる。だから,私もそうやって解答を作るように教えているし,であるならなおさらそういう解答が出てくるのは当然のことだ。でもやはり違和感はぬぐえない。私の個人的な気持ちとしては,生徒たちが実際に考えていることや言いたいことを英語で表現する方法を身につけてほしい。そのほうが生徒たちにとっても楽しいだろうし,将来役に立つだろう。それに,それが学ぶということだとも思う。しかし,そんな思いは受験ではお呼びでないのだ。書きたいことを自由に書いて満点になるなら何も問題はないが,生徒にそこまでの英語力はないし,それを実現するためには時間も足りない。よって,高得点だけどその人らしさの反映されない,面白みのない英作文が増産されていく。そして,自分の書きたいことを書きたいという思いが強い生徒や,要領よくできない生徒は,ささいなミスを連発して点を落としていくこととなる。個人的にはそれもなんだか切ない。
とはいえ,受験には人生を左右するという面もあるわけで,そういうルールで行われている以上それに乗っかるしかない。受験で勝たなければ,生徒たちは自分が思い描く高校生活のスタートラインに立てない。私自身もそれに乗っかったから,その後の生活が開けた。なので今は点取りゲームにコミットする次第である。