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2015/09/16

田舎と私と東京と

ここ1年くらい、田舎に帰りたいなと思うようになった。自分の生まれ育った茨城県、実家に帰ってそこで暮らすのもいいかもしれない、そんなことも考える。周りは田んぼだらけ、ちょっとした買い物に行くにも車が必要不可欠、刺激的なものは特にないし、イベントといえば夏のお祭りくらいか、というところだが、そういうのを心地よく感じる私がいる。東京を基盤とする生活を続けて11年半、田舎を愛おしむことなんて今までなかったから、自分の変化に少し驚いている。

そもそも私は、田舎の窮屈さと何もなさが嫌で、また親から離れたくて東京に出てきたクチである。高校を卒業するとき、もうこんなところにいたくないと思って東京の大学を受験し、一人暮らしをしたいと親に言い続けた。親は最初反対したが、そのころの私は今より頑固で我を押し通すきらいがあったから、最終的には親が折れて私を東京に行かせ、経済面でも支えてくれた。私が東京で生活を始めたのは、2004年の春である。

先日友人と話をしていたとき、話の流れで「田舎から東京に出てきてすぐのとき、どんな感じだった?」と聞かれた。私はこれまで多くの人にこの質問を聞かれ、何度も答えたことがある。そのときに決まって思い出すのは、初めて大学に行った日に感じたことである。大学は幹線道路の近くにあり、その日人で溢れかえっていた。私は「人の多さと排気ガスの匂いが不快だった」といつものように答えた。しかし答えたあと、「不快だっただけじゃない。私はそれに圧倒され、恐怖を感じたんだ」と思い至った。自分の中の不安な気持ちや満たされない気持ちはここから来ているのかもしれないと思った。そして今までの自分を振り返り、「東京に圧倒され、恐怖を感じた私」はこれまで、それに負けまいと不自然に力みすぎ、そういう態度が癖になってしまったところがあるのかも、と感じ始めた。東京のみんなについていかなくちゃ…東京で何かを成し遂げなくちゃ…ばかにされたくない…そんなことを心のどこかで感じながら、意地を張ったり、余計な気を回したり、ムダに頑張ったりしていたところがあるかもしれない。自分の弱さや足りなさを埋めるよりも、取り繕うことに執心していたのかもしれないと思った。

最近、親に対する感情も変化している。親から離れたくて東京に出てきたと先に述べたが、あのころの私は親からの心配、干渉、保護がうざったいと思っていた。何かといえば電話してきたり私の家に来たりする親に疲れていた。だから正直帰省もしたいとあまり思わなかった。でも今は、帰省する時間を確保し、親に会いたいと思う。そして帰省したら、親と一緒にするささいなことを大切にしようとする自分がいる。買い物に行ったり、散歩をしたり、家の手伝いをしたり。それは、親が老いていくのを帰る度に感じるようになったことが大きい。体の調子が悪いと訴えてきたり、昔よりも反応が鈍くなっていたり、親が死んだ後私が困らないようにと、家の中を整理し始めたり。顔や髪にも老いが表れている。そんな親を見ていると私は切なくやるせない気持ちになる。時間が止まってほしいと思う。だけど時間は止められない。老いを受け入れていくしかない。だから親といられる時間を大切にしたい。

田舎を愛おしむ気持ちは、フツフツと湧いてきたのか、前からあったけれど隠されていて見えなかったものなのかは定かではない。でも、アラサーになり、学生生活に舞い戻り、時間的にも精神的にも、自分の気持ちを棚卸しする余裕が生まれたから、田舎への愛情を感じれるようになったのだろう。田舎を愛おしく思いながら、私はもう少し東京で生活していくつもりだ。