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2015/09/28

読書記 福島智「ぼくの命は言葉とともにある」

ここ最近この本が平積みされているのを目にしていた。表紙のインパクトが強く、印象に残ったのを憶えている。しかし私はこの本を手に取らなかった。というのも、私はこの手の本が好きではないからだ。本のタイトルや表紙から、中に書かれているのはきっと美談であること、感動間違いなしであることを彷彿とさせる本、そういう本が私は苦手である。本に限らず映画でもそういうのは避ける。友人に言わせればそれは、そういう話を読んだり見たりすると、自分の汚い部分や醜い部分を見ざるを得なくなるからだとのこと。…そうかもしれない。だが一昨日、ちょっとしたいきさつからこの本を読むことになった。一気読みできるほどの軽い文章ではなく読むのに時間がかかった。そして、他者とのコミュニケーションや言葉について考えさせられた。

「自己の存在を実感するのに他者の存在が必要」。福島氏が、実感をともなって気づいたことの1つである。他者の存在がなければ自己の存在を実感できないなんてこと、今まで私にあっただろうか。私にとって自己の存在はむしろ、1人のときに実感することが多い。例えばご飯を食べているとき、どこかへ出かけようとしているとき、眠いなと感じているとき、何か書き物をしているとき、これから私はどう生きていこうと悶々としているときなど、自分が1人のときに何かを感じたり、考えたり、行動したりするとき、自己の存在を実感する。他者といるときにも自己の存在を実感することはある。その場合の多くは、他者と意見や好みが食い違ってけんかになったり、誰かと一緒にいるのに、その空気に入ることができずぽつんと取り残されたような感覚を感じるときなど、他者と自分との間に距離を感じるときである。これもある意味、自分が1人のときなのかもしれない。他者との関係から離されたときに感じているからだ。この違いはどこにあるのかを考えると、福島氏と私の置かれている状況が大きく異なるということが理由の1つだろう。目や耳を不自由なく使えている私には、外部から何らかの刺激を受けてそれに反応する生活がデフォルトである。だからそれから少し距離をおいたときに初めて自己を実感することとなる。しかしそれ以上に、「人は1人で生きているわけではない」という当たり前すぎるくらいの事実が、日常生活で私の意識からすっぽり抜けてしまっていることも理由の1つだろう。私はこの事実を誰かに言われたときにはっと思い出す。お金を稼いで生計を立て、一通り家事をこなし、したいことをする生活は、私は1人でもいろいろなことができる、という錯覚を起こさせる。でも実際は、1人でもいろいろなことができるなんてことはないのだ。お金を稼ぐことは、誰かが私の能力を買ってくれなければ成り立たない。家事だって料理1つとっても誰かが野菜や肉を生産し、調理道具を作り、店でそれらを販売してくれなければ成り立たない。したいことをすることだって、誰かがそれをするのに必要なものを用意しているから成り立つのである。自分のしていることやその行為に必要なものの奥行きを見ようとすればするほど、誰かとのつながりの中で生きていることを感じざるを得ない。常に何らかの形で他者とコミュニケーションしながら生きていると感じざるを得ない。そのことを実感を持っていつも意識のどこかにとどめておくことができたらと思う。

彼の文章を読んでいると、1つ1つ彼の内から丁寧に紡ぎ出された言葉だということが伝わってくる。1つ1つに彼の実感が込もっており、深く温かい。そして、感じたことや考えたことを誠実に表現していると感じる。私も言葉をこういうふうに使いたい。私は誰かと話をしているとき、自分のことを表現するのに難しさを感じたり嫌になるときがある。伝えるのに適した言葉が見つからなくて困ることがある。はっきりと言いづらくてお茶を濁すような言い方をしたり、だんまりしてしまうこともある。このままじゃいかん、たとえ時間がかかっても自分の内から言葉を紡いでいきたい。この本を読んで強く思った。


この本で引用されていた、吉野弘氏の詩「生命は」に心がギュッとしめつけられた。このブログにも引用しておこうと思う。

「生命は」 吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない