こちらの4冊 |
今回は,今年心にひっかかった本について。今年は多分50冊くらいは読んだのではなかろうか(漫画は除く)?その中でなんか心にひっかかった本を4冊ピックアップしてみた。写真左端を除く3冊は,本を読みながら自分はどうかと考えたときに生まれたひっかかり。左端は,純粋に書いてあることが理解できないことでのひっかかり。これらの本の内容とひっかかりは,このまま心に留めておいて来年も考えたり読み返したりしていきたい。
・ティナ・シーリング「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」
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理由:無駄遣い禁止!解放!解放!
再読本。読んだのは今回で3回め。以前読んだときはほとんど気にも留めずにすーっと通り過ぎていってばかりだったが,年をとって,状況も変わって,今になって心にビンビンひびいてきた。
この本を読んで実践していくことに決めたのは「自分に許可を与える」ということ。これに尽きる。結局,いろんな制限を自分に課しているのは自分なのだとつくづく思った。この本には,どこにでもありそうな身近なものを使って新しい何かを生み出したり,ちょっと思いついたアイディアを試したり,常識的に考えるとするのをためらうことをすることで,自分の夢をつかんだり,より充実した人生を送ることになった人の事例がたくさん登場する。彼らのはじめの一歩は,本当に些細なことで,多くの人にとってやろうと思えば簡単にできることだ。ただ,「やってみたらいいんじゃない?」と自分に許可を与えてやればよい。
この本を読んでいたら,なんだか自分を無駄遣いしているなとつくづく思った。私にはできたかもしれないことがたくさんあっただろう。でもそうしなかった。そう考えるとなんかイライラしてきた。だからもうこれ以上の無駄遣いは禁止なのである。
・山田ズーニー「あなたの話はなぜ「通じない」のか」
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理由:相手に何かを伝えるのって,相手のことを知ることって難度高っ!
彼女の文章は本当に分かりやすくて,心地よいリズムがあって,丁寧で…。困っている読者に寄り添ってくれる,とても練られた文章,構成になっている。しかも,「考えることを通して自分の意見をはっきりさせる」,「自分の根っこにある気持ちに嘘はつかない」,「相手の話を正確に理解し,それを表明する」など,自分も相手も消さずに,「分かり合う」ことを目標として話が展開されていく。小手先のテクニックは全くなしだ。
この本は「問い」の重要性を推している。相手と「意見」はくい違っても「問い」は共有できる,と。また,相手の主張や意見を聞いたら,それがどんな問いに対する主張・意見なのかを考えてみるのがよい,と。問いを考えることは実際にやってみている。さすがに毎度毎度は出来ていないが,思い出した時や書かれた文章についてはやるように努めている。それで気づいたのは,「問い」のほうに視点を移すと,主張や意見に目を向けていたときよりも,その主張や意見を一歩引いたところから眺めることができるのだ。「問い」という大元の存在がクッションとなり,その主張や意見に対するとっさの反応は抑制される。最近は,その主張や意見の根拠となっているデータやワラントも考えるように意識を向けている。
それから著者のいう,「根本思想」のくだりも心に留め置きたいこと。「根本思想」とは,自分の言葉の根っこにあるその人の生き方や価値観のことである。
根本思想は,言葉の製造元。だから,短い発言でもごまかしようなく,にじみ出て,相手にわかってしまう。… 逆に言うと,根本思想はそれだけ強いものだからこそ,根本思想と言葉が一致したとき,非常に強く人の心を打つ。(p.15)根本思想と一致した言葉を,私はどれだけ発しているのだろう?調子に乗って都合のよいことを口走ったり,思慮浅で適当に,その場しのぎで発言していることがよくある…。これではいかんね…。人にとっての私の価値も私にとっての私の価値も貶めることになるだろう。
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理由:正直,愛するよりも愛されたい…
こちらも再読本。一番最初に読んだのは8年くらい前だった。8年前,やはり私はこの本の内容を十分に咀嚼できていなかった。フロムは「愛すること」を技術だと考えている。技術だから,才能大アリでもない限り,学んで練習して身につけていくことが必要。それが愛するという行為である。
さてフロムが言うには,愛することができるのは,「性格が生産的な段階に達している人間」だ。少し引用しよう。
”生産的な性格の人にとっては,与えることはまったくちがった意味をもつ。与えることは,自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。与えるというまさにその行為を通じて,私は自分の力,富,権力を実感する。… 与えることはもらうよりも喜ばしい。それは,剥ぎ取られるからではなく,与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。”(p.44)
” 愛するためには,性格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は,依存心,ナルシシズム的な全能感,他人を利用しようとかなんでも貯め込もうという欲求をすでに克服し,自分のなかにある人間的な力を信じ,目標達成のためには自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けていると,自分自身を与えるのが怖く,したがって愛する勇気もない。(p.48)”「与えることが自分の生命力の表現」だなんて考えたこともなかった。与えることそれ自体を通して自分を見出す…。「与えることはもらうよりも喜ばしい」か…。どうだろう,「与える→相手が喜んでくれる→嬉しい」はある。だが「与える→相手が喜んでくれない→嬉しい」と私は思うのか…?…生産的な段階には全然達していないんだな私は…。だって正直,与えるよりももらうことのほうが嬉しいよ…そんなことを思いつつ読んでいた。
・ジャック・ラカン「テレヴィジオン」
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理由:私はラカンが分からない
今年の春から夏にかけて,ラカン関連の本を読み散らかしていた。ラカンは,20世紀後半に活躍したフランスの精神科医・精神分析家。私は昨年末辺りから無意識についての文献をいろいろ読んでいたのだが,ラカンに手をつけていなかったことをある人に指摘され,それじゃあ読んでみるか,となったのだ。
実はラカンの思想には2年くらい前にとった現代思想の講義で触れていた。そのとき感じたラカンの印象は,「何やら初めて聞く言葉がいっぱいありますが…?」だった。ラカンは自分の思想を表現するために新しい言葉や概念を作っていたから,講義ではその言葉の解説がメインだったのだけれど,解説を聞いても分かるような分からないようなという感じ。そのときの先生も先生で,「ラカンは難解ですから…」みたいな感じでいろいろ濁された…。その時,ラカン解説本も数冊目を通したのだけど,やっぱりよく分からなかった。
こんな感じでラカンにマイナスイメージがついていたものの,今回こそはラカンの思想を理解したい!と思って読み始めたのも事実。それで読んだ最初の1冊目がこれ。フランスの一般向けのテレビ放送でラカンが話したことをまとめた薄い本だから,論文集「エクリ」よりはとっつきやすいかなと思って読み始めてみたら…甘かった。というか甘すぎました。最後まで読み通したし,部分的にはいろいろ調べながら丁寧に読んでいたのだけれど,はっきり分かったことは,「ラカンが何を言っているのか私は分からない」ということくらい…。その後ラカン解説本を数冊読んだものの,せいぜい分かったような気になるのが関の山…。
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以上,2017年心にひっかかった本を紹介した。ちなみに私は小説をほとんど読まない。物語系の場合,小説よりも大体漫画に手が行く。今年最後まで読んだのは,司馬遼太郎の「国盗り物語」だけではなかろうか。お万阿さまのいい女っぷりに惚れ惚れし,光秀さん余計なことを…という読後感だった。ハイ。