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2016/12/13

長期増強と長期抑制

来週,認知神経科学のテストがある。そこで,テスト勉強がてら講義で学んだことを少しまとめておこうと思う。まずは長期増強(LTP: long term potentiation)と長期抑制(LDP: long term depression)について。「ヘッブ則」という,神経科学分野においては基本かつ重要概念も一緒にまとめる。このヘッブ則,昨年別の講義でも習い,よくわからなくて先生に聞いたのだが,それでもいまいち理解できなかった。しかし,先生が変われば説明も変わるわけで,今回の講義で理解がすすんだ。

長期増強と長期抑制は,学習に関わる概念である。心理学における学習とは,経験によって比較的永続的な行動の変化をもたらす操作,およびその過程を指す。一般的に学習と聞いて思い浮かべる概念とは隔たりがある。さて,では経験によってなぜ行動が変化するのか。神経科学によるその答えは,経験は,ニューロンのシナプス形成や刈り込み,強度変化などをもたらし,神経回路を変化させるからである。端的にいうと,経験は脳内の情報伝達ネットワークを変化させ,それによってそれまでとは異なる行動が生まれるというわけである。

可塑性があるため,経験によって神経回路の形成が変わるわけだが,神経回路はそもそもどのようにできていくのだろうか。まずニューロンは,脳内の脳室の表面の脳室帯で発生することが知られている。神経幹細胞は発生後上に上っていき,辺縁帯と呼ばれるところに到着すると,核の情報を2倍にし,脳室帯へと下がっていく。そしてそこで細胞分裂を起こす。垂直分裂を細胞からは新たな神経幹細胞が生まれ,また辺縁帯へと上がっていき,細胞の生成に寄与する。一方で水平分裂をした神経幹細胞からは,新たな神経幹細胞のほか,ニューロンやグリア細胞へと変化する細胞が生まれる。細胞が増えるにつれて脳の容量を上に上に増やしていく。その際,新しくできたニューロンたちは,遊走しながら適切な他のニューロンを引き付けて,自らの役割を定めていく。どこにあるニューロンがどこにあるニューロンを引き付けるかは決まっている(化学親和性仮説)ものの,神経回路には可塑性がある。だから伝達される活動電位が少ないニューロン間の結びつきは離れ,伝達される活動電位が多いニューロン間での回路が構築されていくのである。

「ヘッブ則」というのは,まさにこの活動電位の伝達と神経回路に関する法則である。あるニューロンが活動電位を生じ,それによって他のニューロンにも活動電位を生じさせたとき,そのニューロン同士の結びつきが強くなる,という法則だ。この結びつきが強くなるときにニューロンで起こっていることは,シナプスの構造の変化である。活動電位は,あるニューロンの軸索から他のニューロンの樹状突起へと伝わる。あるニューロンの軸索と他のニューロンの樹状突起は,くっついているわけではなく,シナプス間隙と呼ばれる隙間がある。あるニューロンで生じた活動電位は,軸索の先まで来ると化学物質(グルタミン酸)を放出するのだが,その放出された物質をほかのニューロンの樹状突起にある受容体(NMDA受容体,AMPA受容体など)が受け取ることで,そのニューロンに活動電位が伝わるのである。この現象が2つのニューロン間で繰り返し起こると,活動電位を受け取る側のニューロンが,樹状突起のAMPA受容体の数を増やすということが起こる。それによって,よりたくさんのグルタミン酸を受け取れることとなり,そのニューロン間の結びつきが強くなるのである。

長期増強と長期抑制は,このヘッブ則を元に成り立っている現象である。長期増強とは,活動電位を伝えられるほうのニューロンが高頻度で発火していたり,また発火しているときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが強まるという現象だ。活動電位は,活動電位を発しているニューロンの軸索を通じて他のニューロンに活動電位を発生させるだけでなく,樹状突起から他のニューロンの軸索へと逆行して伝達されるため,同期した活動が生じる。一方,長期抑制は,長期増強と反対の現象である。つまり,活動電位を伝えられるほうのニューロンが低頻度で発火していたり,また発火していないときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが弱まるという現象である。長期抑制のときには,活動電位を受け取る側のニューロンの樹状突起のAMPA受容体の数は減る,という構造変化が生じている。


参考資料
認知神経科学講義資料
中島義明ら編「心理学辞典」

2016/12/12

ゲームで鍛えられること

「ポケモンGO」をプレイしながら最近感じたこと,それは,ゲームで忍耐力や自制心を鍛えることできるのかもしれないな,ということである。

私は「ポケモンGO」をリリース直後の今年の7月後半から始めた。途中数週間放置していたこともあったが,再開し,今は,歩いているときにはアプリを起動して地味に続けている。目的地―駅間でのプレイが中心だ。そんな調子でやっているから,なかなかポケモン図鑑がコンプリートできない。一日に歩く時間なんて数分×数回だし,ポケモン探しに遠出もしない。それに課金もしない。ネット情報によれば,一定のエリアにしか生息しないポケモンがいるらしいので,それらを捕獲することは保留にしたとしても,比較的広範囲に出現するポケモンや,今持っているポケモンを進化させればいいポケモンについてはコンプリートを狙いたい。だが,進化させるには,プレイ時間を増やさざるをえない。さっさと全部集めたいが,「ポケモンGO」を優先させる生活はしたくない。そうすると結果的に,コンプリートまでにはまだまだかかることとなり,私の忍耐力と自制心が試されている気がしてくる。

道を歩いていて,ポッポやコラッタ,ズバットなど,いつも目にするポケモンばかり出てくると,かなりイラッとする。しかし,それでもたまにレアなポケモンが出てくることがあるし,とりあえず歩けばタマゴを孵化させてポケモンをゲットしたり,進化に必要なアメがもらえたりするので,起動する。レアなポケモンに遭遇しても,簡単にとれときばかりではない。今のところ捕獲率のが逃す率よりも高いが,逃すとけっこ悔しい。あぁ,コンプリートが遠ざかったと…。あとは,例えば駅について次の電車が来るまでに時間があるときには,駅の周りを散策したりする。そうすると,たまに新しいポケモンに出会ったりして,気分がとても良くなる。そんなこんなで,イライラしたり,悔しい思いをしたりしながら,日々の他の様々なことと折り合いをつけつつ地味に続けている。

結果として,図鑑にいるポケモンの数は徐々に増えてきた。本日現在,115/149種類を手に入れている。純粋に嬉しい。まさか「ポケモンGO」で長期間続けることのメリットを感じるとは思わなかったが。

もうひとつプレイしているゲームに「イケメン戦国 時をかける恋」という恋愛シミュレーションゲームがある。私は課金をしないでこれまた地味にプレイしているのだが,これも非常に忍耐力と自制心が試されているゲームである。課金をすることのメリットはいろいろあるのだが,私が最大のメリットだと感じているのは課金することでしか読めない特別ストーリーがあるということだ。「もっと甘いストーリー」だそうで。好きなキャラについてはとても読みたいのだが,課金はせぬという固い決心のもと,衝動を飼い馴らしている。

楽しむために始めたゲームだが,それ以外の使いみちもありそうだ。

2016/12/11

ブログを毎日書くために

ちょっといろいろあって,今日からブログを毎日更新することに決めた。とりあえず3ヵ月間,毎日更新を死守するつもりでいる。今これを書いている私の頭の中では,「え,ほんとにやるの?」「あんたほんとにできるの?」という声ばかりがこだましている。というか,それが私の本音だと思う。そういう状況の中,今まで何かをやろうとしたことはほとんどない。でもとりあえずがんばってみようと思う。今までの経験上,気負い過ぎるとダメになるので,気軽な気持ちで,でも適当にはせずに。とにかくやってみようと思う。

毎日ブログを更新するということは,当たり前のことだが,毎日何かを書くということである。そのためには挫折の要因になるような問題をできるだけ取り除いておかなければならない。今思いつくのは,「え,何書くの?」問題と「え,いつ書くの?」問題である。

まず,「え,何書くの?」問題について。このブログは一応,2014年8月の開設当初から日々の生活で感じたことや考えたこと,学んだことを書くということで運営している。この方針,開設時に特にこれといって書きたいテーマがあったわけでもなかったのでなんとなくそう決めたのだが,今改めて考えてみると,自由度がとても高い。私は自由度が高いとかえってやりづらいと感じるタイプの人間だ,と自分のことを感じている。しかし,日々生活する中で何かしら,たとえ小さなことであっても,感じたり考えたり学んだりしていることは確かだと思う。なら,書けること(ネタ)はいろいろあるはずだ。ということで,今後も今の方針を踏襲し,日々感じたこと,考えたこと,学んだことを書いていこうと思う。書けることはいろいろあっても,それをブログに文章という形で落とし込む,となると一気にハードルが上がるように思える。実際,ブログを開設した当初~ちょっと前までは,ちゃんとしたものを書かなくちゃとか,人に見られているんだ,という見えないプレッシャーを感じてなかなか書きづらく,かなり窮屈な思いを抱えながらなんとか記事としてまとめ,アップしていたものだ。とりあえず最低月1回は更新したいという気持ちもあったので,それに背中を押されてなんとか書いていたところもある。今だって,ブログを書くという行為は私にとっては自然にできることではない。でも,少しだけ前よりハードルが下がったような気がしている。書くときの窮屈さが少しとれて,前よりも記事を書きやすくなった。だから,その変化をばねに書き続けてみようと思う。

次に,「え,いつ書くの?」問題である。これまでの経験からいえば,私はブログの記事を1つ書くのに1時間以上,考えがまとまらないときには数時間を要している。現行の毎日のスケジュールでは毎日そんなに時間を割くことはできない。というわけで,現行の毎日のスケジュールを変えつつ,ブログを短時間で書くにはどうすべきかを考えなくてはならない。とりあえず,明日からブログは朝取り掛かろうと思っている。なぜなら,習慣化するためには,毎日固定でこの時間はこれをする,としたほうがやりやすいからである。とすると,私が毎日固定で自由に使える時間帯は朝学校などに出かける前と,夜家に帰ってきてからしかない。夜はそんなに早く帰ってこないし,基本疲れているし,眠くなるし,お酒飲んだりもあるだろうしで,挫折するための潜在的要因が多すぎる。朝にも起きられないというリスクはありそうだが,たとえ寝坊したとしても,その日はまだ昼と夜があるわけで,朝の失敗を埋め合わせることは可能だと思われる。とはいえ,早寝して,朝に書くようにしよう。そして,書き上げる時間の目標は30分~1時間とする。そんなに早く起きられないし,出かけなきゃいけないのにそんなにちんたら書いている余裕はないからである。では,短時間で記事を書くためにどうするか。単純に書く量を減らせばよいだろう。つまり,無理に記事を長くすることはない。それから今思いつくのは,常に考えていなさい,ということだろうか。先程も述べたように,記事になりうるようなネタはいろいろあるはずなので,感じたことや考えたことが流れていってしまう前に,それについて考えをすすめたりまとめたり,ということを意識的にやるようにしていく,それを心がけていけば早く書けるようになるんではないだろうか。言うは易し,行うは難しだが。時間についても,この心がけについても最初は難しいかもしれないが,徐々にできるようになれたらと思う。

ということで,1日目を終えようと思う。このやり方がうまく機能しない場合は,他のやり方を考えるまでである。

2016/11/17

読書記 デーヴァ・ソベル「経度への挑戦」

世界地図を見ると必ず表示されている緯線と経線。経線が定まるまでにこんな激しい攻防があったとは!経度をめぐる人々の努力,思惑,争いを描いた「経度への挑戦」は,ハラハラしながら読める面白い本だった。

時を決める「経度」は現代の私たちにはなくてはならない存在だ。経度が必要なのは今の私たちに限った話ではない。18世紀頃、領土を拡大するための戦争や貿易で,富を得ようと多数の船を出航させていたヨーロッパ諸国も経度を必要としていた。その当時,航海のお供は羅針盤と海図だったが,それだけでは不十分だったからだ。正確な経度が測定できないことで多くの船が難破し,多数の犠牲者と多大な損失を被っていた。英国議会はこの状況をなんとか打破したかった。そこで1714年,実用的で誤差がほとんど生じない経度測定法の考案者に賞金2万ポンド(現在の数百万ドル)を与える法律を制定する。
まず正確な経度の測定に乗り出したのは,天文学者たちである。月や星、太陽の動きや位置関係を利用して船の位置を知ることが主流だった当時,正確な星図の作成は正確な経度測定の第一歩と考えられていた。天文学者たちは天文台を創設し,天体観測データの収集に力を入れた。その頃一方では,独学で時計製作を修めた貧しい出自のジョン・ハリソンが,独自の工夫を凝らした当時最高級クラスの高精度時計を完成させていた。ここから時計と天文学の戦いが幕を開けるのだ。
ハリソンは,その生涯で5つの航海用時計を経度測定評議会に提出している。経度測定評議会は賞金の支払いを決める機関である。大きさ,精度ともに自信作の4つめの時計を提出した頃,評議会では天文学者のマスケリンが力を持っていた。天体による経度測定法の確立に邁進し,賞金獲得を意識していた彼は,ハリソンの時計の最終評価を遅らせたり,経度法を改正したり,無理難題を要求したりして天文学の優位性を主張,両者の攻防は激化する。ちなみに,現在知られている経度の基準線(グリニッジ子午線)はマスケリンが決めたものである。
ハリソンは最終的に国王の後ろ盾を得て,評議会から2万ポンドに満たない金を獲得した。その後海上時計は爆発的に普及,時計職人は大量生産と低価格化に迫られることとなった。一方で天文学は,時計による経度測定の補佐役として船上で生き残った。

こういう人間臭さを感じる話は好きだ。世界を揺るがすような出来事の裏側には,努力や才能といったきれいな話だけではなく,争いや嫉妬もあふれている。
時計も天文学もこの時代に著しく発展した。その功績は現代の技術や理論にも見られ,今の私たちの生活にも関わり続けている。

2016/11/14

第九コンサートに行ってきた

ベートーヴェンの「第九」は,好きなクラシック曲の1つである。私は毎年末,テレビで流れる第九コンサートを見ているのだが,今年はコンサートホールで生の演奏を聴く機会をもらった!第九を生で聴けるなんて,とても嬉しい。テレビだとよく聴こえない音も拾えるし,何よりも演奏の空気を直に感じられるのがいい。


第九を聴くたびに私は,ベートーヴェンはこの曲を作るときにどんなことを感じたり考えたりしていたんだろうと思う。最初から熱く,激しく,最後の合唱では光や希望も湧いてくるような印象で,ベートーヴェンの中でふつふつ沸いていた何かが昇華されていったようにも受け取れる。本で読んだり映画で観たりするベートーヴェンの人生は, 苦労づくしだ。特に難聴なんて,音楽をやる人間にとっては地獄の中の地獄にいるようなものだと思う。そんな状況の中で第九は作られているけれども,ずっと聞いていると自分のすべてをぶつけているという凄みと真剣さみたいなのがひりひり伝わってきて,ものすごく心を動かされるし,あてられそうになる。

そんなわけですごくよかった第九コンサートだが,曲に加えて指揮者がすごく素敵だった。小柄な女性だったのだが,身体をフルに使った指揮で動きがとてもダイナミック,会場が揺れるんじゃないかと感じたくらいだ。そして,彼女の指揮にオーケストラが反応し演奏を変化させているのもよく伝わってきた。特に第四楽章終盤のスピード調整はすごいと思った。他の曲を指揮する姿も見てみたい。

第九からも,女性指揮者の仕事ぶりからも力をもらえたコンサートだった。

2016/11/12

格安SIMスマホ

格安SIMのスマホを使い始めてから,半年ちょっと経った。格安SIMにする前は10年以上docomoを使い続けていた。でも,月々の料金の高さ(だいたいの月々の平均:7500円)にいい加減我慢ならなくなり,もうやめようと思った。ちょうど2年縛りがなくなるのが今年の春くらいだったから,それに合わせて格安SIMに切り替えようと,昨年末くらいから情報収集を始めたのだ。いくつかの会社を比較検討してIIJMIOに落ち着いた。切り替えにも余計な料金がかからずスムーズに行えたし,料金面,通信面ともに満足していて,変えてよかったと思っている。不満なところはない。端末は,ASUSのZenfone 2 Laserを使っているが,こちらも特に不具合なく,使いやすい。あえて不満を挙げるなら,プリインストールのアプリが意外と多くて,アンインストールするのに手間がかかったことくらい。

最近私の友人の1人から,格安SIMスマホにしたという話を聞いた。それで,今どれくらいの人が格安SIMを使っているのか気になって,ちょっとググってみたら,MMD研究所の調査データが出てきた(https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1608.html)。データによれば,格安SIMの利用率は約15%で,音声プラン+データプランの利用率は約54%,楽天モバイルが優勢のようだ。これだけでは,具体的にどういう人が格安SIMを使っているのか見えてこないが,利用率の数値上は,前回調査時よりも若干増えている(https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1538.html)。

とはいえ,大半の人は大手キャリアを使っている。私は安さがまず優先なので,自分のそれまでのスマホの使い方や,他のサービスとの組み合わせなどを考慮しても大手キャリアを使い続けるメリットはなかった。大手キャリアを使う理由って?と思っていた矢先,父のことが浮かんできた。私が格安SIMにするときに,父もdocomoから格安SIMスマホに変えたのだが,私が見る限り,父は格安SIMスマホに関して,私ほどメリットを感じていないようだ。というのも,docomoユーザーだったとき父は,携帯で困ったことがあるとよくdocomoショップに行っていた。私も付き合って何度か行ったことがあるが,docomoショップ店員の対応はとても気持ちがよい。嫌な思いをしたことは一度もないし,問い合わせの電話窓口の人もきれいな言葉遣いで親切・丁寧に対応してくれる。今契約しているIIJMIOは,大手キャリアのように独自の店舗を持たないので,父的には相談窓口がなくて困っているようだった。もちろん電話やHPからの問い合わせは受け付けているし,HPの「よくあるお問合せ」もよくまとまっているが,父にとってはハードルが高いようでそのしわ寄せは全部私にふっかかっている。そんな父の様子を見ている母は,docomoから変えるつもりはないと言い張っている。うちの親の場合,そのサービスや親しみやすさ,楽さにお金を払う価値を見出しているのだろう。

何に価値を置くか―選択の際の最重要の問いである。