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2017/01/27

BOTでお話?

このブログでたびたび登場している我が愛用スマホゲーム「イケメン戦国」が,おととい新サービスをリリースした。その名も「織田信長のイケメン天気予報」。LINEアカウントを友だち追加し,場所や時間を設定すると,織田信長が毎日天気を知らせてくれる。また,トークで話しかけると,内容に応じて(ある程度)お返事してくれるのだ。早速友だちになって試してみたが,これがけっこう面白い。

どんな感じかを伝えるために,本当はLINEの画面のスクリーンショットでも貼りたいのだが,運営側からしないでくれとのお達しがあるので,実際の画面を見たい方は,運営会社が出したニュースリリースを見てほしい。http://www.cybird.co.jp/wp-content/uploads/2017/01/20170125final_02.pdf

このサービスの気に入りポイントが2つある。1つは,「イケメン戦国」に登場する武将たちのミニキャラがやっているところだ。ストーリーに登場する,山田シロ先生の美しい絵の武将たちも好きなのだが,私はこのちょっとおとぼけた感じに見えるミニキャラたちも好きなのだ。なぜって,とても可愛いから。天気予報と一緒に,知らせてくれる天気と(多分)関係のあるイラストも毎回くれるのだが,なんとういうか,見ていると心がなごむ。
もう1つは,何か話しかけると,「イケメン戦国」内でのキャラ設定を活かしつつ,お返事をくれるところである。一例はやはり上のリリースを見てほしいのだが,基本はキュンとするお返事をくれる。実はこの手のサービスは,以前マイクロソフトのAI「りんなちゃん」で試してみたことがあるのだが,「りんなちゃん」とはどうも反りが合わず,よくイラッとさせられていた。また,小学館がやっている,少女コミックの男性キャラからお返事がもらえる,というのもやったことがあるのだが,お返事のバリエーションが少なすぎてすぐ飽きてしまった。それらに比べて信長様は,まだ私をイラッとさせていないし,お返事もけっこうバリエーションがある雰囲気だ。こういうサービスは,ユーザーが送った言葉に含まれる特定の単語に特定のお返事が紐付いていて,それを返してくる,という仕組みになっているのだと思われる。だから,どんな言葉を入れるとどんな返事が返ってくるかを少し試してみている。現段階では,挨拶系や「好き」や「ちゅーして」などの恋愛系の言葉,「目玉焼き」や「コーラ」などの特に意味のない言葉,信長が好きだという「金平糖」などを入れてみたが,明確なパターンらしきものはまだ見い出せていない。全く関係のないお返事をくれることもしばしばだが,そこまでの技術は利用していないということだろう。それに,必ずお返事をくれるので,そこは楽しみだ。長ったらしい文章は入力していないので,時間があるときに今日の出来事でも送ってみようか。そうしたらどんな返事が返ってくるのだろう。ある程度の字数を超えたり,指定単語が複数入っているときには,デフォルトお返事みたいなものがあるんだろうか。

ここでふと思ったこと,私はこのBOTで話をしているんだろうか?私が何か発言を送り,BOTがその発言から単語を拾って,何かを返す。ってことは私は誰とも話はしていないのだろう。でも,届くお返事は,信長のキャラ設定にもとづいて人が作ったもので,あたかも「イケメン戦国」の信長と話しているような気分になる。ってことは,私の頭の中の想像の世界では,実際に話しているとも言える。今後もこの手のサービスは増えてくると思われるが,どんなふうにみんなは感じるのだろうか?

2017/01/26

人を知るのが面白い

半期間,近世哲学史の講義を受講していた。この講義では,カント以降のドイツ圏の哲学者を中心に,毎回1人ずつ紹介していくというスタイルで行われていたのだが,哲学者たちの思想内容だけでなく,哲学者自身を知れるエピソードや,当時の時代背景の話もふんだんに盛り込まれていたのがよくて,毎回楽しみにして参加していた。

私は基本的に,人が残したモノよりも,その人がどう生きていたのかに興味がある。数年前に科学史の講義を受けたときもそうだった。科学者たちの偉大な発見よりも,科学者たちの生活や,人間臭いところなどについ目が行ってしまっていた。アインシュタインとミレヴァ・マリッジの関係や,キュリー夫人の恋愛騒動,ワトソンとクリックの二重らせん構造の発見に裏にあった,ロザリンド・フランクリンの無念さなどをその講義で知ったが,そういったいかにも人間らしいところに親近感を覚え,偉大なことを成し遂げた人たちに親しみを持ったものだ。

今回の哲学史の講義でも,哲学者たち自身にまつわる話がけっこう出てきた。ナポレオンに強く影響されたフィヒテや,ヤスパースとハイデガーの友人関係とその崩壊,カントはなぜコスモポリタン的な思考を持てたのか,ショーペンハウアーのやりきれなさなどを聞くと,頭の良い人が何やら難しいことを言っている,という感覚が薄れ,哲学者たちとの距離が縮まる感じがする。ときには,普通のおっちゃんと変わらんがなと思ったりして,とっつきやすくなる(彼らの思想や主張は結局難しいままではあるのだが…)。

偉大な発見も,哲学分野での主要な思想も,それらが生まれるためのワケがある。私はそのワケに興味がある。なんでその人はそんなことを考えられたのか,なんでそんな行動をしていたのか,そういうのを知るたびに,人間の面白さや深さ,醜さを感じるし,愛おしい気持ちになったり,悔しさを感じたりする。

2017/01/25

身体メンテナンス

ここ1年くらいだろうか,自分の身体のことをちゃんと考えるようになった。今日は調子がいいとか,○○が痛いとか,体が重いとか,疲れがたまっているとか,自分の身体のモニタリングはもちろんのこと,体調を保つために予防するとか,具合が悪くなったときには早めに対処するとか,そういう基本的なことを疎かにしないようになった。

「体が基本」,全くそのとおりである。そんなことは昔からよく知っているのに,今思えば20代の頃は自分の体をいたわるという感覚をあまり持っていなかった。そこまで無茶なことをしていた記憶はないが,そんなに体のことを気にかけなくても普通に生きていたし,特に何かしなくても健康なんて当たり前!的な感覚だった。私より年齢が2,3歳上の友人が一足先にアラサーに差し掛かったとき,髪や肌がいかに昔と違うかの話をしていたが,そんなのはどこ吹く風といった感じで,自分にはあまり関わりがないような気さえしていた。

しかし私も年を重ねたからだろうか,最近は20代の頃に比べて,自分の体の変化を気にするようになった。というより,気にせざるを得なくなったといったほうが正しいかもしれない。些細な故障/違和感がよく起こり,気づかずにはいられなくなった。そして,早々に対処するようになった。なんかいつもと調子が違う,頭が重い,お腹が痛いなど,少しでも違和感があると感じたら,速攻対処である。まずは原因を考える。原因は思い当たることが多いのだが,原因が分からなくても,痛みであればほっとかずに常備薬の鎮痛剤で対処する。そして調子が回復するまでは,あまり無理はしないようにする。それから今の時期は,抜かりのない防寒対策を心がけ,体を冷やさないように注意しているし,うがい手洗いも欠かさない。また,週1ペースで行っているジムはもともとダイエットのためだったけれど,今はもはや体力維持のためといってもさしつかえないだろう。それに,必要があれば病院にもすぐ行くようになった。例えば風邪を引いたとき,寝て治したり市販のかぜ薬でどうにかしようとしていたこともあったけど,病院の薬がいちばん効くことを学んだから,面倒くさがらずにさっさと行くようになった。私はできものができやすい体質ゆえ,皮膚科にもそれなりに行っている。それに最近は検診系も行っとくか,という気になっている。先日は,自治体からもらった無料クーポンで子宮頸がん検診に行ってきたし,近々歯の検診にも行こうかと考えている。痛くならなきゃ行く必要ないとずっと思っていたが,歯もメンテナンスが必要であろう。こうして改めて書き出してみると,ほんとに超基本的なことばかりだが,多分そういうのが一番大切なのだと思う。最近は外反母趾が痛み出しているので,これもいずれはどうにかしたい。

1つしかない私の身体。長いことよく動いてくれるよう,日々の手入れを大切にしたいものである。

2017/01/24

目的に応じた読み方を

私は基本的に本を読むのが遅い。漫画や小説ですら遅い。なんで遅いのかと考えてみると,つまるところ,一文一文読みながら考えているからだということになった。

まず,学術書に類するものでは,読みながら?が頻繁に頭に浮かんでくる。話が見えなくなったらその文を再度読み,場合によってはその前の数文を読み返す。分からない言葉が出てきたら,できるだけ辞書をひいて,意味を把握する。そんな調子なので,読むとすぐ疲れるし眠くなってしまう。さらには,ささっと読めないので読むモチベーションも下がる。で,結果的に一冊終えるのにだいぶ時間を使ってしまう。漫画の場合は少し状況が変わる。漫画の場合,内容が理解できないということはほとんどない。だが,読んでいると,漫画の中のキャラクターに感情移入したり,漫画の世界に浸ってしまう。結果的に,丁寧に読むことになり,結局読み終えるまでに時間がかかる。小説の場合は,学術書と漫画を足したような感じだろうか。漫画に近い状況が大方だが,たまに難しい言葉が出てきたりするので。

時間をかけて本を読むこと自体はいいと思うのだが,そうしているといかんせん時間が足りない。百歩譲って漫画や小説は娯楽のためなのでよしとしよう。ただ学術書については,研究のために読んでいるので,そんな調子では研究がなかなか進まない。そこで最近,本を思い切って速く読むようにしている。すべての文章を読むのは変わりないのだが,意味が分からない文章があってもとりあえず先に進む。分からない文章がどうしても気になる場合や,それが肝となるような主張だと思われる場合は,とりあえずもう一度読むが,深追いはしない。さらに,本を速く読むために,目を積極的に動かすようにする。速読の人が本を読むときの目の動きを見たことがあるが,彼らは目をほとんど動かさずに,全体を俯瞰するようにしてものすごい速さで読んでいる。だが,訓練していない私にはそれは無理。だから,行の始めから終わりまで目で追うスピードを意識的に上げた。目が動いたら見えるものも変わるので,必然的にそのスピードで読まないといけなくなる。目を動かすことが眠気防止にもなって,一石二鳥かもしれない。

そんな感じで数冊読み終えた。そうする前は,速く読んだら本の中身全然入ってこないんじゃないかなと不安に思っていたが,速く読んでも遅く読んでも大して変わらないと思われる。残ることは残るし,残らないことは残らない。また,遅く読んだからといって忘れにくいかというと,そういうわけでもない。速く読むのも普通のリーディングに決して劣っていなかった。情報をインプットするという目的なら十分だ。読んでいれば,どの本にどんなことが書いてあったか(概要)やキータームは頭に残る。論文を書くときにはそれを元にして再度本にあたればよい。

これからまた速い読書の再開である。

2017/01/23

Happy Birthday to me!

今日1/23は誕生日だ。31歳になった。

誕生日自体は,この歳になると子供のころほどの嬉しさはないのだが,友達が覚えていてくれて,お祝いしてくれるというのはとても嬉しい。昨日も,誕生日を覚えていくれていた友人がサプライズでお祝いしてくれた。感謝だ。SNSでも,友人たちが誕生日おめでとうのメッセージをくれた。直接顔を合わせる機会が少なくても,メッセージを書くときには私のことを心に留めてくれていたわけで,やはりありがたいなと思う。

31歳も元気いっぱいにがんばろうと思う!人生まだまだこれからよ。

お洋服をもらった!
googleさんは今回,こんなdoodleを出してくれた。毎年楽しみだったりする。

2017/01/22

気晴らしに書く

最近ブログを書きながら,ブログを書くって気晴らしにもなるんだなーと感じている。いつもそう感じているわけではなくて,気楽な日記調の記事を書くときとか,大学や研究関連でレポートを書いたり本を長時間読んだりしたあとに記事を書くときとかにそう思う。

たしかに当初に比べると,書くということに関しての心理的負担はだいぶ軽くなった。ネタの選定にしろ,書く内容にしろ,表現の仕方にしろ,以前よりもずっと自由になっている感がある。今でも何を書こうかなーと思うことは思うが,なんでも記事になるよなと感じるし,内容もこれ言ったらまずいかなとか,間違ったこと書いているかもとか,自分の書く内容に対するネガティブな意見にそれほど縛られなくなった。表現に至っては,当初からわかりやすい表現,読みやすい表現を書くことに徹しているが,いちいち気を回さずとも自然に出てくるようになったし,記事全体の構成においてもそれほど悩むことはなくなった。たかだか1ヶ月ちょっとであるが,「継続は力なり」である。

気楽にブログを書けるようになってきたことは,ブログを書くことのストレス量と,難しい本を読むとか,課題のレポートを書くとかのストレス量の逆転を引き起こしている。ブログを書くことに全くストレスを感じていないわけではないが,相対的に低くなっているので,大学関連ですべきことがたくさんあって時間が惜しいと感じる今も,こうしてブログを書いている。本やレポートで疲れたときの息抜きのような位置づけである。

息抜きにブログを書くのは,他に思いつく息抜き手段に比べて,なかなかいいことかもしれない。息抜き(になりそうなこと)の例をいくつか挙げるが,テレビを観る→ダラダラ見続ける可能性あり,漫画を読む→積ん読になっている漫画を読み始める気力はないし,かといって何度も読んでいる漫画は,その漫画の世界観にひたりたいときでないとなかなか楽しめない,小説を読む→漫画の場合とほぼ同じ,寝る→寝入ってしまうリスクあり,家事→好きじゃないから気晴らしにならない,オンライン英会話する→時間が指定されるので息抜きにしては制限があってちょっと・・・,食べる→お腹の空き具合による,飲む→飲みながらやれるので息抜きとはちょっと違うような・・・,イケメン戦国→息抜きになるほどの時間を無料でやれるものがない,といったところだろうか。これらに比べてブログを書くことのメリットは,1つ記事を書いたら終わりになるので,息抜きタイムのオシリが決まっている。しかも,時間はかかっても1時間程度。そしてなんといってもいいのは,(一応)考えて文章を書いているので,本を読んだり,レポートを書くことに似ていることをやっているということだ。似ていることをやっていると,全く別のことをしているよりも,息抜き前にやっていたことにスムーズに戻ることができる。さらに,いちばんこれがいちばん大きいかもしれないが,自分の思いのたけを気楽に書けるので,書いた後スッキリする。

こんなことを以前の私が聞いたらびっくりするだろう。やってみないとわからないもんである。