半期間,近世哲学史の講義を受講していた。この講義では,カント以降のドイツ圏の哲学者を中心に,毎回1人ずつ紹介していくというスタイルで行われていたのだが,哲学者たちの思想内容だけでなく,哲学者自身を知れるエピソードや,当時の時代背景の話もふんだんに盛り込まれていたのがよくて,毎回楽しみにして参加していた。
私は基本的に,人が残したモノよりも,その人がどう生きていたのかに興味がある。数年前に科学史の講義を受けたときもそうだった。科学者たちの偉大な発見よりも,科学者たちの生活や,人間臭いところなどについ目が行ってしまっていた。アインシュタインとミレヴァ・マリッジの関係や,キュリー夫人の恋愛騒動,ワトソンとクリックの二重らせん構造の発見に裏にあった,ロザリンド・フランクリンの無念さなどをその講義で知ったが,そういったいかにも人間らしいところに親近感を覚え,偉大なことを成し遂げた人たちに親しみを持ったものだ。
今回の哲学史の講義でも,哲学者たち自身にまつわる話がけっこう出てきた。ナポレオンに強く影響されたフィヒテや,ヤスパースとハイデガーの友人関係とその崩壊,カントはなぜコスモポリタン的な思考を持てたのか,ショーペンハウアーのやりきれなさなどを聞くと,頭の良い人が何やら難しいことを言っている,という感覚が薄れ,哲学者たちとの距離が縮まる感じがする。ときには,普通のおっちゃんと変わらんがなと思ったりして,とっつきやすくなる(彼らの思想や主張は結局難しいままではあるのだが…)。
偉大な発見も,哲学分野での主要な思想も,それらが生まれるためのワケがある。私はそのワケに興味がある。なんでその人はそんなことを考えられたのか,なんでそんな行動をしていたのか,そういうのを知るたびに,人間の面白さや深さ,醜さを感じるし,愛おしい気持ちになったり,悔しさを感じたりする。