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2015/01/03

読書記 ヘミングウェイ 「異国にて」(In Another Country)

「異国にて」は、第一次世界大戦のさなか、戦争で負傷したアメリカ人の、イタリア・ミラノでの療養生活中に起きたある出来事を綴った話である。1927年に出版された短編集「男だけの世界」(Men Without Women)に収録されている。ヘミングウェイは第一次世界大戦時、自ら志願して、傷病兵運搬車の運転手としてヨーロッパの戦地に行った。そして前線で砲弾を浴びて足を負傷し、ミラノの病院で治療を受けている。この物語にはヘミングウェイの戦地での体験が反映されている。

物語は、主人公が治療を受けているミラノの街と病院の描写から始まる。そして病院で主人公は、戦争前に剣士として活躍していたイタリア人少佐と最新の機械を使った治療を受けていること、少佐は機械治療の効果を信じていないこと、病院には他にもイタリア人の負傷者が集まっており、訓練が終わって前線に配置されてすぐに鼻を失った者や先鋭部隊で華々しい活躍をした者がいることが描かれる。物語に登場する負傷者たちに共通していることは、今後戦地に戻ることはないということだった。主人公が、いつものように少佐とともに機械治療を受けていたある日、彼から、結婚しているのか、と聞かれる。主人公は、結婚していないが結婚したい、と答えると、少佐は、男は結婚してはいけない、もし全てを失うことになるのなら、全てを失うようなところに身を置くべきではない、と激しく怒って答え、主人公に議論の余地も与えず部屋を出て行く。しばらくして少佐は部屋に戻り、主人公の肩に手を置き謝りながら、自分の妻が亡くなったことを話し、また部屋を後にする。少佐は3日間病院に来なかったが、3日後いつもと同じ時間に喪章をつけて現れ、機械治療を再開する。そこで物語が終わる。

ヘミングウェイは、ムダのない、控えめな表現で物語を描く作家として知られている。その作風は「異国にて」にも明瞭に表れている。主人公が見ている風景や登場する人物たちの風貌、なされた会話などが淡々と描写されており、それらの描写から、その場面に流れている雰囲気や登場人物たちの心情を読者に推し量らせようとしているようである。

ヘミングウェイはこの物語で、何を描きたかったのだろう。何かを失った男の姿を描きたかったのだと思う。物語に登場する主人公、少佐、病院に通う他のイタリア人負傷者は何かを失った男たちである。主人公は、第一次世界大戦に参加するために海を越えてきたアメリカ人だ。しかし彼は脚を負傷し、戦線からは離脱している。主人公は、先鋭部隊で活躍し負傷したイタリア人たちと同じメダルを持っているが、主人公がメダルを得たのは、つまるところ彼がアメリカ人だったからであり、メダルを得たイタリア人たちと同等の活躍はしていない。主人公はメダルを得たことを恥じてはいないが、自分は死ぬことをとても恐れており、イタリア人たちのような活躍をしなかったことを自覚している。負傷して現実に直面している主人公からは、健康な脚に加えて、戦地に来る前に抱いていたであろう自信や使命感を失った様を感じる。少佐が失ったのは、健康な手と妻である。妻の死は少佐に、強い怒り、深い悲しみ、やりきれなさ、などの激しい感情を引き起こしている。それは主人公と少佐の会話の場面から読み取れる。一方、登場するイタリア人負傷者たちは、1人は弁護士になる道を、1人は絵描きになる道を、1人は兵士として活躍する道を、絶たざるを得なくなり、1人は鼻と祖国で生きる道を失った。

上述した男たちはみな、戦争によって何かを失っている。しかし、戦争による喪失は、物語の中で簡潔に描かれているだけである。主人公の療養生活の描写が続く物語の中に、特定のエピソードとしてヘミングウェイが挿入したのはむしろ、妻を、戦争ではなく病気で亡くした少佐が取り乱す場面である。戦争は物語の中であくまでも前提として登場している。物語は「…戦争はいつもそこにあった、しかし私たちは戦地に戻らなかった」で始まるが、これはつまり、戦争はそのとき常にそこに存在しており、誰も逃れることはできなかった、そしてそこで主人公たちは戦ったがもう戦うことはない、ということである。戦争を前提とするなら、戦争による喪失は、避けられないことで、仕方のないことである。そして男たちは今、爆弾や戦いとは切り離されたところにいて、戦いに戻ることはなく、リハビリをしているのだ。そして話をしながら、互いの存在を慰めにしている。彼らにとって戦争による喪失は既に過去のものになっていて、次の人生への準備を始めているとも言える。一方で少佐は、他の者とは事情が違っている。少佐も戦争で健康な手を失ったが、少佐をより強く悲しみに浸らせているのは、妻の死である。少佐の妻は肺炎にかかって、数日で死んでしまったのだ。主人公と少佐の会話の場面では、少佐は喪失に対して強い嫌悪感と怒りを示し、悲嘆にくれ、妻を亡くしたという運命を全く受け入れることができない、とむせび泣いているようすが描かれている。喜びや希望、安らぎを不条理に奪われた少佐の姿は痛々しく、戦争の酷さや悲惨さなどは取るに足らないものかのようである。

愛する者を失った男が抱える悲しみややるせなさが、簡潔に描かれた、戦争が起きている現状、戦争による喪失によって、いっそう激しく際立ったものになっていると感じる。