2015/02/14

読書記 ブレヒト 「ガリレイの生涯」

大学では今年度の講義が全て終わった。今年度は今まであまり接してこなかった分野の講義をいろいろとってきた。その中でおもしろかった講義のひとつは、「科学史」である。その名のとおり科学の歴史についての講義。先生は主に、科学界で歴史に残る人たちの人生や彼らにまつわる小話を紹介していた。私にとって科学はこれまで、数式や理論で覆われている堅くて静かで冷たいイメージだった。でもそれらを生み出した人たちの生活やエピソードを知ったら、科学が血の通ったものになった。そう、科学は血の通った人間が作り上げてきた世界なのである。科学者たちは、世の中に貢献する理論を生み出す能力と、それを活用するための努力と情熱を持っていた。でもそれだけでなく、恋愛や趣味を楽しみ、愛や嫉妬で葛藤し、利己心や自己顕示欲にも駆られる。それに科学者たちの功績は、彼・彼女たちを取り巻く人たちや当時の社会の状況も十分に作用したゆえ成し遂げられた。そんなことを十分に感じる講義だった。

先日、講義中に先生が紹介していた本を一冊読んでみた。ドイツの劇作家ブレヒトが史実に即して書いた「ガリレイの生涯」(http://www.amazon.co.jp/dp/4003243927)である。地動説を証明したガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の半生をブレヒトが戯曲にした。ガリレオが初めて夜空に望遠鏡を向けたとされる1609年から、2度の裁判(1616、1633)、そしてガリレオの最後の著作「新科学対話」の原稿がガリレオの書斎を出て祖国イタリアの国境を越えるところまでを15幕に分けて描いている。

ガリレオの生きた時代は、キリスト教会が政治的権力を有していた時代だ。人々は聖書と教会が提示する解釈がすべてだと思っていた。ガリレオは政治的な利害と人々の無知の中で、自分のために世の中のために真理を探求し続けた。2度かけられた裁判もその代償である。望遠鏡を使って天体の観測を始めたガリレオは、地球が太陽の周りを回っていることを確信し言及し始めた。しかし、聖書の記載と矛盾する地動説は教会にとっても天動説を信じきっている人々にとっても具合が悪い。地動説が普及し信じる人が増えれば、これまで同様教会組織は人々を統治しきれなくなるかもしれない。教会はガリレオを2度裁判に召集した。1度目の裁判では、コペルニクスの地動説や本が禁止となったが、ガリレオの研究を妨げるような判決は起こらなかった。しかし、地動説信奉者と天動説信奉者を議論させる「天文対話」を出版すると、ガリレオはまた裁判にかけられる。そして、前回の裁判で言及されなかった「地動説の教示の禁止」を破ったとして罰せられ、「天文対話」は禁書となる。ガリレオは、地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み、死ぬまで監視つきで軟禁を強いられることとなった。

ブレヒトが描いたガリレオは、私がイメージしていたガリレオ像とは異なっていた。そもそも私はガリレオって、物理学者で地動説を唱えて、それでも地球は動いているっていった人、くらいの知識しかなかったから、むしろブレヒトの描いたこの戯曲を読んで活き活きとしたガリレオが目の前に現れた、と言ったほうが正しいかもしれない。ブレヒトが描くガリレオは、真理を追求し周知せずにはいられず、使命感をもって研究し、真理が普及することで全ての人々は啓蒙されることを信じていた。生活資金を稼ごうと画策し、教会と折り合いをつけながら研究をあきらめないための手段を講じる現実的な思考を持ち合わせ、観測データや実験から理論を導き、自らの行動(地動説を放棄したこと)を冷静かつ辛辣に批判する理性を披露するのである。

戯曲の中のガリレオが実際のガリレオにどの程度近いのかはさておき、戯曲に書かれた当時の社会と科学との関係、ガリレオの自己批判は、「私たちは科学の功績をどう扱うのか」という問いを投げかけている。ここでそのシーンの概要を少し加えておくと、ガリレオが地動説を放棄したことで、ガリレオを慕っていた者たちは失望し怒りを抱いた。でもガリレオは新しい著作「新科学対話」を密かに完成させていて、その昔はガリレオを慕っていた来客にそれとなく持ち出すよう示唆するのである。その来客はガリレオとのやりとりで、ガリレオが地動説を放棄したのは科学を続けるためだったのでは、と考える。しかし、ガリレオはそれを否定し、客に向かって科学の目的(人間の生存条件の辛さを軽くすること)を説き、科学の知見が権力者に渡ったときに一般人たちにもたらされうる難を危惧し、自分が地動説を撤回して科学を権力者の手に委ねたことを激しく非難し始めるのだ。このときブレヒトの頭には、アメリカによる原爆投下があったのは事実である。

「科学の功績をどう扱うか」という問いは今、ガリレオの時代よりも戦時中よりも、一般人のもとに迫ってきていると思う。例えば遺伝子診断。女優のアンジェリーナ・ジョリーがちょっと前にガンのリスクを考慮して胸を切除したことが話題になり、出生前診断を行えば、胎児の染色体異常のリスクを調べることができる。最近ではいくつかの会社が遺伝子診断事業を始めた。自分だったら遺伝子診断をどう扱うだろうか。もし診断してガンになるリスクがあったら私も胸を取るんだろうか?でもどれくらいのリスクだったらそうするんだろうか?そもそもガンになるリスクを知るリスクだってある。知っといたほうがいいのか、知らぬほうがいいのか。あとで後悔しないのはどっちなのか…。ちょっと考えたくらいでは答えがまとまらない。

私は、科学の発展に多くの人が関わるようになり、科学の恩恵を多くの人が受けることができるようになっている今の時代が好きだし、否定する気もさらさらないし、今後の発展も期待している。だけどそれを自分ごととして捉え始めるとちょっと不安を覚える。

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