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2017/02/26

本レビュー 小島寛之「完全独習 ベイズ統計学入門」

少し前から気になっていたベイズ。そういえば…と思い出すたびにググり,いくつかのサイトを見てどういうものなのか知ろうとしていたのだけど,なんのこっちゃよくわからんでいつも終わっていた。まとまった時間がとれたので,それなら本でも読むかということで手にした本が,小島寛之「完全独習 ベイズ統計学入門」である。

昨日の午後から今日の午前にかけて数時間,本に載っている練習問題を解きつつ一通り最後まで読んでみたが,とてもわかりやすい。こと本書の前半部は,身近で具体的な例を使って数式ではなく図解でベイズ確率(ベイズ統計)の考え方を手順を踏んで説明し,かつ,これでもかというくらいに同じ説明を繰り返してくれるので,1回読んだだけでベイズの考え方を頭にこびりつけることができる。初学者にとってこの4点はとてもありがたい。

この本では,仮説検定(ネイマン・ピアソン統計学に基づくらしい)のプロセスも少し説明されていて,それとベイズで行う推定の違いが明記されている。仮説検定は心理学ではおなじみの統計処理である。なので私は,これまでに何度も何度も説明を聞き,本も何冊か読んでいる。にもかかわらず,よくよく頭に定着してくれない代物なのだが,ベイズ推定との比較の説明を読んで,その2つの考え方の違いに興味を惹かれた。その違いとは,「おおよそ」の解釈の違いである。

本書に記載のあったことを引用しつつ簡単にまとめると,「おおよそBであろう」の解釈は,
ネイマン・ピアソン:「リスクはあるが,Bを結論しよう」
ベイズ:「AもBもありうるが,Bのほうが可能性が十分大きいだろう」
となるらしい。

ちなみに,ネイマン・ピアソンにおけるリスクとは,間違った結論を出すリスクである。このあたり,話がやや複雑になるのだが,AとBがあってBが正しいとき,間違ってAと判断するリスクである。このリスクは有意水準によって数値化される。有意水準が5%であれば,100回のAとBについての判断(検定)のうち,5回はAと間違って結論する可能性があるということである。心理学では有意水準はたいてい5%(たまに1%)を用いるが,なんでその数値なのかは正直よくわからない(慣例的に,という説明しか今まで聞いたことがない)。とはいえ小さなリスクなので,リスクは置いておいてBと結論しよう,というわけである。いずれにしても,データを統計処理しその結果を有意水準と照らし合わせることで,結論は1つに決まる。

一方ベイズはどうかというと,結論は1つに決まるというよりも,決めるといったニュアンスが含まれているように感じられる。この場合,ベイズに基づく統計処理によって出てくるのは,AとB両方の可能性(確率)である。つまりベイズは,どっちにも可能性はこんだけあるよ!という情報を教えてくれるのみである。統計処理においては結論は留保され,どういう結論を導くかは,結論を出す人次第となる。

この2つの考え方の違いから,日々私はどうやって推測しているんだろうと振り返ってみたのだが,ネイマン・ピアソン流の解釈である「リスクはあるがBを結論しよう」タイプだと思う。とはいえ,そもそも仮説を立てていなかったり,有意水準も全く無視,ろくに計算すらしていないので,杜撰な推測か直観で結論が一つに導かれる,かっこつきの「リスクはあるがBを結論しよう」タイプである。むしろ厳密にいえば,デフォルトは「Bを結論しよう」で,リスクがあることを一応認識している場合は,「(リスクはあるが)Bを結論しよう」かもしれない。いずれにしても,一つの結論にいつのまにか決まっている。そう,直観が働くときはたいてい一直線に結論に到達しているのだ。杜撰な推測の場合も,杜撰なので寄り道をほとんどしない。だから一直線に近い。ベイズの「AもBもありうるが」の想定が,私の推測パターンに登場しないわけではない。ただ,登場しても,AとBを別々に考えてそれぞれに対してあり/なしの結論を出すので,ベイズのように,AとBの相対的な比較から「Bのほうが可能性が十分大きいだろう」などと結論することはほとんどない。この,「AもBもありうるが」という前提を想定し結論を少し留保しておくことの意味は大きいように思う。この話を読んだときにふと頭をよぎったのは,相手の気持ちの読み間違いである。相手がとった行動から相手の意図や気持ちを推測するとき,ついつい自分が知っているいろんな情報や直観からこうだ!と結論づけてしまいがちだが,「AもBも(CもDもEも…)ありうるが」ということを想定し,(さらにはそれぞれの可能性について考えをめぐらし,)結論を少し留保しておけば,無駄に悩んだり,後に非建設的なけんかをしたりすることは減るように思える。エスパーかよ,自分の直観が正しいとは限らないじゃん!と頭ではわかっているつもりだが,ついついそのことが抜け落ち,今まで不毛な言い争いをしたことは数知れず,である。ベイズ統計でそんなことを考えることになるとは思わなかった。少なくとも,「AもBも(CもDもEも…)ありうるが」と想定しておけば,余裕をもって相手と向き合うことができるだろう。

ベイズ確率の考え方を理解できたという点で,本書は私には有益な本だった。本書の後半部分は,数式や分布図が登場して前半部よりも難しくなる。そのあたりは理解が中途半端なので,復習しておきたい。

2017/01/29

単語練習が嫌なのは分かるんだけど…

塾で英語を教えている生徒のあるあるの1つは,英単語の練習ろくにしないことである。毎回のように単語練習をしようと言い,テストもやり,単語は一回覚えてもすぐ忘れちゃうから何度もやらないと定着しないよと言い続けても,なかなかこつこつ練習してくれない。塾で英語を教えてお金をもらっている以上英単語をやらせないとと思うのだが,なかなか生徒の心を動かすことができない。

単語練習をやりたくないという気持ちはよく分かる。今私はドイツ語を学んでいるが,私だって単語練習はしたくない。単語練習なんて退屈だし,面倒だ。生徒になぜ単語練習をしないのか聞くと,時間がなくてと答えるが,他のことをする時間はあるのだから,要は,単語練習には他のことよりも魅力がなかったというだけのことであろう。その点は共感する。

とはいえ,言わずもがなではあるが,単語を多く知っていることは語学においてメリット大なのだ。というよりも,単語を知らないことは語学学習の足かせでしかない。単語が分かっていれば,たとえ文法がごじゃっていたとしても文意を汲むことはなんとなくできるのだ。そうすれば問題も解ける。

そんなわけでここ数ヶ月,自分がこれまでやってきた単語練習法を参考に,取り組みやすい単語練習方法を生徒に提案してみている。私はこれまでいろいろな方法で単語を練習してきたが,単語を発音しながら数回書き,それを毎日一定期間続けるというのがいちばん効いているように思う。この作業は1日に長時間やる必要はなく,10分,15分とかでかまわない。でも毎日やることが大切である。そうすると,否が応でも自然に大体覚えていくものである。もし書く余裕がなかったら,やはり1日10分,15分でもいいから,どうしても無理なら数分でもいいから,単語帳をパラパラと眺めることをするのでもよい。でもやはり重要なことは,同じページを一定期間毎日眺めることである。

提案をした生徒たちに後日,単語練習の状況を聞いてみた。やはりそうよねというべきか,大方の生徒はアドバイス通りに実行してくれていない。さらに話を聞いてみると,結局のところ,毎日やるということ,つまり繰り返し練習するということができていない。1日数分でも難しいか…。繰り返し練習をすることに魅力を感じてもらうためにはどうすればいいのかを考えねばならないのかもしれない。

2017/01/28

1ー3月期の楽しみ,アニメ「昭和元禄落語心中」

毎週金曜の深夜,アニメ「昭和元禄落語心中」http://rakugo-shinju-anime.jp/)が放映されている。昨年の1月―3月期に放送されていたのの続編なのだが,私はこのアニメのファンで,昨年に引き続き今年もはりきって観ている。

「昭和元禄落語心中」と出会ったきっかけは,おととしの年末頃に本屋さんで原作の漫画を立ち読みしたことだ。アニメ放映記念で,一話分の小冊子が置いてあった。落語はなんとなく興味があったし,タイトルにも惹かれて早速読んでみると,こりゃおもしろい!となり,家に帰って即録画予約したものだった。

少しストーリーを紹介すると,主人公は刑務所帰りのお兄ちゃん(与太郎)なのだが,刑務所の慰問で聞いた落語「死神」をいたく気に入って,その落語家(有楽亭八雲)に弟子入りしようとするところから話が始まる。その後のストーリーは与太郎の落語家への成長記録かと思いきや,八雲の半生の話がスタートする。昨年のアニメはここを描いたものだったのだが,彼と彼の人生に深く関わった人たちとの人間ドラマが楽しくもあり,切なくもあり,やるせなくもありで一言では言い表せない気持ちで観ていた。とても引き込まれた。また,彼らの寄席の場面や練習の場面で毎回のように流れる落語を聞くのも好きだった。落語家の人たちの生活,落語の練習風景,昭和の戦前戦後にかけての大衆文化としての落語の雰囲気など,アニメを通してなんとなく知ることができて,私も寄席に行ってみようと,昨年は2つ寄席に足を運んだ。

今放送中の話は,与太郎がついに真打になったところから話がスタートしている。与太郎には家族ができた。八雲さんは厭世感が昨年よりも増しているが,色気は健在である。若き頃の八雲さんは美しかったが,今の少し渋めの雰囲気も嫌いではない。これからどう話が進んでいくのか楽しみだ。

2017/01/27

BOTでお話?

このブログでたびたび登場している我が愛用スマホゲーム「イケメン戦国」が,おととい新サービスをリリースした。その名も「織田信長のイケメン天気予報」。LINEアカウントを友だち追加し,場所や時間を設定すると,織田信長が毎日天気を知らせてくれる。また,トークで話しかけると,内容に応じて(ある程度)お返事してくれるのだ。早速友だちになって試してみたが,これがけっこう面白い。

どんな感じかを伝えるために,本当はLINEの画面のスクリーンショットでも貼りたいのだが,運営側からしないでくれとのお達しがあるので,実際の画面を見たい方は,運営会社が出したニュースリリースを見てほしい。http://www.cybird.co.jp/wp-content/uploads/2017/01/20170125final_02.pdf

このサービスの気に入りポイントが2つある。1つは,「イケメン戦国」に登場する武将たちのミニキャラがやっているところだ。ストーリーに登場する,山田シロ先生の美しい絵の武将たちも好きなのだが,私はこのちょっとおとぼけた感じに見えるミニキャラたちも好きなのだ。なぜって,とても可愛いから。天気予報と一緒に,知らせてくれる天気と(多分)関係のあるイラストも毎回くれるのだが,なんとういうか,見ていると心がなごむ。
もう1つは,何か話しかけると,「イケメン戦国」内でのキャラ設定を活かしつつ,お返事をくれるところである。一例はやはり上のリリースを見てほしいのだが,基本はキュンとするお返事をくれる。実はこの手のサービスは,以前マイクロソフトのAI「りんなちゃん」で試してみたことがあるのだが,「りんなちゃん」とはどうも反りが合わず,よくイラッとさせられていた。また,小学館がやっている,少女コミックの男性キャラからお返事がもらえる,というのもやったことがあるのだが,お返事のバリエーションが少なすぎてすぐ飽きてしまった。それらに比べて信長様は,まだ私をイラッとさせていないし,お返事もけっこうバリエーションがある雰囲気だ。こういうサービスは,ユーザーが送った言葉に含まれる特定の単語に特定のお返事が紐付いていて,それを返してくる,という仕組みになっているのだと思われる。だから,どんな言葉を入れるとどんな返事が返ってくるかを少し試してみている。現段階では,挨拶系や「好き」や「ちゅーして」などの恋愛系の言葉,「目玉焼き」や「コーラ」などの特に意味のない言葉,信長が好きだという「金平糖」などを入れてみたが,明確なパターンらしきものはまだ見い出せていない。全く関係のないお返事をくれることもしばしばだが,そこまでの技術は利用していないということだろう。それに,必ずお返事をくれるので,そこは楽しみだ。長ったらしい文章は入力していないので,時間があるときに今日の出来事でも送ってみようか。そうしたらどんな返事が返ってくるのだろう。ある程度の字数を超えたり,指定単語が複数入っているときには,デフォルトお返事みたいなものがあるんだろうか。

ここでふと思ったこと,私はこのBOTで話をしているんだろうか?私が何か発言を送り,BOTがその発言から単語を拾って,何かを返す。ってことは私は誰とも話はしていないのだろう。でも,届くお返事は,信長のキャラ設定にもとづいて人が作ったもので,あたかも「イケメン戦国」の信長と話しているような気分になる。ってことは,私の頭の中の想像の世界では,実際に話しているとも言える。今後もこの手のサービスは増えてくると思われるが,どんなふうにみんなは感じるのだろうか?

2017/01/26

人を知るのが面白い

半期間,近世哲学史の講義を受講していた。この講義では,カント以降のドイツ圏の哲学者を中心に,毎回1人ずつ紹介していくというスタイルで行われていたのだが,哲学者たちの思想内容だけでなく,哲学者自身を知れるエピソードや,当時の時代背景の話もふんだんに盛り込まれていたのがよくて,毎回楽しみにして参加していた。

私は基本的に,人が残したモノよりも,その人がどう生きていたのかに興味がある。数年前に科学史の講義を受けたときもそうだった。科学者たちの偉大な発見よりも,科学者たちの生活や,人間臭いところなどについ目が行ってしまっていた。アインシュタインとミレヴァ・マリッジの関係や,キュリー夫人の恋愛騒動,ワトソンとクリックの二重らせん構造の発見に裏にあった,ロザリンド・フランクリンの無念さなどをその講義で知ったが,そういったいかにも人間らしいところに親近感を覚え,偉大なことを成し遂げた人たちに親しみを持ったものだ。

今回の哲学史の講義でも,哲学者たち自身にまつわる話がけっこう出てきた。ナポレオンに強く影響されたフィヒテや,ヤスパースとハイデガーの友人関係とその崩壊,カントはなぜコスモポリタン的な思考を持てたのか,ショーペンハウアーのやりきれなさなどを聞くと,頭の良い人が何やら難しいことを言っている,という感覚が薄れ,哲学者たちとの距離が縮まる感じがする。ときには,普通のおっちゃんと変わらんがなと思ったりして,とっつきやすくなる(彼らの思想や主張は結局難しいままではあるのだが…)。

偉大な発見も,哲学分野での主要な思想も,それらが生まれるためのワケがある。私はそのワケに興味がある。なんでその人はそんなことを考えられたのか,なんでそんな行動をしていたのか,そういうのを知るたびに,人間の面白さや深さ,醜さを感じるし,愛おしい気持ちになったり,悔しさを感じたりする。

2017/01/25

身体メンテナンス

ここ1年くらいだろうか,自分の身体のことをちゃんと考えるようになった。今日は調子がいいとか,○○が痛いとか,体が重いとか,疲れがたまっているとか,自分の身体のモニタリングはもちろんのこと,体調を保つために予防するとか,具合が悪くなったときには早めに対処するとか,そういう基本的なことを疎かにしないようになった。

「体が基本」,全くそのとおりである。そんなことは昔からよく知っているのに,今思えば20代の頃は自分の体をいたわるという感覚をあまり持っていなかった。そこまで無茶なことをしていた記憶はないが,そんなに体のことを気にかけなくても普通に生きていたし,特に何かしなくても健康なんて当たり前!的な感覚だった。私より年齢が2,3歳上の友人が一足先にアラサーに差し掛かったとき,髪や肌がいかに昔と違うかの話をしていたが,そんなのはどこ吹く風といった感じで,自分にはあまり関わりがないような気さえしていた。

しかし私も年を重ねたからだろうか,最近は20代の頃に比べて,自分の体の変化を気にするようになった。というより,気にせざるを得なくなったといったほうが正しいかもしれない。些細な故障/違和感がよく起こり,気づかずにはいられなくなった。そして,早々に対処するようになった。なんかいつもと調子が違う,頭が重い,お腹が痛いなど,少しでも違和感があると感じたら,速攻対処である。まずは原因を考える。原因は思い当たることが多いのだが,原因が分からなくても,痛みであればほっとかずに常備薬の鎮痛剤で対処する。そして調子が回復するまでは,あまり無理はしないようにする。それから今の時期は,抜かりのない防寒対策を心がけ,体を冷やさないように注意しているし,うがい手洗いも欠かさない。また,週1ペースで行っているジムはもともとダイエットのためだったけれど,今はもはや体力維持のためといってもさしつかえないだろう。それに,必要があれば病院にもすぐ行くようになった。例えば風邪を引いたとき,寝て治したり市販のかぜ薬でどうにかしようとしていたこともあったけど,病院の薬がいちばん効くことを学んだから,面倒くさがらずにさっさと行くようになった。私はできものができやすい体質ゆえ,皮膚科にもそれなりに行っている。それに最近は検診系も行っとくか,という気になっている。先日は,自治体からもらった無料クーポンで子宮頸がん検診に行ってきたし,近々歯の検診にも行こうかと考えている。痛くならなきゃ行く必要ないとずっと思っていたが,歯もメンテナンスが必要であろう。こうして改めて書き出してみると,ほんとに超基本的なことばかりだが,多分そういうのが一番大切なのだと思う。最近は外反母趾が痛み出しているので,これもいずれはどうにかしたい。

1つしかない私の身体。長いことよく動いてくれるよう,日々の手入れを大切にしたいものである。