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2015/04/26

英会話の功罪

大学で勉強するようになってから、英語の文献をしょっちゅう読まなければならなくなった。指定された英語文献の逐語訳の発表や、その文献に書かれている内容の解説を授業で行うから、文献の内容を頭に叩き込んでおかないと授業に出てもあまり意味がない。このときに要求される能力は、文献の内容を正確に理解する能力である。文献全体の内容を大まかにつかむ、というのでは確実に不十分だ。そして私は精読が苦手なのである。

これまでに何度か英語との付き合いをこのブログに書いているが、私は英語が好きだ。好きだからそうしたのか、そうしたから好きになったのか、とにかく私は英語力を高めるのにこれまで多くの時間を費やしてきた。だからそれなりに英語を読んで書けるし、英語でのコミュニケーションに特に抵抗もない。しかし精読と逐語訳はどうも苦痛である。

精読と逐語訳が苦痛な理由は、慣れていないかつ、面倒だからである。英語は継続的に何年も学んでいるが、高校の受験対策以降、英文の精読および逐語訳をほとんどやっていない。でもこれには理由がある。私が大学に入って英語の再学習を始めたのは、あくまで英語の聞く・話す能力(英会話力ともいえる)を高めたかったからである。英会話力を高めるのに精読や逐語訳は必要ないし、むしろ妨げになるとさえ思っていた。それは、会話には流れがあるからだ。相手の言っていることを即座に理解し、それに対して意味のない間をとることなく返答する、これができるようになりたいと思っていた。だから英語を英語のまま理解することをかなり重視し、会話中日本語を排除することを意識してきた。そのかいあってか、「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」ことがある程度できるようになった。

しかし、私はこの能力を重視しすぎたために、読む・書く能力がいまいちになっているのでは、と最近感じている。会話で力を発揮してくれている、「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」スキルは、ネイティブ並のものでは到底なく、読む・書く能力(英語ネイティブ向けに書かれた記事や本を読む、英文エッセイを書く)が求められる状況ではそれほど役に立たないのである。例えば、読むにおいては、文章の大体の内容はとっさにつかむことができるが、細かい内容をある程度の早さで把握し、理解することができない。ある程度の早さを持って読もうとすると混乱するし、内容を間違えて把握していることが往々にしてある。間違える理由は大体、辞書を引いて確認しなかった/文の構造を間違えて把握した/指示代名詞が指すものの取り違え、である。精読せざるを得ない状況に最近なって初めて、自分の大雑把な(適当な)内容の把握っぷりに恐ろしくなった。そして電子辞書にありがたみを感じ、「成句検索」という便利が機能があることを知った…。書くにおいては、英語だけでは複雑なことが考えられず、思考が薄っぺらくなるからである。日常会話よりも書くときのほうが断然、内容の明晰さや論理的な流れ、文構造の正しさ、適切な言葉を適切な位置に配置すること、などが求められる。決して会話の価値を低く評価しているわけではないが、英語でエッセイを書くのは相当な時間がかかる。

結局私が苦手なのは、これまでやってこなかった英語⇔日本語の変換作業である。和訳するにしても英訳するにしてもぎこちない文章になりがちだし、時間がかかる。もちろん理想はかねてから私が目指していた「英語を英語のまま理解し、日本語で考えることなく英語で返答する」スキルを高いレベルで持っていることである。しかし、そこに至るには英語⇔日本語の変換作業を繰り返し行うことは避けて通れない、という結論に至った。なぜなら私は、日本で生まれ育ち、日本語を使って思考するのが自然な人間だからである。ということで、前置きが長くなったが、面倒くさがらずに、そして忍耐を持って、英語⇔日本語の変換作業を続けていこうと思う。