※このテキストは、大学の「認知心理学」の講義(2015年度前期)に最終レポートとして提出したものをリライトしたものである。
「ちゃんと覚えたはずなのに思い出せない」「相手に話したと思っていたのに実は話していなかった」など、記憶のあいまいさが露呈する出来事は日常生活でよく起こる。先日映画を見たときもそのような出来事が起こった。映画「ブレードランナー」を見ていたのだが、この映画には折り紙で折られた動物が登場する。登場人物の1人が訪れた場所で折り紙を折り、作ったものを置いていくのである。私は映画を見終わったあと、前にその映画を見たことがある友人と、折り紙の動物について話をした。映画のラストシーンで登場した折り紙の動物は何だったか。私は、それは確か鶴じゃなかったかな…と思った。しかし友人は、鶴じゃなかったはずと言いつつ思い出せない様子。実際にラストシーンをもう一度見てみると、四足で額に角の生えた動物、ユニコーンだった。私たちはラストシーンで折り紙の動物が登場したことを認識しており、しかも動物は画面に数秒間映っていたから、覚えるには十分な時間だったはずである。さらに、その動物は明らかにユニコーンだと分かる形態をしていた。それなのに私たちは2人とも正確に記憶していなかった。記憶の過程で何らかの失敗が起こったのである。そこで、これまで認知心理学で提唱されてきた理論を元に、記憶の失敗について考えていきたい。
記憶の2つの考え方
まず、記憶の失敗を考えるうえで指針となる考え方を2つおさえておく。1つは記憶の3つの段階である。記憶とは、刺激を取り入れて記憶痕跡に変換、貯蔵し、その記憶痕跡から情報を取り出す一連の過程を指す。それぞれの段階は、符号化、貯蔵、検索と呼ばれている。記憶過程の3つの段階に沿って上記の出来事を分解すると、折り紙の動物が登場するラストシーンを見て記憶するのが符号化の段階、見終わったあとに折り紙の動物が何だったかを話すまで記憶を保持していたのが貯蔵の段階、記憶をたどって情報を取り出し、何の動物だったかについて話すのが検索の段階といえる。
記憶についての基本的な考え方のもう1つは、AtkinsonとShiffrinが提唱した記憶の三重貯蔵庫モデルである。どのくらいの時間記憶を保持しておくことができるかという点から記憶を分類したもので、1秒以内のごく短い時間保持する感覚記憶、数秒間記憶を保持する短期記憶、数分から数年にわたっての長い時間記憶を保持する長期記憶の3つに分けられる。感覚記憶は、環境から感覚器官を通じて取り入れたすべての刺激を貯蔵する場所と考えられている。一時的に保持された感覚記憶のうち、注意が向けられた情報のみ短期記憶に移行する。つまり、意識が向いている情報が短期記憶に貯蔵されるということである。さらに、短期記憶でリハーサルされた記憶や、何らかの意味を持たせる、視覚的表象と対応させるなどして精緻化された記憶は、長期記憶へと移行する。長期記憶の容量はいくらでも増やすことが可能である。記憶の三重貯蔵庫モデルを使って上記の出来事を解釈すると、まず感覚記憶においては、見た映画のラストシーンの情報がすべて符号化、保持されている。そして保持された感覚記憶のうち、注意を向けていた情報のみが短期記憶へと送られ、そこで符号化され保持される。そして保持された短期記憶のうち、特に印象的だった情報や何度も思い返したりした情報、思考対象となった情報が長期記憶へと送られ、符号化、保持される。短期記憶、長期記憶へと送られる情報は、登場した人物やもの、背景、流れていた音楽など、映画のラストシーンに関するあらゆるものが考えられる。そして、何の動物だったかの話をしているとき、長期記憶に保持されている情報が検索されるのである。
私も友人も、何の動物だったかの正確な記憶を持ちあわせていなかったわけだが、これは短期記憶や長期記憶において、符号化、保持、検索のどこかの段階で何らかの失敗が起こったからだと考えられる。言い換えれば、感覚記憶から短期記憶、長期記憶へと移行し、情報が言語化されて取り出される過程で、そもそも正確に符号化されていなかった、符号化された記憶を忘却してしまった、貯蔵されていた記憶を適切に取り出すことができなかったなどの失敗が起こっていたということである。これらについて詳しく見ていこうと思う。
符号化段階における失敗
まず短期記憶における符号化の段階では、そもそもその情報に注意が向けられていたかどうかが重要である。注意を誤ると符号化される情報が異なり、思い出したい記憶を思い出せないということになるからである。注意の機能的特徴は選択性と有限性である。私たちは常にたくさんの情報の中から認知する情報を取捨選択し、限られた注意資源を、認知した情報に対して必要に応じて分配しながら生きている。どのような情報を選択し、どのように注意資源を分配するかについては個々人によって異なるものの、私たちは環境からの刺激に対して能動的に関わっている。このことは、Baddeleyによってワーキングメモリという概念を使ったモデルでも示されている。ワーキングメモリとは短期記憶における情報処理の側面を強調するニュアンスが含まれた構成概念である。ワーキングメモリは、言語情報を保持したり操作したりする音韻ループと、視空間情報を保持したり操作したりする視空間スケッチパッド、さらに音韻ループと視空間スケッチパッドでの情報処理を互いに関連付けるエピソードバッファー、そしてこれらの下位機構の情報処理の制御に関わる中央実行系から成るとしている。これらのことから、適切な情報に対して適切な処理資源の配分、および適切な貯蔵や操作がなされないとき、記憶の失敗が起こりやすくなるといえる。
符号化における失敗としてもう1つ考えられるのは、符号化する際にどのような解釈が加えられたかということである。これにはスキーマが関わっている。スキーマとは、事物を認知したり理解したりするうえでの枠組みのようなもので、これまでに経験してきた出来事や事物の一般的な展開や状態に関する知識などから構成される。外部からの情報を認知し記憶する際、このスキーマから逃れることは不可能である。出来事がスキーマに基づいて解釈されるとき、事実とかけ離れた内容で符号化されてしまうと記憶の失敗が起こることになる。
スキーマは符号化の段階だけでなく、貯蔵、検索の段階でも記憶に影響をおよぼすことが知られている。いくつかの実験で、経験した出来事がスキーマと一致しているか、逸脱しているかによって記憶が影響を受けることが明らかになっている。AlbaとHasherは、選択(事実に含まれるあらゆる情報の中からスキーマに沿った情報を選び記憶痕跡を形成する)、抽象化(経験した出来事の詳細が失われ、一般的なスキーマに含まれている情報が保持される)、解釈(スキーマに基づいて事実が解釈されることで、不明瞭な部分の明確化、欠落部分の補完、複雑な部分の簡略化が起こる)、統合化(事実とスキーマ、解釈が統合され、それぞれの区別がつきにくくなる)、検索(スキーマに沿った情報が検索されやすくなる)の5つをスキーマの記憶への影響として挙げている。
感情も符号化の段階で記憶過程に影響を及ぼすことが知られている。Christiansonが提唱した、注意集中効果と呼ばれるものがその1つで、感情を喚起するような衝撃的な出来事、重大な出来事を目撃したとき、感情を喚起させた中心情報の記憶は促進されるが、それ以外の周辺情報の記憶は抑制されるというものだ。これは注意資源が感情を喚起させた中心情報により配分されることによって生じるとされている。つまり、記憶の失敗が起こった場合、その記憶へと変換される前の元の刺激は、強い感情を喚起するものではなかった可能性がある。
貯蔵段階における失敗
貯蔵段階では忘却による記憶の失敗が主である。まず短期記憶においては貯蔵できる記憶の容量は限られている。記憶範囲はチャンク数で7±2個が短期記憶の限度とされている。そして、短期記憶に貯蔵された情報は後続処理(リハーサル)が行われなければ忘却してしまう。忘却は、時間の経過とともに記憶痕跡が消失すること、短期記憶に新しく入ってくる情報によって先に貯蔵されていた情報が置き換わることによって起こる。一方、長期記憶においては貯蔵できる記憶の容量に制限がない。よって私たちが忘却とみなしているほとんどは、適切な情報を検索し損なうことによるものだと考えられている。
検索段階における失敗
検索段階における失敗は、主に長期記憶に貯蔵されている記憶に対して起こる。失敗の要因は、適切な検索の手がかりが見つけられないことと、思い出そうとする記憶に、検索の際にはたらく前後の記憶や感情、検索手がかりなどの要素が干渉することである。適切な検索の手がかりの有無による検索の影響については、被験者に単語を記憶してもらう実験で、再生テストの際に適切な検索手がかりが与えられたグループは、与えられなかったグループよりも多くの項目を再生したという結果がTulvingの行った実験によって示されている。このことから、記憶実験において再生検査よりも再認検査のほうが良い成績になりやすいのは、被験者に検索の手がかりが与えられるからだといえる。
検索の手がかりは、検索しようとする記憶と関わりのある事物だけではない。検索しようとする記憶が符号化されたときの状況や状態などの文脈も手がかりとなることが実験で明らかになっている。GoddenとBaddeleyは、単語の記憶実験で被験者を2つのグループに分け、片方には海岸で、もう片方には海中で単語学習をさせた。その後それぞれのグループをさらに2つの小グループに分け、片方には海岸で、もう片方には海中で再生検査をした結果、単語学習をした場所と再生検査をした場所が一致していたグループは、そうでないグループよりも多く再生できたという。また、Eichは、マリファナの影響下にある被験者とない被験者に単語を学習させた後、それぞれの被験者にマリファナの影響下にある状態、ない状態で学習した単語の再生検査を実施した。この実験でも、学習時と再生時に同様の状態にあるほうが同様の状態にないほうよりも単語の再生量が多くなったという。
検索段階の干渉にはいくつかの種類がある。1つは、記憶間で干渉が起こるパターンである。検索しようとする記憶に対して、その記憶よりも後に符号化された記憶が干渉することを逆向干渉、その記憶よりも前に符号化された記憶が干渉することを順向干渉という。先の出来事を例に挙げれば、ラストシーンより後の刺激(例えばエンドクレジット、友人と感想を言い合ったことなど)によってラストシーンの記憶が干渉されていたなら逆向干渉、ラストシーンの前の刺激(例えば折り紙の動物を残していった人物が、それ以前のシーンで折っていたもの、ラストシーンに至るまでのストーリー展開など)によって干渉がおこっていたなら順向干渉ということになる。
感情も記憶の検索に干渉する。Holmesによれば、不安や恐怖などの否定的な感情によって検索しようとすることとは無関係な考えが喚起され、その考えが検索に干渉し、記憶の失敗が起こるのである。
以上、記憶過程において何が記憶の失敗をもたらしうるかについて見てきた。記憶の失敗は、記憶の符号化、貯蔵、検索の段階で、注意の選択性と有限性、スキーマに基づいた解釈、不十分なリハーサルによる忘却、適切な検索手がかりの欠如、他の記憶や感情による干渉によって生じる。
これらをふまえて先に述べた出来事についてもう一度考えてみたい。私と友人は、記憶のどの段階でどんな失敗を犯したのだろうか。私はこの問いに対して明確な答えを出すことができない。なぜなら私が今はっきり自覚しているのは、折り紙の動物が何だったか2人とも覚えていなかったという事実だけだからだ。その時のことをある程度覚えているにしても、記憶の不安定さを知った今となっては、内容が不確かのように感じる。しかもこの出来事は日常の一コマであり、記憶に関する実験のような統制が全く行われていない。この状態でどんな失敗かを明確にするのは不可能と思われる。
しかしあえて私がどんな失敗を犯したのか推測するならば、鶴だと記憶していた私は、符号化の段階で失敗した可能性が高い。折り鶴は、日本人のほとんどが最初に思いつくだろう折り紙で折られる動物である。私がラストシーンで折り紙の動物を見たとき、その動物にあまり注意が向いていなかったためスキーマによって誤った解釈を行い、そのまま保持された、もしくは見た瞬間にスキーマによる解釈が働いてしまったために、折り紙の動物に十分な注意が向かず、誤って符号化、保持されたのかもしれない。感情による干渉という点から考えれば、折り紙の動物は日本の文化になじんでいる私にとっては見慣れたものである。だから折り紙の動物を見たとき、強い感情は特に喚起されず、符号化に失敗したのかもしれない。また、ブレードランナーのストーリーは単純明快ではなく、映画の冒頭から話の展開についていくのに必死だったため、ラストシーンでは利用できる注意資源がほとんどなかったからなのかもしれない。さらには、逆向干渉による記憶の失敗も考えられる。映画を見終わった後、友人と映画のストーリーや印象に残ったシーンなどを話した後、折り紙の動物の話になった。友人との会話の記憶が干渉し、折り紙の動物が正しく検索されるのを妨げたのかもしれない。
起きてしまった記憶の失敗を検証することは困難であるが、記憶の不安定さや、どのようにして記憶の失敗が起こるのかを理解しておくことは、日々生活していくうえで役に立つと感じている。
参考資料
中島義明ら編「心理学辞典」
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渡部保夫監修「目撃証言の研究―法と心理学の架け橋をもとめて」
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福田由紀編「心理学要論―こころの世界を探る」
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Susan Nolen-Hoeksema, Barbara L. Fredrickson, Geoff R. Loftus, Willem A. Wagenaar,内田一成監訳「ヒルガードの心理学」
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