自己紹介

自分の写真
オンラインで英語個別指導します https://yokawayuki.com/service

2017/01/03

のびのびと

「YOUは何しに日本へ?」の再放送を今朝見ていた。私はこの番組がけっこう好きだ。録画して見ることはないが,テレビをつけたときにたまたまやっていると,大体この番組を見ている。この番組に出てくるYOUを見ていつも感じることがある。なんて彼らはのびのびしているんだ!ということだ。インタビューや密着映像から伝わってくる彼らからは,したいことをおもいっきりしてエンジョイしています,という様子がよく伝わってくる。何と言ったらいいのか,説明が難しいのだけれど,せこせこした様子はなく,日本でのいろいろな出会いを楽しみ,その楽しさや感動を率直に表現し,常に自然体に見える。当の彼らが内心どう感じているかはもちろん知る由もないが,のびのびと生きているように見えて仕方がない。そして私は,彼らのそんな雰囲気にちょっと憧れるのである。

人が何かに憧れるのは,その対象を持っておらず欲しいと思っているからである。そうすると私は,彼らから伝わってくるのびのびとした感じを持っていないけれど欲しているということになる。実際,自分で自分を眺めてみると,窮屈な生き方をしていますね,と思うことがよくある。誰かに何かを強制されているわけではないし,むしろ,好きにやりなさいと言われているのに,自由じゃないとか,何かに囚われているように感じることがある。なんでそんなことを感じるのか。人から明確に何かをせよと言われていないのであれば,自分で自分にかけているものあるいは,自分が思っている常識が原因であろう。こうしなくちゃいけないとか,こんなんできるはずないとか,こうしないとおかしいだろうとか,常識や自分の力と照らし合わせて,日常生活で無自覚に自分にブレーキをかけてしまっているからじゃないだろうか。言うなれば,無難で(おそらく)安全な人生を送るためのブレーキである。

今年は,このブレーキをを弱めていこう。まずは,したいことについて想像力を働かせていくことをしよう。昨日,両親がしたいことをはっきり言わないという話を書いたが,私もその素養を引き継いでおり,したいことがぼんやりしていて,たいていのしたいことは,”どうしても”ではなく,”できたらいいない”とか”なんとなく”のレベルなのである。それではしないほうへと流れていってしまう。こうしたらもっと楽しいんじゃないだろうか,これが足りないならどうにか手に入れてみようかと,想像をふくらませて加えていくことをしていこう。

2017/01/02

初めてだらけのお正月

今年のお正月は,初めてのことがいくつかあった。昨日の家族そろっての初詣に続き,今日も3つの初めてがあった。今日はそれらについて書いてみたい。

今年我が家は,初めて福袋を買いに出かけた。昨年の暮れの頃,いきなり父が今年は福袋を買いに某デパートに行こうと言いだした。うちの両親は出不精,かつ「福袋には大したものが入っていない」という思い込みで生きてきていた人たちなので,父がそんなことを言いだしたと母から聞いたときはビックリした。一体何が起こったのか,と。それで本日早起きして,買い物に出かけた。デパートに着いたのは開店40分くらい前。車を停めて,デパートの入り口に向かうも,しばし迷ってから開店を待つ人々の行列に合流。配布されたチラシを見つつ,どこに向かうかを思案する。私自身,特にこれといって欲しい福袋はなく(しいて言えばワインの福袋くらい),言い出しっぺの父に何か欲しいものがあるかを聞くも,「おまえが行きたいところに行けばいい」と…。うーん…特にないんだが。で,母に聞いてみても「お母さんはいいや~」と…。一体何しに来たんだ?状態であった。そうだ,うちの両親はいつもそうである。欲しいものや行きたいところをはっきり言わない。そんなこんなで開店となり,いざ売り場へ。とりあえず,入り口で入ったフロアで売っていた福袋へと向かう。紳士用パジャマの福袋,タオルの福袋,婦人用パジャマの福袋などを見て回り,タオルと婦人用パジャマの福袋を購入。我が家で初めて買った福袋である!ちなみに,タオルも婦人用パジャマも,福袋に入っている商品の合計金額の約1/4の価格で福袋を売っていた。帰宅後,みんなで福袋を開けてみた。母的には,福袋の中身をあまりお気に召さなかったようであった・・・(汗)

続いての初めては,今年はいつも行く親戚宅に新年のご挨拶に行かなかったことである。今年の元旦と2日は互いに都合がつかず,両親は今週のどこかで親戚宅に行くと言っていたが,私は自分の家に戻るため,行けないこととなった。私は親戚宅に行って,みんなで話ながらご飯食べたりお酒を飲んだりするのが好きなので,正直残念だ。親戚の家でふるまわれる日本酒がちと恋しい。

そして最後の初めては,父とカラオケに行ったことである。カラオケに行こうかという話題は,これまで帰省したときに度々出ていたことなのだが,いつも話だけで終わっていた。しかし今日はついに実行に至った!前から思っていたが,やはり父は歌がうまい。昭和の歌謡曲や演歌を歌っていたが,こぶしがきいているし,声も出ているし,良い感じだ。昔も今も歌好きの父。私が音楽好きになったのは,小さいころから父が歌うのを聞いていたからかもしれない。気恥ずかしさもあったが,私も歌った。父が知ってそうな,それでいて私がよく知っている90年代~2000年代前半の歌をチョイス。私の歌は,音程はそれほど外さないのだが,表現力が高くない。表現力ってどうしたら上がるのだろう?父からのアドバイスは,強弱つけて歌ったら?とのことだった。要練習である。

そんなわけで,今年のお正月は両親といろんな初めてを経験したお正月であった。例年よりも少し新鮮で,家族での時間を大切に感じたお正月であった。

2017/01/01

2017年明けました

2017年明けまして,家族と初詣に行ってきた。地元の神社にも人はたくさん。お参りするのに並んでいると,前から後ろからなまっている話し声が聞こえてきて,なんとなくほっとする。それに,家族で初詣なんて30年生きてきて初めてだ。

 

お願いしたことは,私と私の周りの人達が今年も一年無事に過ごせますように,ということ。健康ならなんでもできる。今年は私が厄年のようなので,私も家族も用心するに越したことはない。

本年の New Year's resolution をば。
テーマは,「強く,たくましく,かっこよく」で。素直な自分を認めていく年に,守ってばかりいないで攻めていく年に,責任を取る年に,脱いい子ちゃんの年にするべく,邁進していきたい。

2016/12/31

2016年を振り返る

2016年を締めくくるにはやはり今年の総まとめ。今年はどんな1年だっただろう。

そういえば今年はあわただしく幕を開けた。ヨドバシカメラの初売りでスマホを買うべく大みそかの明け方から行列に並び,いろいろあって買えなかったのを,友人が交渉してくれて買えることになり,その足で実家に帰宅と,初日からとばし気味の年明けであった。

今年のハイライトは,1月に30歳になったことだ。数年前,30代になることを嫌だ嫌だと思っていた自分がこと,ついに三十路になってしまった。ついに三十路か…と感慨深く思いつつも,年齢が重くのしかかってきた。30歳,もう若くないのにこんなこともできていないとか,労働力としての市場価値と婚活市場での価値がどんどん落ちていくことの怖さとか,そんなことを感じまくった年だった。というか,30歳になったことの喜びや嬉しさ,感謝は感じなかったのか…? ―正直感じなかった。

研究発表をしたことも今年のハイライトの1つ。このブログでも書いたが,今年の3月,初めての学会発表を経験した。そこでは私の研究の未熟さを再認識することとなったが,他にもいろいろなことがあった。例えば,発表の練習というものをこのとき初めて行った。これまで学校やそのほかの場所で何かを発表する機会はあったが,基本的にはどうにかなるだろうと精神で行き当たりばったりで臨んでいる。さすがにそれではいかんと,原稿書いて時間も測って練習したわけだが,本番でうまく発表できたかというとそうでもない。しかし少なくとも,自分で自分が何を言っているのかよくわからなくなるということはなかった。また,発表のためにパワーポイントで資料を作ったのだが,これがなかなかうまくできた!けっこう手間暇かけて作ったこともあって,パワポ資料作りおよび図解するときのコツをつかんだ。

3月は,欲と誘惑と外圧に屈した月でもあった。この選択が良かったのかはいまだによくわからない。

今年の夏はよく働いた。塾の夏期講習で通常月の2倍は稼がせていただいた。そのおかげで生活資金は潤うこととなった。しかしその一方で後悔もある。夏休みにあまり勉強しなかった。たくさん働いてはいたが,勉強する時間をとることはできた。でもついついのんびり&だらっとしてしまい,当初予定していたことはやらなかったし,研究もろくに進めなかった。夏のよき思い出は,友人たちと花火大会に出かけたこと,初夏に受けたTOEICが過去最高得点であったこと,「シンゴジラ」がすごく面白かったことである。

夏休みが終わり,10月から後期が始まり,そこからはあっという間に一日一日が過ぎていった感がある。本当に毎日が早い。印象に残っていることは,東京学芸大学の文化祭に友人と遊びに行ったこと。アクティブラーニングについて教わった。それから,11月に行った第九のコンサート。演奏も素晴らしかったが,指揮者の女性がとても魅力的であった。うまくいかないこともあった。秋から冬にかけていくつか目標を立てたが,ブログを毎日更新すること以外はすべて頓挫している。

そして大みそかの今,実家で年越しそばを食べ,Eテレでクラシックを聞きつつブログを書いている。なんというか,しなかったことばかりが目につく2016年だ…。楽しかったことやよかったこともあったはずなのに霞んでいる。ここ最近ブログを書いているときにも感じていることだが,どうも私は,ダメだったことばかりがデフォルメされ気になる傾向があるようだ…。

そんなわけで2016年の私,おつかれさまでした。

2016/12/30

織田信長が熱い

最近,織田信長がマイブームである。何度かこのブログにも登場しているスマホゲーム「イケメン戦国 時をかける恋」がそもそもの始まりだが,ゲームだけでは飽き足らず,先日時代小説をゲットした。山岡荘八の「織田信長」(http://amzn.asia/7yFYOr9)である。数日前に読み始めたが,これがけっこう面白い。

マイブームのきっかけとなった「イケメン戦国」内の信長は,ひときわキャラ立ちしている。このゲームのキャラクター設定は,史実や通説が反映させつつ,恋愛ゲーム向きの脚色がなされているが,信長は,突拍子もないことをしでかし,いつも自信たっぷり,冷酷非道な猛者ではあるが,天下布武のためのストイックさを持ち合わせ,家臣思いで,愛した女性をめっぽう大切にする,そんな描かれ方をしている。私はそんな信長にすっかり魅了されてしまった。現代にこういう人いたら,多分恋をするであろう・・・。

そしたら,信長は実際にはどんな人物だったのだろうということがすごく気になってきた。大うつけと呼ばれていたみたいだけど何したの?,冷酷非道って言われているけどなんで?,信長の恋愛事情って?,信長がしたかったことって何?,本能寺の変ってなんで起きたんだ?カリスマ性があったらしいが,それはどこから来たのか?などなど,ゲームのキャラ像と中学歴史程度の信長に関する知識から,気になることがむくむくと湧いてきた。それで手始めに時代小説に向かったというわけである。

昨日大学の友人たちとの飲み会の際,織田信長にはまっていることを話したら,日本史&時代小説好きの友達から,司馬遼太郎の「国盗り物語」(http://amzn.asia/fXZ3zfL)を読むべし!と勧められた。信長の嫁・濃姫の父親である斎藤道三と信長の生涯を描いたものらしい。さらには,ゲーム「信長の野望」やったら?とも勧められた。ゲームをやると,戦国時代のこと詳しく知れるよと。私はゲームに疎いゆえ,そういえばそんなゲーム聞いたことあるな,と思いつつ話を聞いていたら,これまでにリリースされている信長の野望のシリーズの概要を詳しく教えてくれた。信長の野望シリーズそんなにたくさん出ていることにもビックリしたが,その友人がゲームする人だったことも初めて知ってビックリだ。

そんなわけで,気ままに織田信長について学んでいこうと思う。

2016/12/29

初恋物語

私が働いている塾にはたくさんの中学生が来ている。同じ中学校に通う同じ学年の子が集まっていることもあり,休み時間になると仲良く騒いでいる。そんな様子を微笑ましく眺めていた矢先,ある講師の先生から彼らの恋愛事情を耳にした。そしたら,中学生のときの私自身の恋愛の思い出がいろいろ蘇ってきた。それで今,それらについて書きたい気持ちに駆られている。

中学生のとき,私には大好きな人(A君としよう)がいた。多分これは私の初恋だったのだと思う。その前にも好きは人はいたことにはいたが,なんとなくいいなー,かっこいいなー程度の話であり,A君への感情とは少し違っていた。A君とは,中1のときに出合い,ずっと友人関係を続けていたが,中3になる前後あたりで付き合うということになり,数ヵ月後に別れるということになり,それでもずっと好きだった。その後彼への気持ちが消えつつあった時期もあるにはあったが,何かといえば思い出し,会いたいと思い,思い焦がれたり復縁を願ったりしていて,結局完全に吹っ切れたと感じたのは大学3~4年のときである。なので,なんだかんだで10年弱私の心にいた人だ。

A君をどうしてそんなに好きだったのか,正直よく分からない。少なくとも,顔は好きなタイプでかっこいいと思っていた。でもそれだけではなくて,多分彼と友人関係を続ける中で好きという気持ちが成熟していったのだと思う。中1の最初のときにたまたま席が近かったことで仲良くなり,いろんな話をするようになった。本当にたくさん話をした。手紙交換とか,夜中の長電話とかよくしていた。彼の悩みやもやもやした何かを聞いたりもして,中学生ながら,彼のために何かしたいなと思ったり,ずっと一緒にいたいなと思ったりしていた。

当時の私の彼への好きっぷりを象徴する出来事はいくつもある。例えば,中3のときの高校選択。彼に合わせて,自分のレベルに合っていない高校に行くことを考えていたことがあった。また,私の名前をつけてくれた姓名判断の人に,私とA君の今後を占ってもらったところ,結婚することはないと言われ,ひどく悲しかったし,そんなの信じるか!と思ったのもよく覚えている。さらには,高校に入ってからの部活選択。結局,中3のときに「俺のせいで私の成績が下がる」といった理由で私はふられたのだが,その後もずっと好きだったから,高校では男子バレー部に入って,マネージャーをやっていた。それもこれも,彼はバレーボールのスポーツ推薦で私立高校に進学したので,私も男子バレー部にいれば,県大会などできっと会えるだろうという,それだけの理由であった。別れたあとの高校時代,大学時代も,私からメールや電話をしていたし,バレンタインデーには,チョコを渡そうと思って時間を作ってもらったこともあった。

どうやら私は恋をかんばっていたようだ。以前ブログで少女マンガ「イタズラなkiss」の主人公の琴子にあこがれるという話を書いたことがあったが(http://yukiron.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html),私もそれに近いことをしていたようだ。それに,私が心理学をやろうと思ったのには,彼の悩みやもやもやを聞いていたことも関わっていたのかもしれない。この恋物語は今までに何度も思い返したことがあるのに,今になっての発見だ。

A君は今,結婚して娘がいる。facebookで友達になっているから,タイムラインでときおりA君自身の写真が流れてくる。それを見かけると,ちょっと切ない気持ちになるけれど,それだけだ。

なんだか今日は随分感傷的になってしまった。