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2019/12/04

漫画記 二ノ宮知子「七つ屋志のぶの宝石匣」

最近,宝石に興味がある。いろいろな色で美しく輝く石たち。同じ名前の宝石でもいろいろな色があり,形があり,輝き方があり,ああ自然の中で作られたものなんだと実感する。見ていて飽きない。これまで宝石なんて全く興味がなかったのだが,二ノ宮知子さんの「七つ屋志のぶの宝石匣」を読んでいたら,宝石についてもっと知りたい欲がムクムクと湧き上がってきた。既刊は現在13巻,ストーリーは継続中だ。

この漫画は2つの話が並行して流れていく。舞台は銀座に店を構える老舗の質屋「倉田屋」。そこの孫娘である女子高生の志のぶは,宝石から気を感じることができる,という力を持っている。その力を使いながら,質屋にジュエリーを持ち込んだお客さんや志のぶの周りの人たちの間で起こるちょっとしたトラブルやいざこざを解決していく,というのが1つの話。宝石やジュエリーは,その持ち主の人生や日常と絡めて描かれる。濃いキャラクターや人間臭いキャラクターが多く,毎話ごと笑ってしまう。それに人情話も多く,読んでいて温かい気持ちになる。
もう1つは,志のぶの(一応)婚約者である顕ちゃんの消えた家族の謎を解いていく話。顕ちゃんは倉田屋の質流れ品なのだ。顕ちゃんの祖母は,子供の顕ちゃんを倉田屋に預け,その後一家は離散,家も焼けてしまった。顕ちゃんが覚えているのは,一族に繁栄をもたらしたという鳥の内包物のある赤い石。その石を探すため,高級ジュエリー店の社員になり,友人のジュエリーデザイナーの鷹さんや宝石バイヤーの虎徹とともに消えた家族の謎を追っている。この2つの話が絡み合ってストーリーを成している。そういうわけで,1話完結のコミカルな話としても楽しめるし,ちょっとシリアスなミステリーとしても読める。
また,合成ダイヤモンドや宝石鑑定,質屋業界の競り,押し買いの話など,宝石やジュエリーを取り巻く現実についても描かれており,門外漢だった私には,へ~の連続だった。

ストーリー中にはたくさんの宝石が登場する。モノクロだから漫画で見た目を楽しむ,ということはできないが,その宝石に関する歴史や特徴などがけっこう詳しく描かれているから,実際にそれを見てみたくなる。だから新しい宝石が出てきたとき,私はよく本やネットで検索している(笑)思えばこれは,二ノ宮さんの別の作品である「のだめカンタービレ」を読んでいるときもよくやっていた。登場するクラシック音楽がどういうものか聴いてみたくて,よくYouTubeで検索し聴いていた。それでますますクラシック音楽が好きになったものだ。また,漫画に登場するジュエリーデザイナーの鷹さんは,アンティークっぽいデザインのジュエリーが好みで,そういうのを作っているという設定で,このジュエリーは○○時代の~みたいな話がときどき出てくる。気になったものはやっぱりネットなどで調べるのだが,デザインの特徴や違いを知るのも楽しいし,宝石やジュエリーが歴史の中で,その時代の人や持ち主にどう絡んでいるのかを感じるのも面白い。

二ノ宮さんの作品は,のだめの他にも,好きな人のために農業を頑張る女の子が主人公の 「GREEN」も面白くて大好きなのだが,「七つ屋志のぶの宝石匣」の志のぶも「GREEN」のワコちゃんやのだめ同様,まっすぐ好きなことを貫く姿がいい。一本筋が通っているというか,他人に流されない何かを持っているというか,そういうところが好きだ。好きなものや好きなことは違うけど,そういう生き方に共感するし,読んでいて応援したくなる。

8巻あたりから,顕ちゃんの家族ミステリーのほうの話がけっこう騒がしくなってきていて,どんなふうに展開していくのか今後が楽しみ。そして,顕ちゃんと志のぶの関係がどうなっていくのかも気になるところ。

2019/11/26

本レビュー トッド・ローズ「ハーバードの個性学入門 平均思考は捨てなさい」

いろいろなことをカスタマイズできる時代になってきた。例えばウェブ広告。ユーザーがアクセスした履歴をもとに,そのユーザーが興味をもちそうなもの,購買につながりそうなものの広告を提示してくる。例えば飲み物。スターバックスやタピオカティー屋では,飲み物に好みのトッピングを加えたりして自分好みにできる。例えばパーソナル○○の類。利用者の体質や希望に合わせて痩せるプランを作り,二人三脚で支援してくれるトレーナーもいれば,利用者の好みや体型を考慮して服を選び貸してくれるサービスもある。そう,人はみんな違うのだ。そんな当たり前の事実をベースにしたサービスが増え,以前よりも多くの人が手軽に享受できる社会になってきた。

トッド・ローズ「ハーバードの個性学入門:平均思考は捨てなさい」は,平均主義から脱却し,それぞれの個の違いにもっと目を向けるよう促す本だ。19世紀に「平均」の考え方が生まれて以来,人はあらゆる場面で平均を使ってきた。平均的な体のサイズ,平均的な知能,ある年齢における平均的な行動,平均的な給与などなど。そして,平均から外れていると劣っていると判断されたり,何か問題が起こっているんじゃないかと感じてしまったり,はたまた平均に近づくべく努力したりと,人は「平均」という存在に踊らされてしまう。著者の専門は個性学。平均主義から解放され,個が個として評価され,判断され,個が自分の力を存分に発揮して充実した生活を送ることができる社会を求めている。

個性学は,バラツキの原理,コンテクストの原理,迂回路の原理,の3つの原理によって支えられているという。
バラツキの原理とは,人間の資質や能力にはバラツキがあるということ。体の大きさ,知性,走る速さなどあらゆる次元においてバラツキが認められる。コンテクストの原理とは,人の行動は特定の状況によって左右されるということ。人格的特性は人の行動の予測にほとんど役に立たない。だから,私は○○な性格だ,ではなく,私は○○の状況では○○に振る舞う傾向がある,などと考えるべきだ。また,人を評価するときにも,あの人は○○だ,ではなく,あの人は○○なときに○○のような行動をとる,といったデータをもとにすべきだ。迂回路の原理とは,どんなゴールを目指そうとも,そこにたどり着く道はいくつもあってどれも妥当であり,最適経路は個性によって決まるということ。スピードも順序も人によって異なる。

非常に共感できる内容だった。年を重ねるにつれてだいぶ落ち着いてきて,今となっては,「私は私だし」と開き直っているというか肝が据わってきた状態がもはやデフォルト,周りに煽られて不安になることもそうそうなくなってきたが,20代の頃は何年もの間,みんなと違うことの不安と恐怖が心の中でグルグルしていた。特に新卒で入った会社をやめてからはひどかった。また,周りで結婚が相次いだ時期,みんなの人生を素直に祝福するのが難しいこともあった。子どもの頃は,周囲の大人から特別扱いされるのがひどく嫌だった。どれもこれも,周り―といっても狭い範囲の知り合いや世間の常識などと比較して,自分のそこからの外れ具合を悲観したからである。
でも結局,自分が心から求めていることを達成したり手に入れたりすること,自分が好きなものを自由に愛でたり楽しんだりすること,あくまでも自分主体で自分の人生を作っていく,心地よいものにしていくことが私のすべきことだと今は思っている。そのために私は今日も努力する。

2019/11/18

シロイルカと遊んできたよ! @横浜・八景島シーパラダイス

八景島でシロイルカと遊べる!?これは絶対行くっきゃない!と思った。ただでさえシロイルカがいる日本の水族館は少ないのに,水の中に入って遊べるなんて…というわけで,八景島シーパラダイスの体験プログラムに参加してきた。シロイルカ,とても可愛くて,心和むとても楽しい時間だった…!

参加したのは,「シロイルカとあそぼう!」プログラム。着替えや説明なども含めると所要時間はだいたい45分。うち,実際に遊べるのは20~25分くらいだ。
受付を済ませ,ロッカールームに案内されて,まずは着替え。装飾品は全部はずし,胴付き長靴に着替える。魚屋さんが着ている,長靴のついたつなぎですね。そして,その上にジャンパーをはおり,さらにその上からライフジャケットを着用する。けっこう大掛かりな感じだったが,シロイルカと同じプールに入るので濡れないように,もし転んでも大丈夫なように万全の備え。こららの装備は全部施設側が貸してくれる。で,これからどんなことやるか,案内の人から軽く説明を受け,いざプールへ出発!

プールには二匹のシロイルカがトレーナーのお姉さんと一緒に待っていた。そのうち今回遊んでくれるのはクララちゃん。プールの浅瀬になっているところ(水深40cmくらいかな)付近で優雅に浮いていた。お姉さんの指示に従って,私もまずはプールに入る。少しだけ水の冷たさを感じた。また,長靴を履いている足は水圧による圧迫があり,少し不思議な感じ。浅瀬の先は水深4mとのことで,落ちないように慎重に移動しながらクララちゃんのすぐそばに立って,ふれあいタイムスタート。

ほっぺにチュー♡
まずはクララちゃんに触るところから。ぷにぷにのおでこや顔の部分,お腹,ヒレなどあちこち触れた。基本は柔らかい。脂肪がたくさんついているのだ。また,シロイルカは氷のある海を泳ぐため,ヒレは退化してしまった。でもヒレの名残みたいな,でこぼこで少し硬いのが背中にあった。そして,表面はところどころ傷があったり,肉割れみたくなったりしている。また,口の中は薄ピンク(ヒトと同じような色)でぷにぷにしていて柔らかい。歯は黄みがかった白で,見た目は尖っているものの,触っても全然痛くない。トレーナーのお姉さん曰く,餌を丸呑みしてしまうため,歯は食べるためのものではないとのこと。野生のシロイルカは獲物を押さえたりするのに使っているらしい。魚を口の中に入れると,大きな舌を滑り台のように魚がすべりおりて行って飲み込まれてしまう。その様子は見ていて面白い。シロイルカは餌を吸い込んで口に入れることもできる。軽く魚を握っていると,クララちゃんが近づいてきてスッと掃除機のノズルさながら吸い取るように魚を吸っていった(笑)
シロイルカには目の少し後ろに耳がある。小さな穴なのだけど,音を聞くことには使われていないらしい。シロイルカは,音の振動を骨で感知して聴いている。
また,頭の上にも少し大きめの穴。こちらは呼吸用。あと,鳴き声もここから出ている気がする。鳴き声は低いのとか甲高いのとか,エッジボイスみたいなのとかけっこう幅広くて,合唱でもできるんじゃないかという勢いだ。
この体験プログラムでは,シロイルカに芸を披露してもらうこともできる。既にトレーニングされている芸とその芸を出すサインを教えてもらい,さあ体験!ヒトが回るとクララちゃんも一緒にまわり,手をふると側面にあるヒレを振ってくれる。また別のサイン出すと首を上下に振ってくれる。輪っかを水面に向かって投げると,ささっと取りにいって,口に加えて投げた人のところまで持ってきて,人が輪をつかむと口から離し,渡してくれる。また,顔に少し水をかけると,お返しとばかりに口から大量の水をかけてくる(笑)そしてその後,アハハハと鳴き声を出し,まるでアホ~と笑っているみたいだ(笑)とにかくめっちゃ可愛い♡顔はびっしょり,口はプールの塩水でめっちゃしょっぱいけど,クララちゃんあまりにも可愛いので,もっと水かけっこしたかった…!

そんな感じでふれあいタイムは終了。当日出会った,同じプログラムに参加した方とお話しつつ,ロッカールームで着替え。ほんとにあっという間の時間で名残惜しかった…悲 でも落ち込むことなかれ,春夏シーズンは,シロイルカと泳ごうプログラムも八景島で実施しているのだ。来年はぜひこちらに参加したい!

ホッキョクグマの華麗な泳ぎ
八景島シーパラダイス,実は今回初めて訪れたが,ついつい見入ってしまった生き物は,ホッキョクグマとオタリアとウミウシ。ホッキョクグマが泳ぐ,くま掻きはなんか癒やされたし,オタリアはたてがみが勇ましくてなんかカッコよかった。ウミウシはいろんな種類がいて,これ全部ウミウシなの?って感じだった。それから,数種類のペンギンが泳ぐプールの前でしばし休憩していたので,どれが何ペンギンか,少し見分けられるようになったよ。 
そういえば,ドクターフィッシュも初体験した。そう,あの角質を食べてくれるというお魚です。手をいれた瞬間めっちゃ寄ってきてぱくぱくされた。なんともいえない不思議な感触だったのだが,きれいな手になったかは不明…(笑)それから,カピバラもいたのだけど,なんか癒やしだったな…。お尻可愛い。

シーパラさん,素敵な時間をありがとう~(^^)

カラフルなウミウシ
じっと見つめ合う
親子かな?
たてがみがクールなオタリアさん♂
ぼんやりしてるのかな?
絶滅危惧種のホシガメ

2019/11/08

本レビュー 千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」

「勉強の哲学 来たるべきバカのために」とても面白かった。勉強のプロセスをフランス現代思想,言語論と著者の経験をベースにして論じていく内容だが,私自身が勉強をしていてこれまでに感じてきたモヤモヤをすくい,答えのようなものを提示してくれ,また,親切丁寧に話を進めてくれるので置いてけぼりにされずに済んだ。この本はぜひ,これから学問を始めようとする高校生や大学生に読んでほしいし,むしろその頃の私が読みたかった。

著者の論理展開を追うために,原理編の内容を中心に今回はメモを作った。(本書は原理編と実践編から成っている)。なので,本の内容紹介はこちらから(クリックすれば拡大されます)。

ところで,私は勉強することが習慣化しているほうだと思う。私はなんのために勉強するのだろう?自分の興味のあることをもっと知りたいというのはある。でもそれと同時に,勉強をすることで少し生きやすくなるなという実感が出てきた。ようやく出てきた,と言ったほうがいいかもしれない。日々生きていて困ったときや悩んだとき,勉強によって培ってきたものが,生活での負担を少し減らしてくれるのである。そして,そういう勉強,つまり自分のリアルな生活に根付いている/リンクしている勉強のほうが続くし,深堀りされていく。勉強するだけ生きやすくなるのだから当たり前だ。
そのバリエーションは多岐に渡る。単純なものでいえば英語。ここ最近,ボキャブラリーを増やす必要があって2000語ちょっとの単語を意図的に頭にインストールしたのだが,そのおかげで英文理解するのが前より楽になったし,長文を読むこと,長時間集中して英語を聞くことへの抵抗も若干減った。また,英語でのアウトプットで使える単語が増え,幅が広がった。また,例えば人間関係。私の漫画好きは楽しみと勉強を兼ねている。漫画で描かれるあらゆる人間関係は,私のリアルな生活での人間関係で参考になることが多い。それは,リアルな生活での人間関係を別の視点で捉えることを可能にしたり,自分がどういう人間関係を求めているのか知るきっかけになったりする。また,人は何かに対してどのように感じたり考えたりするのか,自分のとった態度は相手にどう影響したのか,自分はどんな態度をとるべきなのか,などの収集,謎解き,シミュレーションの参考になることも多い。
また,勉強したことは上記したような直接的なつながりだけでなく,場や時をまたぐ間接的なつながりもある。どこかで勉強したことが,その分野以外で応用が効くことは多々あると実感しているし,リアルな生活で何かを体験したことで,だいぶ前に勉強したことがふと腹落ちし,それによってまた負担が減っていくこともある。

勉強は,混沌状態にほのかな光を与えてくれるようなものだと思う。勉強したからといってすべては明確にならない。でも,勉強をすることで少しだけ混沌とした状態が整理される。でもそれは一時的なもの。生きていれば混沌状態がデフォルトなので,勉強は続く。そんなわけで,私の勉強は続いていく。

2019/11/02

ショートヘアに至るまで

先日20年以上ぶりに髪型をショートにした。肩下ロングだったので,20センチ以上は切った。随分スッキリした!ショートはいい!洗うのも乾かすのもとても楽。新しい髪型,とても気に入ってる。個人的にはロングよりも私に似合っているように思う。でも気に入っている理由はそれだけではない。今回のヘアスタイルは,けっこう試行錯誤したうえでもたらされたものだからだ。だから,満足感が高いように思う。

ところで,長らく私は,髪型をどうするか決めかねていた。子供のころはショートにしていたが,短くするたびに前髪・もみあげ・襟足の毛が浮くのでいつもいつも扱いに困っていた。10代後半~20代にかけては,もうショートはこりごりと髪を伸ばし始めていたが,肩まで届くか届かないくらいのときにどうも邪魔になってしまい,だいたい肩くらいまでのボブスタイル。でもやっぱり伸ばそうと20代前半で一回肩下ロングまで伸ばした。でもそれもつかの間,ちょうど仕事を変えるときに髪も切ろう!と思い立って,肩上のボブスタイルに。で,数年前,美容院に行くのが面倒になって半年近く放置していたらけっこう伸びていたので(当たり前だ),そこからはとりあえずこのまま伸ばすかということで,美容院に行っても伸びた分弱くらい切ってもらっていた。つまり,惰性で伸ばしていた。カラーとパーマはしたくないと思っていたが,こういう髪型にしたい!というのがなく,美容院でいつも困っていた。せっかく美容院に来たのに,代わり映えしないヘアスタイルになっちゃうなあ…と。

そんなとき,「女の運命は髪で変わる」という本を勝間和代さんがYouTubeで紹介していた動画(https://youtu.be/zWZjsRvwa-k)を観た。えっ,髪ってそんな大事だったの…が感想。
それで,本屋さんでこの本を立ち読みし,髪型によってその人の印象がいかに変わるかとか,美容院に行くときのアドバイスなどの知識を得た。
で,もうなあなあで美容院に行くのはやめようと思い,どんな髪型にしようか少し真剣に考え始めた。

まず,どうせ変えるなら今までやったことのない髪型がいいよね,と思った。とはいえ私の髪は黒髪のストレートでそれは自分でも気に入っているため,カラーも入れたくないしパーマもかけたくない。となると,結局は長さをいじるしかない。切らなくても,多分毎日のヘアアレンジとかで髪型を変えることもできたんだろうが,そういうのは面倒くさい。ということで,さて長さをどうするか…やったことないのはベリーショートくらいの短さか,ということでベリーショートにすることを検討し始めた。

でもここで不安が押し寄せてきた。ベリーショートとか,私似合うんだろうか?ネットでベリーショートのモデルさんたちの写真をたくさん見ても,自分がしてるイメージが湧かない。あー…自分の顔と髪型を合成できたら…!そう思っていた矢先,それっぽいことができるアプリを発見。自分の写真をとると,アプリに入っているいくつかの髪型を自分の写真の上に重ねて合成してくれるのだ。何種類かアプリを試したが,結局自分の顔とベリーショートがしっくりくる合成写真は作れなかった。
とはいえ,気持ちはもうベリーショートに向かって走り出していたので,もうここは,美容師さんの腕に頼ろうと思い,ホットペッパービューティーで家から近いエリアで「ショートカットが上手い美容院」を調べ,徹底的に比較検討。検討項目は,家からの距離,施術料金,美容院と美容師さんの雰囲気,その美容師さんが切ったヘアスタイルの写真,口コミなど。毎回毎回美容院を変えるのは面倒なので,長期間通うことを考慮しての比較検討。そしてこの人ならお任せできそうだ!という人を見つけた。選んだ理由は複数あったが,ショートが好き,と書かれていたのに惹かれた。好きなものなら,それだけ知識も技術も豊富に違いない。

早速その美容師さんに予約を入れるわけだが,ここで先程の本のアドバイスが生きてくる。本では,美容師さんに髪型をオーダーするときには,自分がどうなりたいかのイメージを伝えるといい,なりたいヘアスタイルの写真は複数見せるといい,と書かれていた。写真については,いいなと思った髪型をネットから何枚も落としていたので,それらを見つつその中でも特にどんな髪型に魅力を感じているのか,それらの共通点は何か?を分析。また,自分についても,今後どういう自分でいたいか,どういう自分を見せたいか,を考え始めた。で,いくつか出てきたキーワード。アクティブ・かっこいいけどチャーミングなど。それから,とにかく乾かす程度で基本OKなスタイルにしてほしいということも言っとかないと…。そんな感じで美容師さんへメッセージをまとめ,予約を完了した。

そしてついに当日!朝から不安と緊張でドキドキしていた。美容院に着いてからも私本当に切っていいんだろうか?変にならんだろうか?と不安は続く。美容師さんからは,本当に切っていいですね?と2回位確認され(汗),はい,と応答。また,事前に送っておいたメッセージ内容をしっかり把握してイメージしてくれており,またショート絶対似合いますと切りながら何度か声がけしてくれた。長い髪を最初に一気に切られたあたりで私もようやく覚悟が決まり,それからは鏡とにらめっこしながら自分が変わっていく様子を見ていた。どんどん細部が整えられていくうちに,美容師さんの言っていた,ショート絶対似合います,は嘘ではないなと思い始め,仕上がるのがどんどん楽しみになっていた。

そんなわけで私のショートヘアは完成。しばらくはショートでいようと思う。

2019/10/27

本レビュー 信田さよ子「タフラブという快刀 「関係」の息苦しさから自由になるために」

久しぶりに信田さよ子さんの本を読んだ。最近,子育てに関する新刊を出されたのだが,それについてアマゾンで見ていたとき,偶然見つけた「タフラブという快刀」。タイトルに惹かれ,むしろこっちの本が気になってしまった。手放す愛・見守る愛としての”タフラブ”を人間関係において実践していくことで,自分も相手もそれぞれが個として,適度な距離感で自分の人生を生きることを提案する。
私は信田さんの本を数冊読んだことがあり,クライアントへのアプローチの仕方や考え方に共感している。「タフラブ」でもアプローチの仕方や考え方は共通。以前,アダルトチルドレン(AC)関連の情報を漁っていたときに出会った本「母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き」は,私にとってはアイオープナーにもなり,ある意味救いにもなり,共依存について興味を持ち,考えるきっかけになったように思う。また,「カウンセラーは何を見ているか」では,臨床心理士の仕事がどんな感じなのかを知るのにお世話になり,信田さんの若い頃の精神病院での経験談には引き込まれた。

信田さんは,少なくとも私が読んだ著書では,いつも人間関係,特に家族関係や恋人・夫婦関係などの親密とされる関係における現実をこれでもかというくらい突きつけてくる。でも,フィクションの世界や世間における耳障りのいい話に慣れている私にはそれくらいがちょうどいい。じゃないと,フィクションの世界や世間における耳障りのいい話=現実におけるデフォルトと勘違いしてしまうから。世間で良いとされる「お互い分かり合える」や「あなたのためを思って」がいかに欺瞞に満ちたものか,女性がいかに,社会からの暗黙の了解によって我慢せざるを得ない状況に陥っているか,子がいかに親の欲望のために使われているか,そんなことを淡々と伝えてくれる。

家族や恋人などは,濃く深い関係になるがゆえ,互いに欲望の押しつけや理解の強要,甘えなどが生じがちだ。そして,家族だから,恋人だからなどの理由で他人には決してしないようなことでも許されたり,どれだけ傷ついてもそれが普通だと受け入れてしまったりする。信田さんは,家族を治外法権の無法地帯と書いているが,確かになと思った。よっぽどのことが起こらない限り,第三者がその関係に立ち入ることはないからだ。しかも,たとえ第三者が立ち入ったとしても,彼ら・彼女らが適切な対応を心得ていない場合,問題を余計にこじらせたりする。なんと悩ましいことか。

信田さんがこじれた関係の解決にすすめるのは,「理解の断念」と「問題の切り分け」である。「理解の断念」については,私とあなたは別の人間であり,別々の人間が分かり合う,理解し合うのは所詮無理な話。それを認め,それを前提に相手とコミュニケーションをとる。タフラブは,相手にわかってもらおう,わからせよう,わかってあげようとはしない愛,理解し合いたい,コミュニケーションをとりたいという自分勝手な欲望や思い込みを手放す愛であるという。「問題の切り分け」は,誰の問題かを明らかにして,それぞれが自分の問題と限界に向き合うことだ。そして,他者の問題は他者に返さなければならない。また,関係がこじれるときの2種類の,相手への一方的な侵入・境界侵犯を想定している。自分を傷つけた人に対して「なぜ相手は自分をこんなに傷つけなければならなかったのか」を考えているうちに,相手の世界に入っていってしまうことと,相手を自分の思い通りにしたいという支配の2つである。どちらも関係に苦しんでいる方が問題の切り分けを行うしかない。苦しんでないほうは,相手が苦しんでいるなんて思っているわけもなく,要求しても無駄だからである。また,日本では自他の区別なく相手の身になって何かをすることに価値が置かれてきた,ということにも触れている。本書には,こじれた関係を解消させていくケーススタディがいくつか紹介されているが,読みながら少し涙してしまった。関係改善のための行動は,本当に勇気がいることだ。葛藤・恐怖・不安の中で一歩を踏み出し,実際に行動した人たちに拍手したいくらいだ。

信田さんは,タフラブには寂しさが伴うという。タフに生きることは寂しさと共存することだと。そして,寂しさを分散させるために,目的別(食事に行くなら…,映画に行くなら…,愚痴を言い合うなら…など)の人間関係を複数用意しておくことを勧めている。タフラブを土台とした関係は寂しい,でも安全な関係は実現できるというわけだ。

個が個として独立を保ちながら,紙の上だけでなく実社会でいかなるときも人権を保証された状態で,自分以外の個とどう共存していくか…課題。