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2016/10/07

ポケモンとウォーリー

技術が進歩したことで、子供のころによくやっていた遊びが今、当時とは違う形で体験できる―そんな状況に私もあやかって、スマホゲームの「ポケモンGO」と「Waldo」で遊んでいる。

ポケモンは、私にとっては、これまでの人生の中で最もはまったゲームのひとつかもしれない。ゲームボーイソフトのポケモン緑を中学生くらいのときに買ってもらい、ポケモンたちを集めてまわるのが楽しくて、一日何時間も遊んでいた日が何日もあった。攻略本も読みあさって、どこにどんなポケモンがいるか、どうやったら捕まえられるかを把握して、裏技も試したりして全種類のポケモンを集めようとがんばっていた。で、今はというと、今度はポケモンGOで全種類のポケモンを集めるべく、地道に歩きまわっている。スマホゲームになって、当時よりも大画面になって、色もついて、ポケモンたちの動きもリアルになって、しかもゲーム内のキャラクターサトシがゲーム内の町で探すのではなく、私が私の行動範囲でポケモンを探せるようになった。ポケモンを集める楽しさは年をとった今でも変わらない。

私は小さいころ、「ウォーリーを探せ」(https://www.amazon.co.jp/dp/4577005565)で遊ぶのも大好きだった。ウォーリー本を4冊くらい持っていて、ウォーリーとその仲間たちを探すだけでは飽き足らず、表紙の裏側にたくさんあった「この絵の中に宝箱はいくつあったか」、「○○をもって××している人を探せ」みたいな細かな問題にも手を出していた。で今は、スマホアプリの「Waldo」でウォーリー探しである。スマホゲームになったことで、探すのに制限時間が設けられたり、画面の大きさが小さいせいか、本よりも絵の大きさが小さくなっているけれど、ウォーリー探しはやっぱり楽しい。

このポケモンとウォーリー、その当時使っていたもので今もう一回遊んでみても、当時のように楽しさを感じるのだろうか。残念なことに、ポケモン緑もウォーリー本もどこかにいってしまっているので、実際にやってみることができない。だから想像してみるが、楽しさを確かに感じると思う。そして、懐かしさも強く感じるだろう。でも一過性のもので、長く続けることはないんじゃないかと思う。それはやはり今の私は今の技術に慣れ親しんでいて、それを好んでいるから。スマホバージョンと比較してもの足りなさを感じてしまうだろう。それに加え、今の技術でできることの中には楽しいことがわんさかある。ゲームボーイポケモンとウォーリー本は、そこでの競争に負けてしまうと思う。

技術といえば、今年何かと話題のVR。ヘッドセットをつけて、近いうちにその世界を感じてみたい。VRでウォーリーを探すのも、面白そうである。

2016/10/06

「プラダを着た悪魔」,再び

映画「プラダを着た悪魔」を最近観た。この映画を観るのは今回が2回目。最初に観たのはたしか,まだ映画館で上映していたときだったから,10年近く前になる。そのときは,映画の話は自分とは遠い世界のことで,「おしゃれだなー」,「かっこいいなー」などと能天気なほほえましい感想しか抱いていなかったと記憶しているが,今観ると,恰好の自己反省用教材だ。10年前と今との大きな差―働いた経験の有無―がそう思わせているのだろうが,特に,私の仕事への向き合い方は,アン・ハサウェイ演じるアンドレアのそれと比べると,まだまだだ。

アンドレアは仕事にどう向き合っていたのか。それは,その場にいるにふさわしい人間になるための努力をしたことと,相手が欲することをしっかり考えたうえで行動したことによく表れていると思う。記者志望の優秀なアンドレアは,ファッション雑誌編集長ミランダのアシスタント職をなめていた。それでもそれなりに一生懸命やっていた。しかし,一生懸命やっても編集長は一向に認めてくれない。それを同僚にぼやいたときに,「君は努力していない,ぐちを並べているだけ」と言われてしまう。なぜならアンドレアは,ミランダがぐうの音も出ないほど満足することを彼女に与えていなかったからである。そのときからアンドレアは変化していく。自分の意志で,今まで着ていたダサい服からおしゃれな服に着替え,ファッションセンスを磨いていく。また,ミランダから指示されたどんなことも完全的確に処理するだけでなく,そのあとミランダが何を求めるか推測して行動,推測して行動,推測して行動を何度か行い,ミランダが求める以上のことを言われる前にやっていくようになる。私もよく「仕事を一生懸命やっている」と自分で思うし,人にそう言ったりもするのだが,私の一生懸命のレベルって低いな…と。しかも,自分では十分一生懸命やっていると思っているから,それ以上のことをしようという発想も出てこない。相手は,私がしたことにどれくらい満足しているのだろう。

仕事への態度を変えたアンドレアはその後,忙しい毎日をすごく楽しんでいるようで,それがまたとても印象的だった。きっと真摯に向き合い続ければ続けるほど,その世界に深く飛び込んでしまえばしまうほど,新しい考えや他にもできることが生まれてきて,楽しくなっていくものなんだろう。中途半端に一生懸命な私が得たものは,楽さと心地よさ,そしてそこそこの楽しさだ。満足感?それもそこそこの満足感でしかない。中途半端な一生懸命はもうやめ!

2016/10/04

百聞は一見に如かず in 料理

季節ごとに1回のペースで,友人と”おうちで料理しましょう会”を開いている。かしこまった集まりでは全然ないのだが,一応この会には目的があって,それは,その季節の旬の食材を料理して食べることと,1人暮らし社会人の普段の食卓には並ばなそうな料理を作ること。キッチンを提供してくれる料理好きの友人が,毎度毎度オシャレなメニュー(イタリアン)を考えてくれるので,それを持ってみんなで買い出しし,ワインを飲みつつ,つまみを食べつつ,ゆるりと3~4品作る,というのが定番になっている。

9月の初頭,会を開いた。このときのメニューは,豆腐と野菜のサラダ,ヤリイカのカルパッチョ,鶏レバーのソテー,イタリア風ラタテュイユ。トマトやナス,みょうが,とうもろこし,ヤリイカなど,夏~初秋にかけての旬の味がたっぷりつまったちょっと贅沢なメニューだ。全部大満足の味だったが,なかでも初めてお目にかかる鶏レバーのソテーは,ホクホクでとてもおいしくて,食べている間感動しっぱなしだった。

でも,この会の魅力は旬の食材を使った美味しい料理が食べられることだけではない。もう1つの魅力は,料理のテクニックを友人から学べることだ。中心になって料理するのは友人で,私はそれを見ながらお手伝いしていく感じなのだが,実際に料理しているところをを見て,真似て一緒に作っていくのは,レシピ本や料理番組を見て作るよりも,断然わかりやすいし,やりやすいし,楽しい。

今回の会では3つ学んだ。まずは味付けの仕方。さすがイタリアン好き,友人はいろいろなホワイトビネガー,オリーブオイルを試しており,何種類か常備されている。ホワイトビネガーなんて使ったことないよ!?な私に,使い方を示してくれた。どんな食材と合うかとか,使う量とか,他の調味料とのバランスとか。次に,ヤリイカの下処理について。今回初めてイカをさばいた。イカをさばく手順と墨を出さないための方法を見につけた。そして最後に,ナスの焼き方。ナスは私も家でよく焼いたり炒めたりするのだが,これはうまい!と今ひとつ感じられていなかった。友人のやり方を見て気づいたが,どうやら焼き時間とフライパンへのナスの置き方がまずかったようだ。早速自分のやり方を改善した。

次回は初冬の頃に開催したいな。

2016/09/30

電子書籍ライフ

最近は電車に乗ると,必ずと言っていいほどスマホでマンガを読んでいる人を目にするようになった。ネットを開けば,本として出版されているマンガだけでなく,電子版限定のマンガも多々目にするようになり,ネットでマンガを読むのが自然なことになってきているんだなーと感じている。かく言言う私も最近は,紙の本だけでなく電子書籍を読むようになった。新刊のコミックスは,今年に入ってからはすべてアマゾンでダウンロード,電子書籍にすることにかなり抵抗があった活字中心の本も,2冊ほど電子版を購入してみた。それら読み終え,私も電子版は紙の本よりメリットが多いなと感じ始めた。紙よりも電子版のが安いし,場所をとらないのはもちろんだが,電子版のほうが読みやすくて,圧倒的に効率がいい。電子版を読む前は,電子版ってなんか読むの疲れそうだし,本を読んでるって感じしないよな~という偏見を持っていた自分が恥ずかしい。

読みやすさを感じたのは,紙の本のように両手で広げて読む必要がないからだ。私は,雑誌のように本が開いた状態で安定しているタイプの本が好きである。なぜなら腕と手が疲れないし,読みながら別のこともできるから。両手を拘束されずに本が読めるなんて,ストレスフリー!それに,電子書籍のページは,開くと雑誌のように完全に二次元になる。それは本当に読みやすい。紙の本でよくあるような,本を閉じている場所付近に折り癖がついたりカーブになったりで読みづらくなることがないから,それもストレスフリー。薄暗いところでも読むのに支障をきたさないのも読みやすさの1つ。画面が明るいから,周りは暗くても問題ない。

そして,複数のデバイスで電子書籍を読めることがなんといっても効率的。私は,ノートパソコン2台とスマホ1台を持っているが,kindle経由の本はアプリ1つでどれからでも読めるし,データ化されたそれ以外の本も,どこからでもアクセスできるようにしている。私は何かしらのデバイスをいつも持って行動しているから,家で読んでてそのまま本おいてきちゃった!とか,持ってきたこの本は気分的にく読みたくなくなっちゃったけど,家にあるあの本が読みたい!と,惜しい気持ちになることが減っている。効率の良さをもう1つ挙げると,いちいちしおりをはさんだり,どこまで読んだか記憶して,次読むときにそのページまでたどっていく必要がない,ということ。kindleでは読み終わりはネット上で共有されているから,どのデバイスで読んでも,前回読み終わったところにすぐページを移動できるし,ほかの本でもデータをバックグラウンドで開きっぱなしにしていれば,同じこと。

電子書籍は今後も私の手元に増えていくだろうな。

2016/09/29

面白い研究・面白い論文

研究がなかなか思うように進まない。現在「メタ認知」に興味があり,いろいろな文献を読んで情報収集+研究計画づくりをしているのだが,なかなかアイディアが生まれない。先日友人に,「卒業論文面白くなりそう?」と聞かれて,「ならなそう…」と即答してしまった。今の状態からは,今後面白くなりそうな要素がまったく見当たらない。自分の研究,卒業論文,面白いものにしたいな…。ということで,面白い研究・論文ってどんなのがあるか調べてみた。

最初に思い浮かんだのが,イグノーベル賞。ググってみると,つい最近2016年の受賞論文が発表されていた(http://www.gizmodo.jp/2016/09/2016-ig-nobel-prize-winners.html)!なんとバラエティー豊かなトピックス!突拍子もないものから,身近に起こっている出来事を実証するもの,実用的なものまでそろっている。生物学賞の野生動物になりきるとか,文学賞のハエ収集とか,どこに魅力を感じて始めたの!?平和賞のでたらめを人がどう受け取るかの話とか,心理学賞の世代別うそつき能力の話とかは,もろ日常生活のことである。でたらめを言ったり聞いたり,うそを言ったり聞いたり,私も含めて多くの人がしていることだけど,それを具体的な研究に落とし込むまで考えたことないよな…。医学賞の左腕を掻いて右腕のかゆみを抑えるってのは…講義で聞いたことのあるラバーハンド錯覚の応用!?と思った。ラバーハンド錯覚とは,ある手続きを踏むと,目の前に置かれたラバーハンド(手の模型)を自分の手だと錯覚する,という現象なのだが(詳しくはhttps://goo.gl/PfEsUS 動画はこちらhttps://youtu.be/sxwn1w7MJvk?list=PLwHE59lNfxCrnvEY1foLLzQVYQWlA0EsN),左手を鏡で見ながら右手を掻いているように掻くことで,右手が掻かれていると脳が錯覚を起こすのだろう。とはいえ,痒みを止めることに応用できるなんて考えてもみなかった。とりあえず,今度痒くなった時にやってみよう。

面白い研究でもう一つ思い浮かんだのが,サンキュータツオ氏が書いた「ヘンな論文」という本のこと。彼はヘンな研究論文を収集するのが好きらしく,集めた論文の13本をツッコミ満載で紹介している。一見するとなんでそんなこと調べたの?というものから,私もそれ気になるー!というものまで,こちらのトピックスも本当に様々。どの論文のトピックも著者のツッコミも面白いので,詳細は実際に読んでほしいが,「「浮気男」の頭の中」で紹介されている論文の結果を見ては,あ,最終的に彼らは開き直るんですね…という解せるような解せないよう感覚に陥り,「「なぞかけ」の法則」で紹介されている論文では,なんでそれを面白いと感じるのか,ってことにまで踏み込んでいるではないか…まさに面白い研究・論文について考えるのにダイレクトにつながる情報。「「しりとり」はどこまで続く」で紹介されていた,広辞苑に載っている単語をコンピュータで計算させ,しりとりは最長どのくらい継続させることが可能なのかを明らかにした話とかびっくりだ。「「あくび」はなぜうつる」の章については,あくびってうつるなと私も思ってたよ…と。結局,日常感じるちょっとしたことを,深く掘り下げて考えたり調べたりしていけるかどうかで,研究は生まれるのだろう。ちなみに,相撲取りのマゲを結う人のことを床山と呼ぶことを,床山の生態を調べた論文を紹介していた「現役「床山」アンケート」の章を読んで初めて知りました。

2016/09/28

疾患自体がミステリー

ここ最近,「キルミー・ヒールミー」という韓国ドラマを見ている(http://killme-healme.jp/)。解離性同一性障害(多重人格)を患っている男性が,新米女性精神科医のもとで癒され,症状を改善させていくプロセスを描いた話だ。謎解き要素と恋愛要素も盛り込まれていて,ぐいぐい引き込まれる。そして解離性同一性障害の男性を演じるチソン,イケメンなうえに演じ分けがすばらしい。にしても解離性同一性障害,謎である。ドラマの内容よりも疾患自体がミステリーだ。

ドラマを見ててふと感じた一つ目の謎は,交代人格の名前ってどうやって決まったのだろう,ということだ。私には名前がある。でも私の名前は私がつけたものではなく,親が私の意思とは関係なく勝手につけたもの。赤ちゃんの頃からその名前で呼ばれ続け,いつの間にかその名前が私の名前だと認識するようになり,私は私の名前の人物になる。多くの人がこのようなプロセスをたどっているはずだ。では,多重人格に現れる交代人格たちはどうなんだろうか。交代人格は主人格の脳の中で生み出される人格で,主人格の一生のうちのどのタイミングで出てくるかも,どのくらいの頻度で出現するかもバラバラ。だからほかの誰かが名付けたとは考えにくい。さらに,主人格が交代人格の存在を把握しているとも限らないから,主人格が名付けたとも考えにくい。とすると,交代人格が自分で好きな名前を名付けたんだろうか?となる。え,でも名前付けるにも言葉知らなきゃいけないし,名前として使われている名前をつけているから,名前に関する知識があるんだろうか?

そう考えると次の謎が生まれてくる。交代人格と主人格はどのくらい記憶を共有しているのだろう。ドラマの中で交代人格たちは,言葉を話したり車を運転したり,絵を描いたりできる。交代人格たちがそれらの能力を,赤ちゃんがゼロから習得するように習得したとは考えにくいから,多分主人格が持っている手続き記憶を共有しているのだと思う。しかし,ビリー・ミリガン(実在した多重人格者)のように,主人格が習ったことのない言語を使える交代人格もいたりするので,手続き記憶だからといって共有されるとは限らないのだろう。個人の経験(エピソード記憶)に関しても,共有していることとしていないことがあるようだ。ドラマでは,交代人格たちがしていたことを主人格はまったく覚えていないものとして描いていた。そして交代人格たちは,自分がしたことを覚えている。ということは,記憶としては脳のどこかに存在していて,主人格はそれを引っ張り出せないということになるのだろう。でも逆に,交代人格は主人格やほかの交代人格についてよく知っていたりする。「24人のビリー・ミリガン」にもそんな話があった。ということは,どのくらいの記憶を脳から引っ張り出して意識化できるかは,それぞれの人格で違うということになる。じゃあその違いってどうして生まれるんだろう?

さらに,もう一つ。ドラマで登場する交代人格たちは,自分が交代人格であることを認識している。え,それってどういう感覚?なんで交代人格だって分かってるの?というか,どういうプロセスを経て主人格から分離して交代人格へと確立するんだ?

…本当に謎だらけ。


参考資料
記憶の分類(https://bit.ly/3uTmvud) 
ダニエル・キイス「24人のビリー・ミリガン」