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2016/12/25

クリスマスと恋愛と

オンライン英会話のときに,この記事(https://goo.gl/FFIc94)が話題になった。あるウェディング関連のポータルサイトが,「クリスマスイブだけの相手」について20-39歳の女性253人に調査したところ,39.5%の人が,たとえその人とはもう二度とデートしないと思っていても,誘いがあればその人とのクリスマスイブデートに応じるということであった。調査をしたところが結婚関連のポータルサイトだから,きっと恋愛に積極的な女性が集まっていることと推測する。私だったらどうするだろうか。

そんなことを考えていたら,ふと記憶がよみがえってきた。数年前,大学の友人たちとの飲みの席で頻繁に話題になっていた,「明確な好意を感じていない相手とデートするか」問題である。友人たちは,明確な好意を感じていなくてもデートする派で,私は明確な好意を感じていなかったらあまりデートしたくない派であった。デートする派の理由としては,デートしたら相手のことをもっと知れるし,それでもしかしたら好きになるかもしれない。相手のことをよく知らない状態でこの人はダメとしてしまうのはもったいない。そんな感じであった。あまりデートしたくない派の私の理由は,好意を感じていない人と楽しく過ごせるのかという不安,であれば他のことに時間使ったほうがいいよな,という気持ち,さらには,一緒に過ごしてもあまり好きになれなくて,でも相手は好いてくれているとき,私は流されずにいられるのか?(これは過去の恋愛経験に由来する)といったことであった。当時の私が考えていたことをこうやって書いてみると,なんというか,独りよがりで恥ずかしい。デートの現実を無視しているし,相手の視点が抜けている。今思えば,当時の私は,デートと付き合うことを同じととらえていた。なんというか,デートするから付き合うし,付き合っているからデートする,みたいな感覚である。下手に真面目というか,警戒しすぎというか,余計なことを思い込みすぎというか。それじゃ彼氏できないよとさんざん批判されたが,まぁ,それもそうだろうと思う。機会損失になるのだから。とはいえ,私のようにデートしない派でシングルでない人もいることを思えば,つまるところどっちであってもあまり関係ないのだろう。決まるときは決まるということなんだと思う。ちなみに今は,デートすることは互いのことを知っていくプロセスだととらえている。私がその人に好意を持とうが,その人が私に好意を持ってくれていようが,そのプロセスの中でどちらかが合わないと感じればさよならする。それは付き合っていてもいなくても変わらない。

で,最初の問いに戻って結局私だったらどうするのか。やっぱりしないだろうなと思う。そもそも二度目のデートはないと思っているということは,その人に関心がなく,自分が求めているものを持っていないと判断した状態であろう。確かにデートして新たな発見があったり好意をもったり,ということはあるかもしれない。でも,自分の中で終了している気持ちをあえて呼び起こすこともないよな・・・と私は思うほうだ。

この調査は,クリスマスイブのデートに限定しているが,クリスマスイブでなかったら,YESと回答した40%弱の人はデートの誘いには応じるのだろうか。応じないとしたら,クリスマスマジックみたいなものなんだろうか。クリスマスと恋愛は切り離せないような雰囲気が巷にはある。私もその風潮に大いに煽りを受けて生きてきた。クリスマスといえばカップルの一大イベント,シングルの人間にとっては,それまでに相手を見つける!とか,相手のいない者は共に寂しさを分け合うとか,そんな話ばかりが耳に入ってくる。それで余計に寂しくなったり,敗北感を感じたりということのを経験してきた。にしても,どうしてこうもクリスマスと恋愛は結びついているんだろうか。

クリスマスにシングルであろうがなかろうが,年を重ねてどうでもよくなってきた。彼がいてもいなくても,楽しい時間になることもあるだろうし,つらい時間になることもあるだろう。相手がいるかいないかだけで左右されるものではないよなと思う。

2016/12/24

クリスマスイブの持ち寄りスナック

今日はクリスマスイブ。クリスマスイブは教会に行き,礼拝とホームパーティーをするのが定番となっている。ここ数年,花を持って教会に行くのがデフォルトになっていたが,今年は何か違うことがしたいなと思って,何か料理して持っていこうと思い至り,数日前から何を作ろうか考えていた。ホームパーティーでは毎年,豪華で美味しい料理や,初めて食べるような味の料理がふるまわれる。だから,仰々しい料理ではなく,簡単に食べられるスナック的なものがいいなと思って,ネットで調べてみた。そして目に留まったのが,餃子の皮で作るキッシュのレシピ。可愛いしおいしそう!と思って,これ(http://youpouch.com/2016/11/09/393599/)を参考に作ってみることにした。

初めて作る料理かつ,人に食べてもらう料理ゆえ,ひとまず昨晩練習がてら作ってみた。キッシュの中に入れる具材はレシピとは変えて,ハムとターサイとチーズで。塩コショウの分量の調整と,食材の大きさは少し変えたほうがいいなと思ったが,良い感じに完成!周りの餃子の皮もいい感じに焼けて,パリパリの食感を楽しめた。

昨晩の練習時に,もう一つ別のキッシュを作っていた。それはこれ(https://www.youtube.com/watch?v=heVKZl5vIlY)を参考にした。こちらは,失敗である。家のフライパンが大きくて,卵をたくさん使わないとここで紹介されている完成品のようにならないことが判明したのだ。昨日作ったのは卵の量が少なかったので,キッシュというよりもピザに近いものだった。しかも餃子の皮がけっこう焦げてしまい,まずくはないがそれほどでも…という感じ。そういうことで,こちらを作って持っていくことはあきらめた。

そんなわけで昨夜の反省点をふまえてキッシュ作りを始め,ついに完成した。それがこちら。 色とりどりでなかなかよい感じに仕上がった。ちなみに,形がこのようになっているのは,円形の餃子の皮をシリコンカップ(お弁当のおかずを入れるときに使う,アルミカップのような形のもの)にしいて焼いているためだ。どれ一つとして同じ形はなく,それもまた面白い。
昨日の具材に加え,にんじんとツナも加えて,数種類の組み合わせを作り,チーズによる味付けのほか,スイート&スパイシーペッパーソースも入れてみた。このソースとツナやハム,卵はよく合うから,美味しくなるに違いない,との期待を込めて。

喜んでもらえるといいな。

2016/12/23

Glühweinの季節です

最近,家に帰ってきてから軽くお酒を飲むのが日課になっている。先月,なぜかははっきり分からないが,無性にお酒が飲みたい気分になり,この時期に旬の,かねてから飲みたかったGlühwein(グリューワイン)を買って飲んでみたところおいしくて,それで晩酌が始まってしまった。

Glühweinとは,赤ワイン(白ワインで作られることもある)に砂糖やシナモンなどの香辛料,柑橘系の果物をなどを加えて煮て作った,ホットワインである。ドイツのクリスマスには定番の飲み物らしく,この時期各地で開催されるクリスマスマーケットでよくふるまわれているらしい。私が飲んだのはこちらの2種類。ラプンツェルのhttp://amzn.asia/33VRj61と,マリエンゴールドの(https://goo.gl/x5w4Kg)である。味が違うのは分かるのだが,ワインに飲みなれていないゆえ,何がどう違うかが説明できない(汗)私に言えるのは,どちらもおいしく,寒いところから家に帰ってきて身体を温めながらほっと一息つけるような味だということくらいだ・・・。私には甘さもちょうどよいし,香りも好きだ。


ワインに何かが加わった飲み物といえば,サングリアもよく知られている。私はサングリアも大好きで,飲み屋に行ってメニューにあればたいてい注文する。以前親戚との飲みの席でサングリアを飲んでいたところ,私の母方のおばあちゃんが昔よく作っていたという話を聞いた。大きな器に赤ワインを入れて,オレンジなどを漬け込んでいたらしい。たしかに私の記憶の中のおばあちゃんは,よく何かしら作っていた。梅ジュースや梅干し,ぬか漬けなど,おばあちゃんが作ったものをお母さんはよくもらってきていたものだ。まさかサングリアも作っていたとは!けっこうな驚きだった。おばあちゃんは亡くなってもう久しいし,うちの母はほとんどお酒を飲まないからすっかり記憶が薄れていたが,そういえばおばあちゃんはお酒をよく飲んでいたっけ。

そんなわけで,今日もGlühweinを飲みつつ,一日を終える。

2016/12/22

英語指導での気づき

働いている塾でここ半年くらい,来年1月にセンター試験を受験する高3生(1人)の英語を担当していた。今日はその子の英語を担当する最後の機会だった。その子の英語を担当しているもう1人の先生が,センター試験までの残り20日余り専任で担当することになっているからである。適材適所の采配だと納得しているが,自分の力不足が悔しくもあり,思い入れがある生徒だけに寂しさも感じている。ここに来て点をとれるようになってきているので,あと二十日余り,がんばってほしい。

センター試験の英語対策を塾で教えるのは,今年初めての経験だ。私自身,センター試験を受けている。確か,8割くらい点をとっていた。しかしそれは2005年のこと。10年以上も前だ。当時私は過去問を解いてセンター試験対策を行っていたが,詳しいことはほとんど覚えていない。だが,英語の勉強自体については,一般的な人よりも年季も執念も入っている。私の場合,20代になってからの方が高校時代よりも英語の勉強に費やしているので,覚えていることも多い。だからそれをベースに,春くらいから英語の基礎力づくりをサポートしてきた。とはいえ,思うように成績は上がってくれず,少し不安だった。

11月くらいからは,センター試験の練習問題や過去問を利用した対策にシフトしていった。それで,センター試験の何年か分の過去問と,センター試験対策問題集に出ている問題を一緒に解きつつ解説したりしていった。その中で,私が実際に受けた年度の問題にもあたったが,ここ数年のセンター試験の問題形式とは違うところがけっこうあった。ちょうどその頃,もう1人その生徒の英語を担当する先生が決まって,その先生と授業内容などのすり合わせでよく話をするようになっていった。

その先生が来てくれたことに,私は正直ほっとしていた。それは,センター英語対策をどう進めていくのがよいのか,よく分からなかったからだ。英語力が十分あれば,センター試験だろうと別の試験だろうと点数はとれる。しかし,英語力が不十分な状態で少しでも高い点をとらせるにはどうしたらいいか。今のままの勉強の仕方で大丈夫なんだろうかと思った。そんなとき,その先生が,センター試験では○○しか聞かれないとか,文章のどこを読めば答えを見つけられる,などのセンター試験虎の巻的な知識をたくさん持っていることが分かったのだ。それでその先生はその生徒にそれらを伝授してくれるという。それを聞いて,あぁ,私にはこれが足りなかったのかと思った。要は,問題の分析をろくにしていなかったのだ。生徒の英語力について,より伸ばすべきところや克服すべきところを分かっているだけでは,試験で勝てない。孫子もそんなことを言っていたのを今更思い出している。痛い経験だが,経験してよかった。その生徒の英語からは外れるが,高校入試の生徒や,受験生以外の生徒も担当しているので,この経験を生かしたい。

今度のセンター試験の英語は,自分でも通しで解いてみようと思う。

2016/12/21

言語化の効能

今日は言語化することのメリットについて書こうと思っている。というのも,自分がなんとなく感じていることや思っていることを紙に書きだして可視化すると,考えている内容がより明確になり先に進むという経験を私自身何度かしており,言語化することで生産的になれるなと感じていたからだ。それで,言語化することのメリットについて,好きなことを発表していいことになっている認知心理学演習の時間に,それらを扱った論文をいくつか発表することにした。今日の午前中発表してきたところである。

今日の発表で取り上げた論文の多くは,言語化することで自己成長や意識改革へと導くことができるというていで話が進んでいる。論文の中で取り上げられていたケーススタディで面白かったのは,コーディネートの上達のために言語化を利用したケースだ(庄司・諏訪,2008)。実験参加者(大学生の女性)は,自身のコーディネートをよくするため,8ヵ月間言語化を行った。言語化は,ファッション雑誌を読んでそこに載っているモデルの写真の中から気に入ったコーディネートを切り抜き,感じたことをメモすること,買い物の際に目にした洋服やアクセサリに関して感じたことをメモすること,ファッションに興味のある友達と座談会を開いて,それぞれのメンバーにどんなコーディネートが似合うか意見交換をしたり,そこで感じたことや考えたことをメモすること,で行った。記述内容は,言語化を進めてく中で変化していった。最初の頃は,自分と洋服を概念的に合わせることについての内容が目立ったが,3ヵ月後くらいからは,自分の身体部位の特徴や,洋服の見た目を関連付けた知識が頻繁に登場するようになる。さらに,5ヵ月後くらいからは,相手からの視線と自分の身体部位や洋服を関連付けた知識がたびたび出てくるようになり,6ヵ月後くらいからは,これまでの記述で出てきた知識が統合されたような知識が書かれるようになっていたようである。論文では,言語化によって生じる変化ついて,自分の中にだけあった表象が外に出されることで,他の表象との関係の発見が促されるようになることや,言語化することで今まで見いだせなかったものに気づくようになること,自分と周り(環境)との関係が再構築されることや,知識が単なる知識にとどまらず,自分とリンクして咀嚼されていくことなどを挙げていた。これらによって,人の意識改革が促される,というわけだ。

冒頭でも述べている通り私は,言語化することで考えが進み,より生産的になれることを感じている人間なので,この主張はけっこう納得ができる。ぼんやりとしたものをいくら思っても,何かに答えを出すことはできない。言語化するとは,ある意味,一つ一つの思いを決着していくことだと思う。だから次に進めるのだろう。

しめくくりにこの言葉を。

”ホモ・サピエンスたるもの,誇りを持って自分の言語を駆使しましょう”

この言葉は,私が今年最もよく読んだであろうブログ&twitterの住人,ぱぷりこさんが著書「妖怪男ウォッチ」で言っていたものである。私はこの言葉を気に入っている。


引用文献
庄司裕子・諏訪正樹(2008) 個人生活における価値創造の方法論:メタ認知実践のケーススタディ (https://goo.gl/WShJE3

2016/12/20

パラフレーズは勉強の友

今日は,英作文の時間にパラフレーズの練習をした。あるテーマについて書かれた短い文章を読み,そこに書いてあることをパラフレーズしながら要旨を作る。そのあと,同じテーマについての講義(内容は文章とは別)を聞いて,それもパラフレーズしながら要旨を作る。そして最後に,2つの要旨を再構成して1つの文章を作る。TOEFLのintegrated writingでも同様の問題が出題される。

パラフレーズをすることは,英語/日本語関わらず,何かを勉強するときにとても役に立つ。パラフレーズのプロセスは大きく2つに分けることができる。文献に書かれていることや相手の言ったことを理解するフェーズと,それを別の言葉で表現するフェーズだ。両方ともうまくできないと,話が別のほうにいってしまう。だから,パラフレーズをしてみることで,自分がどれくらいそれを理解しているのかを確認することができるし,自分の表現の幅を広げることができるのだ。

勉強するとき,インプットだけでなくアウトプットが大切だということをよく聞く。子供のころはアウトプットといえば問題集を解くことばかりしていたが,資格試験や語学でもない限り,大人になっての勉強は問題集があるわけではない。そこで,読んだことや聞いたことを書き出す,というアウトプットをすることになるのだが,やってみるとインプットだけのときよりも断然理解が進むことを実感する。アウトプットすることで,インプットのときに感じた「あ~なるほど,分かった」が,「分かったつもり」だったことに気づき,もうそれを一度読んだり,別の素材にあたって調べたりするからだ。また,個人的な感覚では,同じアウトプットでも,文献に書いてあることや先生が言ったことをそのままメモするのはあまり効果がないように思う。あくまでも,自分の言葉で書くこと,つまりパラフレーズするのがよいのである。多分,同じことをそのままメモするというのは,行為としてはアウトプットだが,頭の中ではインプットでの処理と大差ないのだろう。パラフレーズするとなると,内容を解釈して,それを表現するための適切な言葉を見つけるという作業が組み込まれるので,理解が促されることになるのである。

とはいえこのパラフレーズ,やってみるとけっこう疲れるもので,必要ないならやりたくない,というのが正直なところだ。しかし私は,仕事でもプライベートでもしばしば,「中学生にも分かるように話しなさい」と言われる。つまり「優れたパラフレーズをせよ」ということだ。日々精進である。