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2016/03/25

研究を1つ終えて

先日,ファジィ学会のワークショップで研究発表をしてきた(http://www.j-soft.org/~kanto/)。大学で私の研究のスーパーバイザーをしてくれている先生がこの学会のオーガナイザーの1人ということで,研究発表の機会を私に与えてくれた。人生初の研究発表,この日までの約半年間,構想の段階からとにかくいろいろあったが,ひとまず形として残せたことで達成感とちょっとの自信が得られた。

大学生の1つの仕事は研究することだ。講義を受けて単位をとることも仕事の1つだが,それだけでは,その学問領域でこれまでどんなことがあったのかについての少しの知識と,学士号を得るだけで終わるだろう。私の場合,大学生活は2度目だから学士号はすでに持っている。しかも誰かがやったことや考えたことというのは,本にいくらでも書いてあり,それだけ得るために大学に行く意味はあまりないのだ。幸い興味があることはあったし,人が薦めてくれたテーマもあったから,昨年度の段階で研究を始めようとした。しかし,どこから手をつけたらいいのかよく分からない,新しいことを学ぶと興味がそっちにも広がり余計収拾がつかなくなる,テーマを深掘りできない,といった問題と言う名の言い訳がポンポン現れ,さらには講義を受けて単位をとるという安易な習慣に流れ(私はこれがとても得意!),結局ろくに研究しないまま1年ちょっと過ぎてしまっていた。そんなもやもやを講義で仲良くなった先生に話したら,「じゃあ3月に研究発表しましょう」となり,それをきっかけに今回の研究がスタートすることになった。昨年の夏休みごろである。

スタートしたのはいいものの,もやもやしている状態で始めているのだから,そううまくコトは運ばない。しかし,デッドラインが決まっていたこと,たとえもやっとしたものでも先生に相談すればアドバイスをもらえたこと,そして「あんたまた逃げるの?」という自らへの脅しのおかげで,行きつ戻りつしながら方向性や研究方法が徐々に固まっていき,データ収集,データ分析を経て1つの研究が終了。そして研究結果が出揃ったかと思えば今度は,どう発表しようかと試行錯誤することとなり,ギリギリまで引っ張ってようやくレジュメが完成。発表の練習は不十分のまま本番に臨んでしまった。

研究の構想から発表までを今回経験してみて,いろいろなことに気づいた。1つの研究で解明できることは些細なことでしかないこと,なんでも研究対象になること,望ましい結果が出なくとも,それはそれで意味のある研究結果であることなど。しかしそれ以上に,自分の現在の立ち位置/レベルを把握できたことがとてもよかった。研究についてもやもやしていたころはいまいち現実感もなく甘えもあったけれど,実際にやると現実に問題がどんどん発生するし,誰も私に代わって対処してくれない。そのうえ,研究は強制されたものではなく,自分の好きなようにやることを求められ,やめることすら自由だったので,研究スキル以外の自分の能力,傾向までも突きつけられることとなった。結果として,私は何がどの程度できるのか/できないのかが浮き彫りになってしまった。でもそれは当初予期していたような痛みを伴うものではなかった。そしてこれからどうしていくのか?という問いに対して,なんというか,やっとスタートラインに到着したような気がする。

今後も研究は続けていく。今回の研究は,自分の意志で進めてきたものではあるものの,満足のいく出来ではない。結果はきちんと出ているが,構想段階での着眼点や詰めが甘かったため,自分の知りたかったことの核心から外れてしまったように感じている。次に形にする研究は,調査/実験を始める前段階を丁寧に進めたい。