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2016/09/29

面白い研究・面白い論文

研究がなかなか思うように進まない。現在「メタ認知」に興味があり,いろいろな文献を読んで情報収集+研究計画づくりをしているのだが,なかなかアイディアが生まれない。先日友人に,「卒業論文面白くなりそう?」と聞かれて,「ならなそう…」と即答してしまった。今の状態からは,今後面白くなりそうな要素がまったく見当たらない。自分の研究,卒業論文,面白いものにしたいな…。ということで,面白い研究・論文ってどんなのがあるか調べてみた。

最初に思い浮かんだのが,イグノーベル賞。ググってみると,つい最近2016年の受賞論文が発表されていた(http://www.gizmodo.jp/2016/09/2016-ig-nobel-prize-winners.html)!なんとバラエティー豊かなトピックス!突拍子もないものから,身近に起こっている出来事を実証するもの,実用的なものまでそろっている。生物学賞の野生動物になりきるとか,文学賞のハエ収集とか,どこに魅力を感じて始めたの!?平和賞のでたらめを人がどう受け取るかの話とか,心理学賞の世代別うそつき能力の話とかは,もろ日常生活のことである。でたらめを言ったり聞いたり,うそを言ったり聞いたり,私も含めて多くの人がしていることだけど,それを具体的な研究に落とし込むまで考えたことないよな…。医学賞の左腕を掻いて右腕のかゆみを抑えるってのは…講義で聞いたことのあるラバーハンド錯覚の応用!?と思った。ラバーハンド錯覚とは,ある手続きを踏むと,目の前に置かれたラバーハンド(手の模型)を自分の手だと錯覚する,という現象なのだが(詳しくはhttps://goo.gl/PfEsUS 動画はこちらhttps://youtu.be/sxwn1w7MJvk?list=PLwHE59lNfxCrnvEY1foLLzQVYQWlA0EsN),左手を鏡で見ながら右手を掻いているように掻くことで,右手が掻かれていると脳が錯覚を起こすのだろう。とはいえ,痒みを止めることに応用できるなんて考えてもみなかった。とりあえず,今度痒くなった時にやってみよう。

面白い研究でもう一つ思い浮かんだのが,サンキュータツオ氏が書いた「ヘンな論文」という本のこと。彼はヘンな研究論文を収集するのが好きらしく,集めた論文の13本をツッコミ満載で紹介している。一見するとなんでそんなこと調べたの?というものから,私もそれ気になるー!というものまで,こちらのトピックスも本当に様々。どの論文のトピックも著者のツッコミも面白いので,詳細は実際に読んでほしいが,「「浮気男」の頭の中」で紹介されている論文の結果を見ては,あ,最終的に彼らは開き直るんですね…という解せるような解せないよう感覚に陥り,「「なぞかけ」の法則」で紹介されている論文では,なんでそれを面白いと感じるのか,ってことにまで踏み込んでいるではないか…まさに面白い研究・論文について考えるのにダイレクトにつながる情報。「「しりとり」はどこまで続く」で紹介されていた,広辞苑に載っている単語をコンピュータで計算させ,しりとりは最長どのくらい継続させることが可能なのかを明らかにした話とかびっくりだ。「「あくび」はなぜうつる」の章については,あくびってうつるなと私も思ってたよ…と。結局,日常感じるちょっとしたことを,深く掘り下げて考えたり調べたりしていけるかどうかで,研究は生まれるのだろう。ちなみに,相撲取りのマゲを結う人のことを床山と呼ぶことを,床山の生態を調べた論文を紹介していた「現役「床山」アンケート」の章を読んで初めて知りました。

2016/09/28

疾患自体がミステリー

ここ最近,「キルミー・ヒールミー」という韓国ドラマを見ている(http://killme-healme.jp/)。解離性同一性障害(多重人格)を患っている男性が,新米女性精神科医のもとで癒され,症状を改善させていくプロセスを描いた話だ。謎解き要素と恋愛要素も盛り込まれていて,ぐいぐい引き込まれる。そして解離性同一性障害の男性を演じるチソン,イケメンなうえに演じ分けがすばらしい。にしても解離性同一性障害,謎である。ドラマの内容よりも疾患自体がミステリーだ。

ドラマを見ててふと感じた一つ目の謎は,交代人格の名前ってどうやって決まったのだろう,ということだ。私には名前がある。でも私の名前は私がつけたものではなく,親が私の意思とは関係なく勝手につけたもの。赤ちゃんの頃からその名前で呼ばれ続け,いつの間にかその名前が私の名前だと認識するようになり,私は私の名前の人物になる。多くの人がこのようなプロセスをたどっているはずだ。では,多重人格に現れる交代人格たちはどうなんだろうか。交代人格は主人格の脳の中で生み出される人格で,主人格の一生のうちのどのタイミングで出てくるかも,どのくらいの頻度で出現するかもバラバラ。だからほかの誰かが名付けたとは考えにくい。さらに,主人格が交代人格の存在を把握しているとも限らないから,主人格が名付けたとも考えにくい。とすると,交代人格が自分で好きな名前を名付けたんだろうか?となる。え,でも名前付けるにも言葉知らなきゃいけないし,名前として使われている名前をつけているから,名前に関する知識があるんだろうか?

そう考えると次の謎が生まれてくる。交代人格と主人格はどのくらい記憶を共有しているのだろう。ドラマの中で交代人格たちは,言葉を話したり車を運転したり,絵を描いたりできる。交代人格たちがそれらの能力を,赤ちゃんがゼロから習得するように習得したとは考えにくいから,多分主人格が持っている手続き記憶を共有しているのだと思う。しかし,ビリー・ミリガン(実在した多重人格者)のように,主人格が習ったことのない言語を使える交代人格もいたりするので,手続き記憶だからといって共有されるとは限らないのだろう。個人の経験(エピソード記憶)に関しても,共有していることとしていないことがあるようだ。ドラマでは,交代人格たちがしていたことを主人格はまったく覚えていないものとして描いていた。そして交代人格たちは,自分がしたことを覚えている。ということは,記憶としては脳のどこかに存在していて,主人格はそれを引っ張り出せないということになるのだろう。でも逆に,交代人格は主人格やほかの交代人格についてよく知っていたりする。「24人のビリー・ミリガン」にもそんな話があった。ということは,どのくらいの記憶を脳から引っ張り出して意識化できるかは,それぞれの人格で違うということになる。じゃあその違いってどうして生まれるんだろう?

さらに,もう一つ。ドラマで登場する交代人格たちは,自分が交代人格であることを認識している。え,それってどういう感覚?なんで交代人格だって分かってるの?というか,どういうプロセスを経て主人格から分離して交代人格へと確立するんだ?

…本当に謎だらけ。


参考資料
記憶の分類(https://bit.ly/3uTmvud) 
ダニエル・キイス「24人のビリー・ミリガン」

2016/09/27

プレゼント選び

久しぶりに会う友人にプレゼントを買いたいなと思った。何を買うのがいいだろう。プレゼントするなら,やっぱり相手に喜んでほしい。でも一体,どういうこと/ものに喜びを感じてくれるんだろう。その友人とご飯を食べに行ったり遊んだりしたときのことを思い出して考えてみた。…答えがまとまらない。そして,「私,この人のこと実はよく知らないのか!」とはたと気づき,相手のことをどれだけ知ってるかでプレゼント選びの難易度って変わるなと思った。

プレゼント選びはお土産も含め,これまでに何度もしたことがある。どんな相手にあげるにしてもいつも大なり小なり悩むのだが,どうにも困ったときは食品を選択肢にすることで対処してきた。特に菓子はそれほど好き嫌いが分かれないし,消費されたらあとに残らない。何をあげたらいいか迷ったときの無難な選択だと思う。でも,食品や菓子では何かもの足りない。ちょっとしたお土産とか,付き合いでのプレゼントにはぴったりだと思うけれど,あげる相手やあげる機会によっては,身に着けるものや使えるものなど,食品以外で考えたい。するとプレゼント選び,なんと難しくなることか。

プレゼント選びを難しくさせているのは,相手が喜んでくれなかったらどうしよう…ということを考えるからなんだと思う。なんでそう考えるのか。もらったプレゼントがどうにも自分の好みとマッチしない,使えないということは私も経験したことがあるが,そのときの「どうしよう,これ…」感は半端ない。たいていは捨てることもできないまま引き出しの奥とかにしまわれ,忘れたころになんかのきっかけで出てくる,みたいな末路をたどる。私があげたプレゼントにそんな末路をたどってほしくないから?とか,相手に残念な感じを感じてほしくないから?とか,それによって自分の評価が下がるの嫌だから?とか,もんもんとした結果,相手が喜んでくれなかったらどうしよう,ということは考えても仕方ないなと思うに至った。どんなに相手のことを思い考えたって,私が思うように相手が動くわけではない。だったら,相手のことをできるだけ知る→その情報から相手が喜ぶ確率の高いものを選択する→プレゼントする,までのプロセスに集中,が最善策。そしてもし相手がプレゼントを喜んでくれたら,「やったー」,そうでもなかったら,相手の好みに関する情報としてストック,するとしよう。

2016/09/26

経験や感覚で掴んでいることを言語化すること

自分が経験や感覚で掴んでいることを言語化するのが難しい,最近仕事をしているとよく感じることだ。

私は個別指導塾で中学・高校生に英語を教えているのだが,担当しているある高3生の生徒は,英語の語句整序問題(提示された語句を並べて正しい英文を作る)ができない。自分でも苦手だということを把握していて,困っている様子。彼はそもそも英語が得意ではなく,問題形式によらず解けない問題がまだ多いのだが,それでもなんとか語句整序問題解けるようにならないものか,と解き方のコツみたいなのを見つけようと試みた。

まずは彼に,語句整序問題をいつもどう解いているか聞いてみた。すると,「提示された語句を見て,熟語になったり,つながりそうなものをまずつなげる。あとは適当にならべる。」との答え。(て,適当に…!?)思わず「おい!」とツッコミたくなるが,やり方が分からなかったら適当に並べるしかないか…,と思い直し,私自身,語句整序問題をいつもどうやって解いているんだっけ?と振り返ってみた。ん!?私の場合,提示された語をじっと見てるといつのまにか並び変わってちゃんとした文作れてることが多くないか!?…振り返った結果そう思ったが,それじゃ何のアドバイスにもならない。ということで,実際に問題を解きながら自分が何をとう考えて,文を作っているのかモニタリングしてみた。

モニタリングした結果,いくつかコツみたいなのが見えてきた。まず彼が話していた,語句同士でつながりそうなものを見つける,というやり方。これは私も実際にやることがあった。熟語の知識があることや前置詞の使い方などを知っていることが前提だが,決して使えない方法ではない。デメリットがあるとすれば,語句同士を正解とは別のつなげ方をしてしまい,それにとらわれて他の語も並べられなくなる,ということくらいか。ほかには,主語と動詞を把握することが挙げられる。英語の文は命令文などの一部を除き,必ず主語と動詞があるから,それを見つけてセットにしておけばいい。日本語文があれば,それをよく読んで見つければいい。日本語文もなく,主語がどれか見分けづらいときには,動詞の形を見て主語を見つける方法もある。あとは,これは日本語文がないと厳しいが,説明されるものを先に持ってきて,説明するための単語をあとにくっつけるということ。関係代名詞を考えると分かりやすいのだが,英語はまず核心となる単語や文を発して,あとに説明を加えてより詳しく説明したり,話を広げたりしていくことが多い。そういえば,英語圏の住所の書き方もこんな感じじゃないか。日本とは逆で,彼らは番地から,町,州やエリア,国へと広げていく。

早速この話を彼に伝えてみた。が,しかし,語句整序問題ができるようになった様子はない…。何が違うんだろう?当たり前だが私は彼よりも英語を勉強している時間が多い。だから,知っている単語の数,熟語の数が多いし,読んだことのある英文の数も断然多い。それで,語句が正しく並べられていない英文を読むとなんとなく違和感を感じるし,こういう意味の句はこの場所には来ないとか,この語がこの語とくっつくことはないとか,日本語でこう来たら英語ではこう書けるとか,経験的に,感覚的に掴んでいたりする。でもそういうのは,どう言葉にして伝えたらいいのだろう。もちろん参考書などで調べて,ルールとして明文化されているものはそれを使って説明するのだけど,見つからないものは,「そういうもんなんだよね…」としか言えず,なんか心苦しい。

「もっと勉強して!」で片付けたくなく,どうしたらいいか模索中である。

2016/09/25

気づけば4年,オンライン英会話

オンライン英会話を始めてから,今月で4年が経った。オンライン英会話始めたのそういえば今頃だったなーと思って登録日を調べたら,2012年の9月17日。2~3ヵ月間休会していたたことが一度あったけれど,それ以外は1日1回ペースでゆるく続けている。もはや生活の一部だ。

オンライン英会話は楽しい。長年続けて,何度も予約している講師と話すのは,勉強というより友達とのおしゃべり感覚になっている。4年前の始めたころは毎回緊張しっぱなしで,相手の言っていることが聞き取れない,聞き取れても返す言葉が浮かんでこない,言いたいことがあっても英語でどうどう言ったらいいか分からない,口ごもったり焦ってとんちんかんなことを言ってしまう,という感じでやるたびにどっと疲れ,みじめな気持ちにもなっていたが,さすがに回数を重ねれば慣れてくるもので。次第に,とりあえずなんでもいいから思ったこと伝えようという開き直り(9割)と,焦らずゆっくり考えてしゃべろうという自己コントロール(余裕があるときの1割)がむくむくと湧き上がり,結果,英語を話すのにほとんど緊張しなくなったし,なじみの講師にはプライベートをダダ漏らし状態である。

4年間でプライベートな話をたくさんしていたのは,同年代の女性講師。今彼女は講師をやめてしまっているが,彼女とのレッスンは,いつもお互いの日常の話だった。彼女は,最近気になる人がいて・・・とか,アートの勉強をしたいとか,洋服屋を始めたとか話し出し,私は私で,また学校行こうと思ってるとか,友達との間に起こったごたごたとか,仕事の愚痴を話しては,互いに共感やアドバイスを得たりしていた。世の中のイケメンの話で盛り上がる女性講師もいる。韓国の俳優とか,スポーツ選手の○○がかっこいいに始まり,こういう人がタイプでとか,こういう人がモテるとか,互いの国の恋愛事情を話している。一方で,私が大学で学んでいることに興味を持つ講師もいる。講義でこんな話を聞いたとか,心理学の理論とか,自分の研究について説明したりすると,それについて質問がとんで来る。自分のしていることに興味を持ってくれるのはやっぱりうれしい。

こんな感じで4年続けてきて思うことは,レッスンを自分でコントロールしないとなー,ということだ。オンライン英会話の環境に慣れすぎてしまった。友達感覚で話せる心地よさはいいけれど,英語話せた!楽しかった!で終わっちゃっては,お金を払うことにあまり意味がなくなる。英語を使うことに抵抗がなくなった今,講師の使う表現や使っているニュースサイトの単語,表現をもっと吸収し,自分の表現にしていきたい。

ちなみに,私が登録しているオンライン英会話は,キーアイというところ(http://www.key-eye.net/)。英語で話す機会を欲していた当時,いくつかのオンライン英会話サイトを比較・検討した結果,ここに行き着いた。決め手は24時間開講制と1回あたりの料金の安さ。24時間空いていれば,レッスンの予定を組みやすい。自分の予定や生活パターンを無理に調整することなくレッスンを予約できるし,生徒の予約が分散するから,土日や朝,夜など混んでいる時間帯にほかの生徒とバッティングして,レッスンが予約できないなんてことも避けられる。だから,定額制でも支払ったお金が無駄になるリスクは少ない。料金はいくつかの定額プランがある。プランの改定があって,始めたころより若干料金が上がったが,許容範囲なので続けている。どの講師に予約を入れるかで異なるのだが,現在の私のレッスン単価は200円(25分間)だ。レッスンの内容は受講者次第。キーアイがいくつかフリーのテキストを持っているのでそれを使って進めることもできるし,ただ単に会話するだけでもいいし,資格試験の対策もやってくれるらしい。私は大体,英語メディアのネット上の記事を音読し,それについて講師と話すという感じで進めている。分からない単語の発音や意味は聞けば教えてくれるし,自分の発した英語にミスがあれば,指摘し,ベターな表現を教えてくれる。

2016/09/24

モーツァルト効果

音楽を事前に聴くと,その後の作業によい影響が及ぶことをモーツァルト効果というらしい。発端はRauscherら(1993)の論文に発表された研究。被験者に,モーツァルトの曲「2台のピアノのためのソナタ」を10分間聴かせたら,リラックス効果のある音を聞かせたグループや何も聞かせなかったグループよりも,その後に解かせた空間的推論課題で好成績を収めたことから,モーツァルト効果と呼ばれるようになったのだとか。ちなみにこの効果は,音楽を聴いて10-15分で消失するとされている。音楽を聴くことが作業パフォーマンスにどんな影響を与えるかの研究はその後もされていて,辛島ら(2012)によれば,作業者がやる気が向上すると期待できる音楽を聴く→作業者のポジティブ感情UP→作業効率や精度が向上というデータが出ており,山下ら(2016)の研究では,作業前に音楽を聴くことが,その後の作業を楽しい,面白い,作業時間を短いと感じさせ,その後の課題成績が上がることを示している。被験者に聴かせる音楽は,辛島ら(2012)では,この曲を聴くとやる気が向上するとして被験者が選曲した曲,山下ら(2016)では,作業遂行に適した曲として被験者が選曲した曲と,実験者が選曲したクラシックの曲とインストゥルメンタルの曲だった。聴かせる時間はどちらも15分間である。

たしかに音楽を聴く→ポジティブ感情UP,というのはよく経験する。例えばテレビを見ていて曲が流れる。アップテンポの曲が流れるとなんとなく楽しい気分になるし,90年代J-POPが流れればカラオケに行きたくなる。最近週1で行っているジムでは,常にJ-POPか洋ROCKが流れていて,それを聞いているとなんかやる気になってくる。でも逆に,音楽を聴く→ネガティブ感情UPというのは,あまり聞いたことがない。曲を聴いていたら悲しい思い出や辛い思い出を思い出しちゃってとか,歌の歌詞が悲しいとかで気分が沈むというのはもちろんあるだろうが,曲を聴いただけでなんとなくポジティブな気分になるように,曲を聴いているだけでなんとなくネガティブな気分になったことはこれまでになかったように思う。高校生のとき,失恋してもっと泣きたいと思って,聴いたら悲しくなりそうな曲をいくつか集めてリピートしていたことがあったが,思った以上に気分は変化せず,泣けなかったことを思い出した・・・。私の感覚では,悲しい旋律の曲を聴いてもたいてい気分は現状維持,もしくはほんの少しネガティブに振れるか?くらいだ。

ところで,ポジティブ感情UPにより,その後の作業によい影響を与えることが辛島ら(2012)や山下ら(2016)の論文で実証されているが,感情以外に,集中力が高まった結果作業パフォーマンスが高まったというのも考えられるんではないだろうか。実験室という日常場面よりも少し緊張する環境で意識的に曲を15分聴くわけだから,音に集中していると考えるのが自然である。で,その状態で,つまり作業にかかる前の段階で集中を喚起された状態で作業を始められるので,それが作業への準備/助走のような役割を果たし,作業への取りかかりもスムーズになり,パフォーマンス自体もが上がるんではないだろうか。実証しないことには憶測にすぎないが。


参考文献
Frances H. Rauscher, Gorden L. Shaw, Katherine N. Ky 「music and spatial task performance」 (https://goo.gl/p13t4C
辛島光彦,西口宏美 「単純繰り返し作業における作業前音楽聴取の有効性に関する研究ー転記作業と心的回転作業を例にー」 (https://goo.gl/IUXmQG
山下利之,渡辺美帆,小俣世菜,大田安彦,北澤伸二,鈴木優太 「BGMの知的作業に対する心理的効果」 (https://goo.gl/fL2hmL