明日,認知神経科学のテストがある。それでテスト勉強を始めたが,気が散ってなかなか先に進まない。ということで,とりあえずコーヒーを作って飲んでいる。コーヒーを飲むと覚醒する。だからそれでテスト勉強のモチベーションを上がるかもしれない。そして今ブログを書いている。ブログを書くためには考えるから,記事の更新がテスト勉強の助走になるかもしれない。
気が進まないならやらないで寝ちゃえばいいのにと感じつつ,それをできないことがもどかしい。だからこうしていろいろしつつ気分がのってくるのを待っているわけだが,昔はよくテスト勉強をしていたなとつくづく思う。
私はよくテスト勉強をする子だった。テストがある=テスト勉強するというのは,私にとっては極めて自然なことで,テスト勉強を全くせずにテストを受ける人たちが信じられなかった。それもこれも小さいころからそう教育されてきたからだと思うが,全くテスト勉強をせずにテストを受けたことはこれまでに一度もない。それに,昔の私にはテスト勉強時の強い味方がいた。記憶力である。中学生のころは本当に記憶力が良かったと思う。教科書の本文を一言一句間違えずに暗記することも難なくできていた。
そのころに比べたら,テスト全般に対するモチベーションは下がったように思う。しかも,当時ほどの記憶力もなくなった。テストに対するモチベーションが下がったのは,テストが褒められるためのツールとして機能しなくなったからだろう。昔はテストでよい点をとれば褒めてもらえたが,今は褒めてもらえず,誰かに言えばただの自慢になる。よい点をとることへの自己満足はある,でもそんなのはたかがしれている。テストへの認識,意味づけを根本から変える必要があるんだろうと思う。テストは何のために?自分のわかっていないところを把握して,次へ進むための手がかりとするためのツールじゃない?という具合に。記憶力については,まぁ,年をとったから仕方ない。何度も繰り返せば定着することは分かっているので,そうするだけだ。
ではそろそろ勉強を再開しようか。
2016/12/18
2016/12/17
適当料理
毎週土曜の深夜,フジテレビで「久保みねヒャダ こじらせナイト」(http://www.fujitv.co.jp/kojirasenight/)という番組が放映されている。私はこの番組が大好きで,毎週録画して見ているのだが,その番組内のコーナーの1つに「予想を下回る微妙な料理」というのがある。視聴者から送られてきた,美味しいだろうと思って作ってみたはいいが思ったほど美味しくない,うーん…微妙な味…,と感じる料理を紹介するコーナーである。先日は,「お餅カレー」や「ヨーグルトトースト」が紹介されていた。
さて,私は料理をする。とはいえ正直料理が好きなわけではないし,こだわりがあるわけでもない。料理についてちゃんと学んだわけでもないから,私が作る料理はいい加減である。以前友人と,何を作るか決めるとき,料理が先か材料が先かの話をしたことがあった。ちまたではレシピ本があふれ,おふくろの味,あのときのレストランで食べた味などもあり,すでに存在しているありとあらゆる料理があふれている。それらの完成した料理ありきで,材料を集めたりしつつ料理をしていくのが前者である。一方後者は,まず食料棚や冷蔵庫の中身確認から入る。そしてあるものを組み合わせてなんとかしようとする。そしてなんとなく料理らしきものが出来上がる。私も友人も後者であった。一人暮らしを始めて12年余り,そんな感じでほぼ毎日なんかしら作っているのだが,けっこうさまになっていて,自分が作った料理でまずいと思ったことはほとんどない。作る前になんとなく味が想像できることが功を奏しているのだろう。せいぜい焦がした料理にゲッとなったくらいである。
しかしながらここ数日はちょっとピンチな状況になっている。なぜなら,うちの食料棚と冷蔵庫にあまり食材が入っていないからだ。買い物するのが億劫でしていないからそうなっているだけなのだが,使える食料の種類が少ないとそれだけ何を作るか頭を悩ませることになる。今ある材料のみの組み合わせで作ったことのある料理は全くないが,いかがなものか…。そこで思い出したのが,前述した久保みねヒャダのコーナーである。微妙だったら投稿しちゃえと,早速,初めての味になるありあわせ料理を作ってみた。それはツナキムチパスタである。作り方はいたって簡単だ。ゆでたパスタに,うちにあった「宗家(チョンガ)白菜キムチ」(今まで食べたキムチの中でこのキムチがいちばんおいしい)とツナ缶のツナを混ぜるだけ。キムチとツナが合うことはなんとなく想像がつく。でも,キムチとパスタは微妙な気がするな・・・そんなことを感じながら食べてみると,けっこういけるではないか。いや,むしろ美味い。微妙な味になることを想定し,投稿しようと息巻いていたのに,拍子抜けしてしまった。
思い込みを超えたところにい新しい発見があるんだなということと,使えるものがないときこそ創造力が試されるなということを実感した次第である。
みなさんもぜひお試しを。

さて,私は料理をする。とはいえ正直料理が好きなわけではないし,こだわりがあるわけでもない。料理についてちゃんと学んだわけでもないから,私が作る料理はいい加減である。以前友人と,何を作るか決めるとき,料理が先か材料が先かの話をしたことがあった。ちまたではレシピ本があふれ,おふくろの味,あのときのレストランで食べた味などもあり,すでに存在しているありとあらゆる料理があふれている。それらの完成した料理ありきで,材料を集めたりしつつ料理をしていくのが前者である。一方後者は,まず食料棚や冷蔵庫の中身確認から入る。そしてあるものを組み合わせてなんとかしようとする。そしてなんとなく料理らしきものが出来上がる。私も友人も後者であった。一人暮らしを始めて12年余り,そんな感じでほぼ毎日なんかしら作っているのだが,けっこうさまになっていて,自分が作った料理でまずいと思ったことはほとんどない。作る前になんとなく味が想像できることが功を奏しているのだろう。せいぜい焦がした料理にゲッとなったくらいである。
しかしながらここ数日はちょっとピンチな状況になっている。なぜなら,うちの食料棚と冷蔵庫にあまり食材が入っていないからだ。買い物するのが億劫でしていないからそうなっているだけなのだが,使える食料の種類が少ないとそれだけ何を作るか頭を悩ませることになる。今ある材料のみの組み合わせで作ったことのある料理は全くないが,いかがなものか…。そこで思い出したのが,前述した久保みねヒャダのコーナーである。微妙だったら投稿しちゃえと,早速,初めての味になるありあわせ料理を作ってみた。それはツナキムチパスタである。作り方はいたって簡単だ。ゆでたパスタに,うちにあった「宗家(チョンガ)白菜キムチ」(今まで食べたキムチの中でこのキムチがいちばんおいしい)とツナ缶のツナを混ぜるだけ。キムチとツナが合うことはなんとなく想像がつく。でも,キムチとパスタは微妙な気がするな・・・そんなことを感じながら食べてみると,けっこういけるではないか。いや,むしろ美味い。微妙な味になることを想定し,投稿しようと息巻いていたのに,拍子抜けしてしまった。
思い込みを超えたところにい新しい発見があるんだなということと,使えるものがないときこそ創造力が試されるなということを実感した次第である。
みなさんもぜひお試しを。

2016/12/16
心理学実験やっています
今年に入ってから,学内で行われている心理学実験の実験者としての仕事をしている。自分の研究の実験ではなく,先生や院生の研究の実験を行う人として,参加者の人に実験内容の説明をしたり,実験手続きを遂行したりしている。現在関わっている実験は2つ。表象的慣性(動いているものが視界から消えたとき,それが実際に消えた位置からずれた位置で消えたと認識すること)に関する実験と,音楽の反復聴取と作業効率の関連についての実験だ。本日は,珍しくどちらの実験のシフトも入っていた。表象的慣性の実験については何度もやっているのでだいぶ慣れてきて,スムーズに終了。音楽の実験は今日が3回目。1回目2回目とトラブルが発生してひやひやものだったので,今日のは無事に終えることができてほっとしている。自分の研究の実験ならまだしも,他人の研究の実験なので,結果に影響を及ぼすようなミスはしたくない。
実験を実施して感じることは,まず,「参加者のみなさん,ありがとう」ということだ。上で述べた表象的慣性の実験については,2回私もテスト参加者として参加しており,音楽の実験については,現在行われている実験の予備調査のときに参加者として参加している。どちらの実験も,参加者にとってはけっこう負担が大きいように思う。表象的慣性の実験は,全体で2~3時間を要し,比較的単純なことを繰り返す課題をやってもらう。音楽の実験のほうは,1.5時間くらいを要し,こちらも同じく比較的単純な作業を繰り返してもらう。長時間単純作業を繰り返すことほど眠気や疲れ,イライラが募るものがあるだろうか。私はこれ以外にも,学内で行われている心理学実験にいろいろ参加してきたが,この手の実験が終わった後の解放感は半端ない。どんなよい実験パラダイムが思い浮かんでもやってくれる人がいなければ何の意味もないわけで,実験に参加するために時間を作ってくれる参加者がいるということは,ありがたいなと思う。
実験をしながら考えていたことがもう1つある。上で述べたような実験は,実験室実験と呼ばれている。現象の因果関係を導くために,原因となる変数以外の変数の影響が最小限にするべくコントロールされた状況で行うからだ。しかし,私たちが生きている現実は,いろいろな変数が絡み合って何らかの現象を起こしている。とすると,実験室実験の結果は,日常生活で起こっている現象をどれくらい反映するのだろうか。もう1つ実験室実験で気になることがある。それは参加者の人たちの取り組みだ。私も自分が実験の参加者であるときはそうするのだが,自ら実験に参加すると名乗りでてくれる人たちは,実験にとてもコミットしてくれる。実験者としてはそれはとてもありがたいことではあるが,そのコミットメントの強さが結果に影響を及ぼすことがある。やはり日常でのふるまいをどれくらい反映するのかが気になるところだ。
実験を実施して感じることは,まず,「参加者のみなさん,ありがとう」ということだ。上で述べた表象的慣性の実験については,2回私もテスト参加者として参加しており,音楽の実験については,現在行われている実験の予備調査のときに参加者として参加している。どちらの実験も,参加者にとってはけっこう負担が大きいように思う。表象的慣性の実験は,全体で2~3時間を要し,比較的単純なことを繰り返す課題をやってもらう。音楽の実験のほうは,1.5時間くらいを要し,こちらも同じく比較的単純な作業を繰り返してもらう。長時間単純作業を繰り返すことほど眠気や疲れ,イライラが募るものがあるだろうか。私はこれ以外にも,学内で行われている心理学実験にいろいろ参加してきたが,この手の実験が終わった後の解放感は半端ない。どんなよい実験パラダイムが思い浮かんでもやってくれる人がいなければ何の意味もないわけで,実験に参加するために時間を作ってくれる参加者がいるということは,ありがたいなと思う。
実験をしながら考えていたことがもう1つある。上で述べたような実験は,実験室実験と呼ばれている。現象の因果関係を導くために,原因となる変数以外の変数の影響が最小限にするべくコントロールされた状況で行うからだ。しかし,私たちが生きている現実は,いろいろな変数が絡み合って何らかの現象を起こしている。とすると,実験室実験の結果は,日常生活で起こっている現象をどれくらい反映するのだろうか。もう1つ実験室実験で気になることがある。それは参加者の人たちの取り組みだ。私も自分が実験の参加者であるときはそうするのだが,自ら実験に参加すると名乗りでてくれる人たちは,実験にとてもコミットしてくれる。実験者としてはそれはとてもありがたいことではあるが,そのコミットメントの強さが結果に影響を及ぼすことがある。やはり日常でのふるまいをどれくらい反映するのかが気になるところだ。
2016/12/15
研究をまとめ直してみたら
午前中から取り掛かっていたレポートが一段落ついた。大学での単位取得のため,今年の3月に発表した研究を,レポートとしてまとめなければならなかったのだ。発表時にある程度まとめていたのだが,改めて見直してみると,そのまとめ方が恣意的かつずぼらであった。こりゃまずい,と整理し直して文章化。元のものより分かりやすくなったと思う。が,しかし,やっぱりこの研究,客観的に見てあまり面白くないなと再認識してしまった。この研究の続きを進めてまた来年の3月に発表しないかと誘われているが,どうしたものか。
この研究については一度,ブログ内で言及したことがあった(http://yukiron.blogspot.jp/2016/03/1.html)。かなり付け焼刃な状態でエイッと進めてしまった。だから,興味を持ったテーマがぼんやりとある状態から,実験や調査可能なテーマへと絞り込んで,実験や調査の方法を選定するというプロセスをおざなりにしてしまった。たぶんそのせいだろう。なんとも薄っぺらい感じが否めない。実験やデータ分析自体は問題なく行えたため,結果もしっかり出ている。しかし,「私この時本当にこれ知りたかったんだっけ?」という思いがむくむく湧いてきた。
以前,面白い研究についての記事も書いたことがあった(http://yukiron.blogspot.jp/2016/09/blog-post_29.html)が,私面白いと感じた研究は,日常生活でなんとなく感じていることや目にしているものについて,「え,そんなことする必要が?」というくらいしつこく食いついた結果得られた新たな発見,という感じであった。なんというか,目の前で起こっている現実をベースに一つ一つ積み上げていくイメージである。では,私の研究はどうだろう。私が研究テーマを選んだとき,私も日常生活での気になることからスタートした。しかし,次のステップで先を急いだように思う。その気になることについていろいろ考えをめぐらす前に,すでに心理学の世界にある概念や手法を援用して,実験や調査を組み立てたのだから。それでは,薄っぺらい研究になってしまっても仕方がない。
なんとも後味が悪い。
2016/12/14
プロジェクト4日目の雑感
ブログを毎日書こうプロジェクト4日目になった。2日目の月曜日,3日目の火曜日,そして今日,と3日連続でいつもより少し早く起きてブログにとりかかるようにしている。朝の時間だけでブログを書き終えることはできていないが,1日を通して振り返ってみると,前よりも余裕のある1日を過ごせているような気がする。やることは増えているのに,他のことが,ブログを書くということを筆頭に組織されて,収まるべきところに収まっている,という感じである。
この変化は何に由来するのだろう。とりあえずまだ4日目なので推測の域を出ないのだが,考えなければならないということと,リミットを設けていることが効いているように思う。当たり前だが,ブログを書くには考えなければならないのである。それも,朝早く起きてブログのための時間を設けているので,朝から何かしら考え始めている。私はもともと朝の時間を,ストレッチやマインドフルネス,オンライン英会話などをする時間にあてていて,あまりぼんやり過ごしていない気でいたが,思えばどれも,それほど考えなくてもできることである。いや,オンライン英会話においては考えなければできない。でもブログを書くほうが考える量が多く,深度が深い。何を書くかは一日の細切れの時間で考えていることが多いが,決まるまでは頭のどこかにそれがあって,今その場で経験していることもブログ記事に昇華させられるかを考えていたりするので,ただなんとなく時間を過ごしているということが減っていっているように感じる。また,ネタが決まりさぁ書こうとなって書き始めてからも,時間は待ってくれないからなんとなくパソコンの前に座っているわけにいかない。頭の中で思っていたぼんやりしたことをより明確に文章で表現すべく,集中することが求められる。とはいえ,一気に最後まで書き上げられないから,これを1日に何度か繰り返すことになる。
つまりは,1日1つ記事を書くというゴールに向けて思考が動く→考えるという行為により,その時間を凝縮された時間として経験する→結果的にメリハリができて,余裕を感じる,ということではなかろうか。
どこまで私は続けることができるのだろうか。とりあえずがんばってみよう。
この変化は何に由来するのだろう。とりあえずまだ4日目なので推測の域を出ないのだが,考えなければならないということと,リミットを設けていることが効いているように思う。当たり前だが,ブログを書くには考えなければならないのである。それも,朝早く起きてブログのための時間を設けているので,朝から何かしら考え始めている。私はもともと朝の時間を,ストレッチやマインドフルネス,オンライン英会話などをする時間にあてていて,あまりぼんやり過ごしていない気でいたが,思えばどれも,それほど考えなくてもできることである。いや,オンライン英会話においては考えなければできない。でもブログを書くほうが考える量が多く,深度が深い。何を書くかは一日の細切れの時間で考えていることが多いが,決まるまでは頭のどこかにそれがあって,今その場で経験していることもブログ記事に昇華させられるかを考えていたりするので,ただなんとなく時間を過ごしているということが減っていっているように感じる。また,ネタが決まりさぁ書こうとなって書き始めてからも,時間は待ってくれないからなんとなくパソコンの前に座っているわけにいかない。頭の中で思っていたぼんやりしたことをより明確に文章で表現すべく,集中することが求められる。とはいえ,一気に最後まで書き上げられないから,これを1日に何度か繰り返すことになる。
つまりは,1日1つ記事を書くというゴールに向けて思考が動く→考えるという行為により,その時間を凝縮された時間として経験する→結果的にメリハリができて,余裕を感じる,ということではなかろうか。
どこまで私は続けることができるのだろうか。とりあえずがんばってみよう。
2016/12/13
長期増強と長期抑制
来週,認知神経科学のテストがある。そこで,テスト勉強がてら講義で学んだことを少しまとめておこうと思う。まずは長期増強(LTP: long term potentiation)と長期抑制(LDP: long term depression)について。「ヘッブ則」という,神経科学分野においては基本かつ重要概念も一緒にまとめる。このヘッブ則,昨年別の講義でも習い,よくわからなくて先生に聞いたのだが,それでもいまいち理解できなかった。しかし,先生が変われば説明も変わるわけで,今回の講義で理解がすすんだ。
長期増強と長期抑制は,学習に関わる概念である。心理学における学習とは,経験によって比較的永続的な行動の変化をもたらす操作,およびその過程を指す。一般的に学習と聞いて思い浮かべる概念とは隔たりがある。さて,では経験によってなぜ行動が変化するのか。神経科学によるその答えは,経験は,ニューロンのシナプス形成や刈り込み,強度変化などをもたらし,神経回路を変化させるからである。端的にいうと,経験は脳内の情報伝達ネットワークを変化させ,それによってそれまでとは異なる行動が生まれるというわけである。
可塑性があるため,経験によって神経回路の形成が変わるわけだが,神経回路はそもそもどのようにできていくのだろうか。まずニューロンは,脳内の脳室の表面の脳室帯で発生することが知られている。神経幹細胞は発生後上に上っていき,辺縁帯と呼ばれるところに到着すると,核の情報を2倍にし,脳室帯へと下がっていく。そしてそこで細胞分裂を起こす。垂直分裂を細胞からは新たな神経幹細胞が生まれ,また辺縁帯へと上がっていき,細胞の生成に寄与する。一方で水平分裂をした神経幹細胞からは,新たな神経幹細胞のほか,ニューロンやグリア細胞へと変化する細胞が生まれる。細胞が増えるにつれて脳の容量を上に上に増やしていく。その際,新しくできたニューロンたちは,遊走しながら適切な他のニューロンを引き付けて,自らの役割を定めていく。どこにあるニューロンがどこにあるニューロンを引き付けるかは決まっている(化学親和性仮説)ものの,神経回路には可塑性がある。だから伝達される活動電位が少ないニューロン間の結びつきは離れ,伝達される活動電位が多いニューロン間での回路が構築されていくのである。
「ヘッブ則」というのは,まさにこの活動電位の伝達と神経回路に関する法則である。あるニューロンが活動電位を生じ,それによって他のニューロンにも活動電位を生じさせたとき,そのニューロン同士の結びつきが強くなる,という法則だ。この結びつきが強くなるときにニューロンで起こっていることは,シナプスの構造の変化である。活動電位は,あるニューロンの軸索から他のニューロンの樹状突起へと伝わる。あるニューロンの軸索と他のニューロンの樹状突起は,くっついているわけではなく,シナプス間隙と呼ばれる隙間がある。あるニューロンで生じた活動電位は,軸索の先まで来ると化学物質(グルタミン酸)を放出するのだが,その放出された物質をほかのニューロンの樹状突起にある受容体(NMDA受容体,AMPA受容体など)が受け取ることで,そのニューロンに活動電位が伝わるのである。この現象が2つのニューロン間で繰り返し起こると,活動電位を受け取る側のニューロンが,樹状突起のAMPA受容体の数を増やすということが起こる。それによって,よりたくさんのグルタミン酸を受け取れることとなり,そのニューロン間の結びつきが強くなるのである。
長期増強と長期抑制は,このヘッブ則を元に成り立っている現象である。長期増強とは,活動電位を伝えられるほうのニューロンが高頻度で発火していたり,また発火しているときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが強まるという現象だ。活動電位は,活動電位を発しているニューロンの軸索を通じて他のニューロンに活動電位を発生させるだけでなく,樹状突起から他のニューロンの軸索へと逆行して伝達されるため,同期した活動が生じる。一方,長期抑制は,長期増強と反対の現象である。つまり,活動電位を伝えられるほうのニューロンが低頻度で発火していたり,また発火していないときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが弱まるという現象である。長期抑制のときには,活動電位を受け取る側のニューロンの樹状突起のAMPA受容体の数は減る,という構造変化が生じている。
参考資料
認知神経科学講義資料
中島義明ら編「心理学辞典」
「ヘッブ則」というのは,まさにこの活動電位の伝達と神経回路に関する法則である。あるニューロンが活動電位を生じ,それによって他のニューロンにも活動電位を生じさせたとき,そのニューロン同士の結びつきが強くなる,という法則だ。この結びつきが強くなるときにニューロンで起こっていることは,シナプスの構造の変化である。活動電位は,あるニューロンの軸索から他のニューロンの樹状突起へと伝わる。あるニューロンの軸索と他のニューロンの樹状突起は,くっついているわけではなく,シナプス間隙と呼ばれる隙間がある。あるニューロンで生じた活動電位は,軸索の先まで来ると化学物質(グルタミン酸)を放出するのだが,その放出された物質をほかのニューロンの樹状突起にある受容体(NMDA受容体,AMPA受容体など)が受け取ることで,そのニューロンに活動電位が伝わるのである。この現象が2つのニューロン間で繰り返し起こると,活動電位を受け取る側のニューロンが,樹状突起のAMPA受容体の数を増やすということが起こる。それによって,よりたくさんのグルタミン酸を受け取れることとなり,そのニューロン間の結びつきが強くなるのである。
長期増強と長期抑制は,このヘッブ則を元に成り立っている現象である。長期増強とは,活動電位を伝えられるほうのニューロンが高頻度で発火していたり,また発火しているときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが強まるという現象だ。活動電位は,活動電位を発しているニューロンの軸索を通じて他のニューロンに活動電位を発生させるだけでなく,樹状突起から他のニューロンの軸索へと逆行して伝達されるため,同期した活動が生じる。一方,長期抑制は,長期増強と反対の現象である。つまり,活動電位を伝えられるほうのニューロンが低頻度で発火していたり,また発火していないときに,そのニューロンと結びつきのあるニューロンが同期して活動すると,そこの結びつきが弱まるという現象である。長期抑制のときには,活動電位を受け取る側のニューロンの樹状突起のAMPA受容体の数は減る,という構造変化が生じている。
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中島義明ら編「心理学辞典」
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