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2016/11/17

読書記 デーヴァ・ソベル「経度への挑戦」

世界地図を見ると必ず表示されている緯線と経線。経線が定まるまでにこんな激しい攻防があったとは!経度をめぐる人々の努力,思惑,争いを描いた「経度への挑戦」は,ハラハラしながら読める面白い本だった。

時を決める「経度」は現代の私たちにはなくてはならない存在だ。経度が必要なのは今の私たちに限った話ではない。18世紀頃、領土を拡大するための戦争や貿易で,富を得ようと多数の船を出航させていたヨーロッパ諸国も経度を必要としていた。その当時,航海のお供は羅針盤と海図だったが,それだけでは不十分だったからだ。正確な経度が測定できないことで多くの船が難破し,多数の犠牲者と多大な損失を被っていた。英国議会はこの状況をなんとか打破したかった。そこで1714年,実用的で誤差がほとんど生じない経度測定法の考案者に賞金2万ポンド(現在の数百万ドル)を与える法律を制定する。
まず正確な経度の測定に乗り出したのは,天文学者たちである。月や星、太陽の動きや位置関係を利用して船の位置を知ることが主流だった当時,正確な星図の作成は正確な経度測定の第一歩と考えられていた。天文学者たちは天文台を創設し,天体観測データの収集に力を入れた。その頃一方では,独学で時計製作を修めた貧しい出自のジョン・ハリソンが,独自の工夫を凝らした当時最高級クラスの高精度時計を完成させていた。ここから時計と天文学の戦いが幕を開けるのだ。
ハリソンは,その生涯で5つの航海用時計を経度測定評議会に提出している。経度測定評議会は賞金の支払いを決める機関である。大きさ,精度ともに自信作の4つめの時計を提出した頃,評議会では天文学者のマスケリンが力を持っていた。天体による経度測定法の確立に邁進し,賞金獲得を意識していた彼は,ハリソンの時計の最終評価を遅らせたり,経度法を改正したり,無理難題を要求したりして天文学の優位性を主張,両者の攻防は激化する。ちなみに,現在知られている経度の基準線(グリニッジ子午線)はマスケリンが決めたものである。
ハリソンは最終的に国王の後ろ盾を得て,評議会から2万ポンドに満たない金を獲得した。その後海上時計は爆発的に普及,時計職人は大量生産と低価格化に迫られることとなった。一方で天文学は,時計による経度測定の補佐役として船上で生き残った。

こういう人間臭さを感じる話は好きだ。世界を揺るがすような出来事の裏側には,努力や才能といったきれいな話だけではなく,争いや嫉妬もあふれている。
時計も天文学もこの時代に著しく発展した。その功績は現代の技術や理論にも見られ,今の私たちの生活にも関わり続けている。

2016/11/14

第九コンサートに行ってきた

ベートーヴェンの「第九」は,好きなクラシック曲の1つである。私は毎年末,テレビで流れる第九コンサートを見ているのだが,今年はコンサートホールで生の演奏を聴く機会をもらった!第九を生で聴けるなんて,とても嬉しい。テレビだとよく聴こえない音も拾えるし,何よりも演奏の空気を直に感じられるのがいい。


第九を聴くたびに私は,ベートーヴェンはこの曲を作るときにどんなことを感じたり考えたりしていたんだろうと思う。最初から熱く,激しく,最後の合唱では光や希望も湧いてくるような印象で,ベートーヴェンの中でふつふつ沸いていた何かが昇華されていったようにも受け取れる。本で読んだり映画で観たりするベートーヴェンの人生は, 苦労づくしだ。特に難聴なんて,音楽をやる人間にとっては地獄の中の地獄にいるようなものだと思う。そんな状況の中で第九は作られているけれども,ずっと聞いていると自分のすべてをぶつけているという凄みと真剣さみたいなのがひりひり伝わってきて,ものすごく心を動かされるし,あてられそうになる。

そんなわけですごくよかった第九コンサートだが,曲に加えて指揮者がすごく素敵だった。小柄な女性だったのだが,身体をフルに使った指揮で動きがとてもダイナミック,会場が揺れるんじゃないかと感じたくらいだ。そして,彼女の指揮にオーケストラが反応し演奏を変化させているのもよく伝わってきた。特に第四楽章終盤のスピード調整はすごいと思った。他の曲を指揮する姿も見てみたい。

第九からも,女性指揮者の仕事ぶりからも力をもらえたコンサートだった。

2016/11/12

格安SIMスマホ

格安SIMのスマホを使い始めてから,半年ちょっと経った。格安SIMにする前は10年以上docomoを使い続けていた。でも,月々の料金の高さ(だいたいの月々の平均:7500円)にいい加減我慢ならなくなり,もうやめようと思った。ちょうど2年縛りがなくなるのが今年の春くらいだったから,それに合わせて格安SIMに切り替えようと,昨年末くらいから情報収集を始めたのだ。いくつかの会社を比較検討してIIJMIOに落ち着いた。切り替えにも余計な料金がかからずスムーズに行えたし,料金面,通信面ともに満足していて,変えてよかったと思っている。不満なところはない。端末は,ASUSのZenfone 2 Laserを使っているが,こちらも特に不具合なく,使いやすい。あえて不満を挙げるなら,プリインストールのアプリが意外と多くて,アンインストールするのに手間がかかったことくらい。

最近私の友人の1人から,格安SIMスマホにしたという話を聞いた。それで,今どれくらいの人が格安SIMを使っているのか気になって,ちょっとググってみたら,MMD研究所の調査データが出てきた(https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1608.html)。データによれば,格安SIMの利用率は約15%で,音声プラン+データプランの利用率は約54%,楽天モバイルが優勢のようだ。これだけでは,具体的にどういう人が格安SIMを使っているのか見えてこないが,利用率の数値上は,前回調査時よりも若干増えている(https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1538.html)。

とはいえ,大半の人は大手キャリアを使っている。私は安さがまず優先なので,自分のそれまでのスマホの使い方や,他のサービスとの組み合わせなどを考慮しても大手キャリアを使い続けるメリットはなかった。大手キャリアを使う理由って?と思っていた矢先,父のことが浮かんできた。私が格安SIMにするときに,父もdocomoから格安SIMスマホに変えたのだが,私が見る限り,父は格安SIMスマホに関して,私ほどメリットを感じていないようだ。というのも,docomoユーザーだったとき父は,携帯で困ったことがあるとよくdocomoショップに行っていた。私も付き合って何度か行ったことがあるが,docomoショップ店員の対応はとても気持ちがよい。嫌な思いをしたことは一度もないし,問い合わせの電話窓口の人もきれいな言葉遣いで親切・丁寧に対応してくれる。今契約しているIIJMIOは,大手キャリアのように独自の店舗を持たないので,父的には相談窓口がなくて困っているようだった。もちろん電話やHPからの問い合わせは受け付けているし,HPの「よくあるお問合せ」もよくまとまっているが,父にとってはハードルが高いようでそのしわ寄せは全部私にふっかかっている。そんな父の様子を見ている母は,docomoから変えるつもりはないと言い張っている。うちの親の場合,そのサービスや親しみやすさ,楽さにお金を払う価値を見出しているのだろう。

何に価値を置くか―選択の際の最重要の問いである。

2016/11/10

漫画展に行ってきた

東京,日比谷図書文化館で開催されている「江戸からたどるマンガの旅 鳥羽絵 ポンチ 漫画」展に行ってきた(http://hibiyal.jp/hibiya/museum/edo-manga2016.html)。江戸中期~昭和初期くらいの間に世に出された,漫画や庶民に親しまれた絵を多数展示している。


江戸時代に描かれた戯画は見ていて飽きない。動きを大きく描く手法で描かれた庶民の何気ない生活の絵を見ていると私まで元気になるし,おっちょこちょいな人間やおとぼけな人間が描かれた絵は,つっこみどころ満載で思わずクスッと笑ってしまう。「遊び絵」と呼ばれるジャンルの絵は,アイディアがいい!たくさんの人を組み合わせて,一人の顔を描いたり,人がどうポーズして影絵を作っているかを描いていたり,文字を形を生かして何らかの絵を描いたり。影絵の絵は,影絵自体はとても美しいのに,それを作るためにポーズしている人がおかしな感じで,そのギャップがまたよかった。

江戸の戯画では,吹き出しも描かれているんだけど,現代のものとはけっこう違っている。まず吹き出しの中身が多い。絵にしろ,文字にしろ,1つの吹き出しにたくさん書いてある。それから,吹き出しが人の胸から出ていたり,口にくっついて出ていたりする。江戸時代の文字が読めたら,吹き出しに書かれていることもちゃんと読み取れたのに!と思うと,少し残念だったが,解説されていた吹き出しの中身を読む限り,今の私たちと考えていることはそうそう変わらないようだ。なんだか親近感がわくし,あんまり進歩してないんだなーとも感じる。

江戸時代の絵には,人以外にも,動物や妖怪の類がよく登場していた。鬼や天狗,化かし狐,なまず(地震と関連して)などが,人と一緒に話していたり戦っていたりする。動物や妖怪たちは当時,今よりもっと人にとって身近な存在で,日常生活のあらゆるところに彼らの存在を垣間見ていたのかもしれない。

明治時代以降は雑誌や新聞が登場し,それらのメディアで大衆向けの絵や漫画が発表されるようになる。そして,外国の大衆メディアに影響を受けた人たちによる風刺画や漫画も登場するようになる。現代の漫画にストーリーは欠かせないが,絵と文字を使ってストーリーを表現するようになるのも,このころからのようだ。妻の尻にしかれる旦那の日常を描いたものや,少年の冒険談,無職中年男性の日常など,いくつかの作品を読むことができた。

今回の展示会では,当時の普通の人たちの生活を知れたり,彼らが普通に楽しんでいたことを共有できたりして,とても面白かった。最近よく一般人を出演させるテレビ番組を見かけるが,そういうのを見たときに感じる,新鮮さや面白さ,驚きと近いものがある。巷にあふれる偉人の話や大きな出来事もインパクトがあって面白いが,庶民のなにげない日常や暮らしもそれぞれに味があって面白い。

2016/11/05

Rashida Jonesのスピーチ

友人にすすめられ,ハーバード大学の卒業生に向けた,Rashida Jonesのスピーチを見た。


美しい英語で,ジョーク満載で,躍動感たっぷりのスピーチ。親しみやすい雰囲気が漂うスピーチの中で彼女が言っていることは,今の私には重たい。私がこのスピーチを,それこそ大学を卒業したてだった22歳のときに聞いたら,「何言ってんだろう~」で特に気にも留めず終わってしまっていただろうが,あれから10年弱の時を経て,経験が増えた今では,実感をともなってこの話を聞くことができるから,その分身に迫ってくる。人生のできるだけ早い時にこの話を真摯に受け止めることができたら,幸いなことだ。

スピーチの中で,いちばん私に迫り,また,エールとして聞こえてきたのは"don't count on the system"(システムにたよるな)。22歳のときの私はちゃんと,「大きな病気けが,事故さえなけりゃ,人生そこそこ安泰で暮らせるでしょうシステム」に乗っかっていたのに,それを捨てた。その後は生きているだけでそのシステムに戻るための不利な条件が増えている。あぁ,システムに戻りたい!と思うこともしばしば。というかむしろ振り返れば,戻るためにいろいろなことをやってきた。でも,システムはそう簡単に落伍者を受け入れない。これはすでに実感済み。それに,たとえ戻れたとして,私はそこでの生活に満足して生きるのだろうか。きっとまた,不平・不満を言いながら生活していくんだろう。そもそもそれでシステムから抜けたのに。それなら戻ることより,自分でシステムを作るためにいろいろ試行錯誤したらいい。シンプルな考えだ。私にはまだ使えるものがたくさんある。だからがんばりたい。

2016/10/29

イニシエーションと新卒研修

イニシエーションとは,特定の集団や社会でその正式な成員として承認するための儀式のことである(明鏡国語辞典より)。先日大学で,クラスメイトと先生と一緒に,私が社会人生活で経験したことを話していたときのこと,新卒で入社した某旅行会社の新入社員研修は,イニシエーション的なものだったのだと思った。

私は2008年4月に,新卒で旅行会社に入社した。私が入社した代では,新入社員研修が入社前と入社後,両方あった。入社前の研修は,その年の2月~3月(大学は春休み期間)に,都内にある研修施設を借りて,たしか3泊4日で行われ,入社後の研修はたしか,4月~5月にかけて本社内で行われた。イニシエーション的な役割があったと思ったのは,入社前の研修である。

私は入社前の研修で良い思い出がない。研修中,その会社で働きたいという気持ちは完全に萎えたし,あのような研修はもう二度と経験したくない。研修では主に,その研修までに覚えて来いと言われていた旅行関連知識の確認テスト,グループごとに旅行に関わる何かを企画して最終日に発表するというグループワーク(グループは会社が決める),早朝マラソンが行われた。研修しょっぱなからビビったことは,自分が向かっている部屋からたくさんの怒鳴り声と大きな声のあいさつが聞こえてきたことだ。要は,あいさつをきちんとしないと,研修担当の社員に怒鳴られるのである。ちなみに,きちんとというのは,私が理解する限り,声を張り上げてあいさつをすることである。部屋の中では,そのあいさつ洗礼を済ませた他の新入社員がしんとして椅子に座っていた。私はといえば,緊張と恐怖に支配されてしまい,とりあえず大きな声を出さねば,という思いであいさつし,1~2回やり直しさせられて入室を許可された。ここは軍隊なのか?と思った。そのあともなんだか不穏な空気が部屋に漂い続けた。というのも,ビビりっぱなしの新入社員に加えて,人事部のみなさんの新入社員への対応が最終日になるまで極端なほどに感情的かつ批判的だったからだ。人事部のみなさんは,私たちがあいさつがろくにできないことを叱り,嘆いた。確認テストをすれば,得点が低い新入社員はその場で名前を読み上げられて,立たされた。初日のテスト後は9割近くの新入社員が立つはめになったのだが,そのあとの説教では,すごい剣幕で私たちをまた叱り,嘆いた。人事部の女性が1人,私たちに説教しながら泣き出したのには心底びっくりした。そんな感じで研修合宿中はことあるごとに叱られ,嘆かれ,新入社員たちは緊張と恐怖と自責の中で,社員からやれと言われたことをこなすために努力することとなった。テスト勉強にグループワーク,徹夜した者も多い。そして最終日,解散となる前の全体の集まりのとき,人事部のみなさんの態度は180度変わっていた。優しい言葉にあふれ,ねぎらいモードであった。おそらくこちらが通常運転の彼らなのだと思うが,「みんなよくがんばったね」といった感じで接してくるものだから,感極まって泣く新入社員が続出である。「私たちはがんばったんだ,乗り越えたんだ」といく空気が漂い,私もいつのまにか泣いていた。

以前,友人の1人にこの話をしたら,「そういう研修あるんだよね」と言われた。人事部のみなさんの私たちへの態度が演技がかっていたのも,きっとそのシナリオどおりにやろうとしていたからなのだろう。しかし,実際に研修に参加していた当時の私はそんなことに気づくこともなく,初めての経験にただただ圧倒されてしまい,完全に会社の思惑通りに動くことになったけれども。

今改めて振り返ると,あの研修は,大学生から社会人になるためのイニシエーションだったのだろうと思う。社会人経験をした今ならなんとなく分かる,多くの大学生は生ぬるい。私もそうであった。そんな大学生を使える社会人にするために,非日常的な経験や,感動体験をさせてインパクトを与える。それで大学時代の自分と決別させ,社会人として生きること,その会社で働くことを覚悟させる,そんな意味があったのかもしれない。新卒社員研修は会社によっていろいろのようで,聞いた話によれば,研修でバンジージャンプをさせるところもあるというのだから驚きだ。

ただ,あの研修は私には合わなかったみたいだ。私にはあの研修で,社会人としての覚悟も,あの会社で働く覚悟もできなかった。感動体験をしたものの,一過性のものだったようだ。結局私は,数ヶ月後にそこの会社を去った。