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2015/02/03

少女マンガ談義

少女マンガとの付き合いを思い起こせば、小学生の頃からだろうか。父がマンガ好きなこともあって、マンガはよく買ってもらえたから、小さいころからよく読んでいた。昔ほどは読んでいないが、今でも少女マンガを読むのは好きだし、無性に読みたくなるときがある。そんなときは、家にある好きなマンガのわずかなコレクションを再読するか、ブックオフに立ち読みしに行く。

少女マンガの中で私がもっとも好きなのは「イタズラなKiss」(作:多田かおる)である。小学生の頃初めて読み、これまでに何度読み返したかわからない。このマンガはこれまでに幾度かドラマ化されていて、現在もフジテレビが新しいのを放映している。最初のドラマ化は90年代に日本で、今世紀に入ってからは台湾と韓国でも制作された。そして今回再び日本で新しいキャストで制作された。ドラマも全て見ているほどの好きっぷりなのだが、今回の日本版は先に挙げたどのバージョンよりもストーリーやキャラクター設定が原作に忠実で、こちらにもはまっている次第である。

「イタズラなKiss」は、主人公の琴子と入江くんの高校時代~20代における恋愛物語だ。落ちこぼれで料理下手、たいていのことは失敗する琴子が、IQ200の天才かつ運動神経抜群、高身長で顔もかっこいい入江くんに恋をし、ラブレターを渡そうとするも、受け取ってもらえずに拒絶されるところから話はスタートする。その後諸事情により、琴子と琴子の父(琴子の母は亡くなっているという設定)は入江家に同居することになり、いろんな障壁がありながらも、いつの間にか入江くんも琴子を好きになり、2人は結婚、琴子は4年越しの恋を実らせる。結婚&大学卒業後はそれぞれ看護師と医師になり、結婚生活も続いていく。作者が連載中に亡くなってしまったため、作品は未完。ざっくりとしたあらすじはこんな感じだ。

もう数えきれないくらいこのマンガを読んでいて、話の展開も印象的なシーンも詳細に覚えているに、それでもまた読みたくなるのはどうしてだろう。なんで私はこのマンガが大好きなんだろうか。恋愛ものだがストーリーはコミカルでおもしろいし、絵も嫌いじゃない、脇役もたくさんいて、それで話もさらに盛り上がる、好きなところはいくつかあるが、「主人公が好き」というのがいちばん大きいと思う。主人公は前出の琴子と入江くん。2人の雰囲気や恋愛模様も好きだが、それ以上に個々のキャラクターが好きなのだ。

琴子は上記したように、ドジでたいていのことは失敗し、高校・大学では落ちこぼれ、見た目は人並みである。しかし同時に、元気で明るく前向き、そして自分の感情や思いに正直で、しばしばそれに忠実に行動する。裏表がなく、できてもできなくても一生懸命。友達思いですれていない。入江くんへの気持ちは誰よりも重く、いつも全身で好きをアピールしている。私は読むたびに琴子のキャラクターに心を動かされるし、その素直さや、突っ走った行動に走るパワーを純粋にすごいと感じる。そして可愛いとも思う。琴子が醸し出すパワーに感染した、とでも言おうか。おそらくそれは、自分が自覚している自分と、自分がこうありたいと思う自分の差に由来するものであり、あこがれが混じっているんだと思う。琴子以上に私に感染力を発揮するマンガの主人公に会ったことがない。

もうひとりの主人公の入江くんは、属性ではMr.パーフェクト。頭良し、ルックス良し、しかもなんでもできる。しかしなんでもできるがゆえ、常に冷静沈着で冷淡なところがあり、平気で人をバカにする。でも入江くんは琴子と嫌々接してく中で徐々に変化していく。これまで湧いてこなかったような気持ちを感じたり、変わっていく自分に戸惑ったりする。琴子は入江くんにも感染力を発揮するのだ(私より入江くんに感染するほうが先であるが…)。そして冷淡さは緩和され、根っこのところに優しさを持ち合わせた人間になる。入江くんの魅力は(もちろん属性もすばらしい)、異質なものや変化を受け入れそれに対処していく、優しさをはき違えていない、というところだろうか。異物・変化は自己の安定に揺さぶりをかけるため、基本的には脅威である。にもかかわらず物語が進むにつれ、それを受け入れて向き合うということを自分の意思で選択する。もう逃げられないと思った、慣れてきた、一緒にいると意外と楽しい…理由は何にせよ、自分から変化に飛び込んでいくにはけっこう力がいる。はき違えていない優しさとは、言い換えれば上っ面の優しさではない、ということ。相手の成長のための優しさ、相手の幸せを考えたうえでの優しさとでも言おうか。そういう優しさは、相手と向き合い、相手のことを考えている証拠である。

少女マンガの登場人物についてこんなに熱心に語っていると、「所詮マンガの世界でしょ」「現実にはそんな人はいないよ」などいう辛口コメントが聞こえてきてそうだ。「それはそうなんだけど…」と答えそうになる。がしかし、登場人物そのままのような人間は存在しないかもしれないが、登場人物が持っている個々の特性は現実の人間に存在しないものではない。よって、これは少女マンガに限ったことではないが、登場人物を好きな理由を探ることで、自分のことがちょっとだけ明らかになる。自分は人間のどういう部分に価値をおいているか、今の自分はどんな状況なのかが見えてくる。モデルとしても機能する。

・・・まぁ詰まるところ、少女マンガの世界に浸るのは楽しいのだ。

2015/01/11

近代ヨーロッパを探る⑤ 続く戦争

ヨーロッパは第一次世界大戦で疲弊した。総動員令が出され、男性の多くは出征し、植民地からも兵力を補い、女性も軍需工業で働いた。長期化してたくさんの人が死に、物資がなくなった。第一次世界大戦後には、講和会議が開かれて国際連盟が誕生した。アメリカのウィルソン大統領は、アメリカが民主主義を広めるために参戦したと繰り返し説いており、実際ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国が崩壊したことから、民主主義や自由主義が勝利したかのように見えた。しかし事態はそう単純ではなかった。講和会議では、民族自決の原則が唱えられたが、帝国の植民地や領土だったところは戦勝国に委任統治という形で分配され、独立できなかった。独立国家もいくつか誕生したが、民族が混在している地域においてはかえって国家の形成が難しく、紛争が繰り返されることとなった。敗戦したドイツは多額の賠償金を負うことになり経済は破綻、貧困や失業に苦しむ人びとが増え、国民の不満は増幅した。一方ロシア革命で政権の中心となっていたロシア共産党は、資本主義国からの攻撃を恐れ、他国の民衆の不安を煽って革命を宣伝し、資本主義国との関係を悪化させていた。ロシア共産党の活躍でヨーロッパでは各国に共産党が誕生した。しかし多くの国で、社会主義を掲げる政党は革命推進派と、ほかの政党や運動と共存していこうとする穏健派に分裂していた。さらに、強大化するロシアへの反発や、宗教的な立場から反共産主義を掲げる思想が誕生する。イタリアやドイツ、スペインでは、ファシズムが台頭した。イタリアもドイツも第一次世界大戦で経済的に大きな損害を被り、国民の不満、失望、不安が高まっていた地域である。そこでは、自由主義や共産主義に反発し、全体主義や軍国主義によって社会と国家を再構築しようとした勢力が国民のナショナリズムを刺激し、圧倒的な支持を得るようになっていた。

また、第一次世界大戦後のヨーロッパの景気は、アメリカに支えられていた。アメリカは第一次世界大戦で軍需産業が伸び、経済の繁栄を極め、ヨーロッパに投資していた。しかし1928年、短期資金の調達が困難になるとアメリカは資本を回収し始め、翌年株価は暴落し、世界恐慌になった。イギリスやフランスは、自国および植民地で経済圏を作り、圏内の経済を保護するために圏外からの輸入品に高い関税をかけるなどした。自由主義経済が崩壊していく中、共産主義やファシズムは勢力を拡大していった。

第二次世界大戦は、国民からの支持を集めて政権についた、ファシズムのナチ党によるドイツが、ヨーロッパでの領土拡大を進めていく中で勃発する。1939年ドイツがポーランドに侵攻すると、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦は始まった。ドイツは戦いに次々と勝利し、東ヨーロッパへと領土を拡大しつつあったソ連も攻撃する。イタリアと日本はドイツと同盟を結んで参戦した。イギリスやフランスの連合国に武器を供給していたアメリカが日本との商取引を全面禁止すると、日本はアメリカを攻撃し、太平洋戦争も勃発、世界規模の戦争に発展した。戦争が続くにつれて同盟国側は物資の調達が困難になり、情報収集レベルも連合国より劣っていたため、劣勢となった。1945年、連合国側にソ連が加わったことでドイツは降伏し、その後日本も降伏、第二次世界大戦と太平洋戦争は終結した。

第二次世界大戦により、ヨーロッパは第一次世界大戦後よりも疲弊した。死者は5000万人のぼり、多くの都市が荒廃し、経済、交通、通信、食料の確保など社会のさまざまな側面が大きな打撃を受けた。戦争で衰退したヨーロッパ諸国に代わり、戦後力を拡大し世界を巻き込む強大国となったのは、アメリカとソ連である。第二次世界大戦後、国際連合が設立され、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国に特権が与えられたが、イギリスもフランスも戦争の痛手を引きずっており、中国は近代以降大国としての地位がまだ確立されていなかったため、アメリカとソ連が圧倒的に優位に立っていた。自由主義、資本主義をいくアメリカと、共産主義をいき、東ヨーロッパへと勢力を拡大していくソ連は隔たりが大きく、ヨーロッパはアメリカ側とソ連側に二分され、冷戦体制が確立した。この2種類の経済・社会システムから成る冷戦体制はヨーロッパだけでなく、アジアにも広がる。


参考文献
成美堂出版編集部「一冊でわかるイラストでわかる図解世界史―地図・イラストを駆使 超ビジュアル100テーマ 」成美堂出版 2006 J.M.ロバーツ「図説 世界の歴史〈8〉帝国の時代」創元社 2003
J.M.ロバーツ「図説 世界の歴史〈9〉第二次世界大戦と戦後の世界」創元社 2003
世界史講義録 第14回 総力戦となった第一次大戦 (http://www.geocities.jp/timeway/kougi-114.html

2015/01/03

読書記 ヘミングウェイ 「異国にて」(In Another Country)

「異国にて」は、第一次世界大戦のさなか、戦争で負傷したアメリカ人の、イタリア・ミラノでの療養生活中に起きたある出来事を綴った話である。1927年に出版された短編集「男だけの世界」(Men Without Women)に収録されている。ヘミングウェイは第一次世界大戦時、自ら志願して、傷病兵運搬車の運転手としてヨーロッパの戦地に行った。そして前線で砲弾を浴びて足を負傷し、ミラノの病院で治療を受けている。この物語にはヘミングウェイの戦地での体験が反映されている。

物語は、主人公が治療を受けているミラノの街と病院の描写から始まる。そして病院で主人公は、戦争前に剣士として活躍していたイタリア人少佐と最新の機械を使った治療を受けていること、少佐は機械治療の効果を信じていないこと、病院には他にもイタリア人の負傷者が集まっており、訓練が終わって前線に配置されてすぐに鼻を失った者や先鋭部隊で華々しい活躍をした者がいることが描かれる。物語に登場する負傷者たちに共通していることは、今後戦地に戻ることはないということだった。主人公が、いつものように少佐とともに機械治療を受けていたある日、彼から、結婚しているのか、と聞かれる。主人公は、結婚していないが結婚したい、と答えると、少佐は、男は結婚してはいけない、もし全てを失うことになるのなら、全てを失うようなところに身を置くべきではない、と激しく怒って答え、主人公に議論の余地も与えず部屋を出て行く。しばらくして少佐は部屋に戻り、主人公の肩に手を置き謝りながら、自分の妻が亡くなったことを話し、また部屋を後にする。少佐は3日間病院に来なかったが、3日後いつもと同じ時間に喪章をつけて現れ、機械治療を再開する。そこで物語が終わる。

ヘミングウェイは、ムダのない、控えめな表現で物語を描く作家として知られている。その作風は「異国にて」にも明瞭に表れている。主人公が見ている風景や登場する人物たちの風貌、なされた会話などが淡々と描写されており、それらの描写から、その場面に流れている雰囲気や登場人物たちの心情を読者に推し量らせようとしているようである。

ヘミングウェイはこの物語で、何を描きたかったのだろう。何かを失った男の姿を描きたかったのだと思う。物語に登場する主人公、少佐、病院に通う他のイタリア人負傷者は何かを失った男たちである。主人公は、第一次世界大戦に参加するために海を越えてきたアメリカ人だ。しかし彼は脚を負傷し、戦線からは離脱している。主人公は、先鋭部隊で活躍し負傷したイタリア人たちと同じメダルを持っているが、主人公がメダルを得たのは、つまるところ彼がアメリカ人だったからであり、メダルを得たイタリア人たちと同等の活躍はしていない。主人公はメダルを得たことを恥じてはいないが、自分は死ぬことをとても恐れており、イタリア人たちのような活躍をしなかったことを自覚している。負傷して現実に直面している主人公からは、健康な脚に加えて、戦地に来る前に抱いていたであろう自信や使命感を失った様を感じる。少佐が失ったのは、健康な手と妻である。妻の死は少佐に、強い怒り、深い悲しみ、やりきれなさ、などの激しい感情を引き起こしている。それは主人公と少佐の会話の場面から読み取れる。一方、登場するイタリア人負傷者たちは、1人は弁護士になる道を、1人は絵描きになる道を、1人は兵士として活躍する道を、絶たざるを得なくなり、1人は鼻と祖国で生きる道を失った。

上述した男たちはみな、戦争によって何かを失っている。しかし、戦争による喪失は、物語の中で簡潔に描かれているだけである。主人公の療養生活の描写が続く物語の中に、特定のエピソードとしてヘミングウェイが挿入したのはむしろ、妻を、戦争ではなく病気で亡くした少佐が取り乱す場面である。戦争は物語の中であくまでも前提として登場している。物語は「…戦争はいつもそこにあった、しかし私たちは戦地に戻らなかった」で始まるが、これはつまり、戦争はそのとき常にそこに存在しており、誰も逃れることはできなかった、そしてそこで主人公たちは戦ったがもう戦うことはない、ということである。戦争を前提とするなら、戦争による喪失は、避けられないことで、仕方のないことである。そして男たちは今、爆弾や戦いとは切り離されたところにいて、戦いに戻ることはなく、リハビリをしているのだ。そして話をしながら、互いの存在を慰めにしている。彼らにとって戦争による喪失は既に過去のものになっていて、次の人生への準備を始めているとも言える。一方で少佐は、他の者とは事情が違っている。少佐も戦争で健康な手を失ったが、少佐をより強く悲しみに浸らせているのは、妻の死である。少佐の妻は肺炎にかかって、数日で死んでしまったのだ。主人公と少佐の会話の場面では、少佐は喪失に対して強い嫌悪感と怒りを示し、悲嘆にくれ、妻を亡くしたという運命を全く受け入れることができない、とむせび泣いているようすが描かれている。喜びや希望、安らぎを不条理に奪われた少佐の姿は痛々しく、戦争の酷さや悲惨さなどは取るに足らないものかのようである。

愛する者を失った男が抱える悲しみややるせなさが、簡潔に描かれた、戦争が起きている現状、戦争による喪失によって、いっそう激しく際立ったものになっていると感じる。

2014/12/30

近代ヨーロッパを探る④ 社会主義思想と国民国家

近代においてヨーロッパの国々は、貿易によって富を得、経済力を高めてきた。なかでもイギリスは群を抜いていた。商人や生産者が国家からの干渉を受けずに自由に貿易をすることができる自由貿易の推進、海軍力によって経済活動は保護され、イギリスは世界経済の中心になっていた。産業革命もイギリスの発展に大きく貢献した。産業革命はフランスやドイツ、アメリカ、日本などにも波及、工業技術によって新たな産業も生まれ、国は豊かになり、人々の生活が向上した。その結果、ヨーロッパでは人口が増加した。

このころイギリスで主流だった政治思想は、功利主義である。功利主義は、「最大多数の最大幸福」という言葉に象徴される。自らの幸福を求めつつ、社会全体の幸福を求めることを道徳原理とする思想である。カントが、理性がもつ普遍的な道徳原理に従って行動することを支持したのに対し、功利主義者は、幸福(快楽を増やし、苦痛をなくす)のための行動を正しい行為と据える。その幸福は個人だけでなく関係者全体の幸福である。功利主義の祖とされるベンサムと、ベンサムの理論を修正、拡張したジョン・スチュアート・ミルの理論を踏まえて、ヘンリー・シジウィックは、社会全体の幸福は個人が幸福を追求することから成るものの、個人の幸福と社会全体の幸福が対立する場合には、政府による介入が望ましいとしている。

一方で、資本主義が確立し経済がどんどん繁栄する中、富を得て投資しさらに富を築く人々と、彼らに雇われて厳しい労働条件の下働く人々の間の格差が明らかになっていった。景気が循環するようになり、失業も発生するようになった。そのような中次第に力を得て行ったのが、社会主義思想である。社会主義思想は、資本主義の自由競争や私的所有権の制限や禁止を訴え、平等で公正な社会の実現を目指す。社会主義思想の拡大に大きな影響を及ぼしたのが、ドイツのカール・マルクスである。マルクスは1848年、エンゲルスとともに「共産党宣言」を発表する。「幽霊がヨーロッパをさまよう―共産主義という名の幽霊が…」で始まり、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」で終わる共産主義の綱領である。マルクスは、社会を貫く発展法則や社会のあらゆる側面の相互作用を、自然史の過程としてとらえて認識、分析し、その後の発展方向を予測する唯物史観の哲学をもつ。「共産党宣言」を流れているのは、①生産活動から生まれる社会組織がその時期の歴史の基礎をなしている、②よって、社会の発展のさまざまな段階における、支配する階級と支配される階級闘争の歴史が全歴史である、③今支配される階級(プロレタリア)を支配階級(ブルジョア)から開放するためには、社会全体を階級闘争から解放せねばならない、という根本思想である。ヨーロッパのこれまでの経済発展や社会の変化を歴史の必然性の中でとらえて展開し、労働者の団結、革命、現社会秩序の転覆を鼓舞している。マルクスはその後、資本主義の構造を分析した「資本論」を発表する。マルクス主義は19世紀後半~20世紀にかけて全世界に広まり、多くの革命を生んだ。そして共産党政党が生まれ、社会主義国家、共産主義国家が建国されることとなる。

また、18世紀~19世紀にかけて、ヨーロッパでは「国民国家」が次々と誕生した。「国民国家」とは血縁や宗教、言語、伝統などによって結ばれた共同体から成る国家である。近代ヨーロッパにおいて国家は、王の元で王を主権として形成されてきた。しかしフランス革命が起き、人権宣言で人権の保護や国民主権の思想が提唱されると、ヨーロッパのあちこちで国家の構成員が立ち上がり始め、政府への抗議運動や革命を起こしていく。国の代表者たちは、革命を抑え秩序を取り戻そうとするも、失敗に終わる。この間ヨーロッパではベルギーやギリシア、ルーマニアが独立し、イタリア、ドイツも統一を果たす。しかしこの「国民国家」は、争いの火種になり続ける。

東ヨーロッパのバルカン半島でも20世紀初頭に複数の国家が生まれた。しかしもともと東ヨーロッパを統治していたオスマン帝国が衰退していたことやバルカン半島は多くの民族が混在する地域だったことから、隣国である他のヨーロッパ諸国およびロシアの勢力争いがからみ合って、第一次世界大戦が勃発する。1914年の、セルビア人の青年によるオーストリア皇位継承者夫妻の暗殺を期に、オーストリアはドイツの支持を得てセルビアに宣戦する。セルビアを支持するロシアはこれに応じ、ドイツはロシアとその同盟国フランスに宣戦、イギリスもドイツが中立国であるベルギーに侵攻したのを期に参戦した。殺傷能力の高い新型兵器が使われ、膠着状態が続く塹壕戦となり、戦争は長期化、国民の間では厭戦感情が高まっていった。1917年にはアメリカがドイツに宣戦する。一方ロシアでは、戦争で疲弊した民衆や兵士が反乱を起こし、ロシア革命が起きて帝国は崩壊、社会主義国家が誕生して戦争から離脱する。1918年にはドイツでも革命が起こって帝政が崩壊し、第一次世界大戦は終結することとなった。


参考文献
成美堂出版編集部「一冊でわかるイラストでわかる図解世界史―地図・イラストを駆使 超ビジュアル100テーマ 」成美堂出版 2006
J.M.ロバーツ「図説 世界の歴史〈8〉帝国の時代」創元社 2003
ミル『功利主義論』を解読する(http://www.philosophyguides.org/decoding-of-mill-utilitarianism/
中井大介「功利主義と経済学―シジウィックの実践哲学の射程」晃洋書房 2009
マルクス、エンゲルス「共産党宣言」岩波書店 2009
ブリタニカ国際大百科事典

2014/12/26

近代ヨーロッパを探る③ 革命のとき

17世紀の後半ごろから18世紀にかけて、ヨーロッパでは啓蒙思想が普及していた。キリスト教の教義、思想による社会基盤が崩れ、商業が発達して都市化が進み、実験や論理を用いる科学技術が進歩しつつあったこのころ、人間の理性や合理的精神、批判的精神が新しい社会を作っていくためのカギになる、と多くの思想家が思っていた。彼らは人間の理性、知性の持つ力を信頼していたのである。前回記述した、社会契約を基にした政治哲学を発表したロックも啓蒙思想家の1人である。啓蒙思想は海を越えて、フランスやドイツでもさかんになった。フランスでは、ロックの政治思想の影響を受けたモンテスキューが、立法権・行政権・司法権の分立を唱え、ディドロとダランベールは、同時代の哲学・芸術・科学・技術・産業などの諸部門の知をまとめた「百科全書」の編さんにあたった。ドイツでは、インマヌエル・カントが認識についての新たな見解を示し、理性について論じた。カントは、理性は生まれつき全ての人間に備わっており、善悪の法則をも持ち合わせているとしている。人々が理性を利用できる社会を求め、理性を用いた自律こそが自由であるとした。

一方、ヨーロッパの強国が植民地支配を続けていたアメリカ大陸では、18世紀後半に転機を迎える。当時アメリカ大陸では、先住民、奴隷としてアフリカから連れて来られた人ほか、ヨーロッパから移住した人も多く住んでいた。先住民たちの入植者に対する反乱や、本国からの植民地への一方的な課税法律への抗議および対抗措置などをきっかけに独立の気運が高まり、1776年、植民地は独立を宣言する。アメリカ合衆国の誕生である。

アメリカが独立を勝ち取ったころ、ヨーロッパ大陸ではフランスに革命が起こった。政治と経済の行き詰まりが原因だ。当時フランスは、イギリスとの戦争で出費がかさみ国の財政が悪化していた。富裕層から徴税を行おうとしたものの、特権や慣習による既得権益で守られている貴族は反発。しかも、増加する人口に食料生産が追いつかず、食料価格は高騰し、農作物の不作や家畜の病気などのあおりを受けて農民たちの生活は苦しくなっていた。民衆は、王や貴族への怒りを募らせ、1789年、バスティーユ牢獄を襲撃する。フランス革命は、ルソーの思想が影響したと言われている。ルソーは、封建的な隷属関係を批判した。各個人が自由・平等であるために互いに契約を結び(社会契約)、各個人に共通する利益を目指す国家を主張した。1791年議会は、国民主権、法の下での平等や個人の権利の法的保護などを提唱した「人権宣言」を前文に、憲法を制定する。フランス革命に象徴される民主主義や自由主義、ナショナリズムの思想は、ヨーロッパ諸国に影響を与え、その後のフランスを含めヨーロッパ各地で反政府運動が勃発していく。

18世紀後半に見られる革命は、アメリカ独立宣言やフランス革命のような、民衆の国家に対する抗議だけではなかった。イギリスでは産業革命が始まっていた。イギリスは毛織物などの工芸製品の生産が進んでおり、工場で人を雇う資本家が出現していた国だ。さらに、農業技術や生産率の向上で収益を得た地主たちが土地の売買を行った結果、仕事を失った農民が現れ、彼らは工場での労働力となった。また、工業の原料や燃料となる石炭や鉄鉱石などの資源が豊富にあり、自然科学の発達が技術の進歩を後押しした。紡績機によって繊維産業の生産性が一気に増し、蒸気機関が新しい動力となり、鉄道や汽船が現れる。鉄道や汽船は原料や生産物の遠距離輸送を可能にした。そして工場が建設され、労働者が集まるようになり、都市ができる。イギリスは工業国として名を馳せ、資本主義社会が確立する。しかし一方で、低賃金労働や児童労働、資本家の力の拡大、公害や犯罪の増加などの問題が浮上していた。



参考文献
大井正、寺沢恒信「世界十五大哲学」PHP文庫 2014
成美堂出版編集部「一冊でわかるイラストでわかる図解世界史―地図・イラストを駆使 超ビジュアル100テーマ 」成美堂出版 2006
J.M.ロバーツ「図説 世界の歴史〈7〉革命の時代」創元社 2003
ルソー『社会契約論』を解読する (http://www.philosophyguides.org/decoding-of-rousseau-contrat-social/

2014/12/22

近代ヨーロッパを探る② 革命前夜

前回、近代ヨーロッパの幕開けを、経済システムと社会システムの変化(商業および市場経済の発達、中央集権国家の確立)、そして人々の考え方や生き方の変化(合理的精神、現世的な世界観)の始まり、とまとめた。その後のヨーロッパにおいて、経済は資本主義経済へ、社会システムは民主主義へと進んでいく。そして、対外的には植民地化を進め、覇権争いを繰り広げる。一方、中世時代のヨーロッパ精神の根幹ともなっていたキリスト教は、宗教改革を経てカトリックとプロテスタントに分裂、政治ともからみ合ってあちこちで紛争の火種になっていた。

15世紀にポルトガルやスペインが交易海路を開拓し、アメリカ大陸にあった国々支配していったのに続き、オランダやイギリス、フランスもアジアとの交易、アメリカ大陸の植民地化に乗り出していた。ヨーロッパでは貿易会社や銀行が設立され、アントワープやアムステルダム、ロンドンなどの大西洋の都市が商業都市として栄えた。ヨーロッパの商人たちは砂糖や綿花、タバコなどをアメリカ大陸から輸入し、代わりに毛織物などを輸出した。しかし、アジアとの地中海貿易によってもたらされたコーヒーや茶がヨーロッパで普及するにつれて砂糖の需要が高まり、アフリカ大陸から現地民を、奴隷としてアメリカ大陸に連れてきて働かせ、生産物を輸入するようになる。このころイギリスやフランスでは貿易によって国力の増強を図る重商主義政策が行われており、輸出先の拡大や領地拡大のためしばしば戦争が勃発し、覇権争いを繰り広げていた。

大陸内では、それぞれの国で王の権力が強大化していた。王は軍事力を高めて反抗勢力を抑え、役人を雇って政治を行っていった。また、軍事力と官僚組織の維持のために民に徴税を課し、中央への権力の集中を図った。王への権力の集中は、経済圏の拡大を図りたい商人たちにとっても都合のよいことだったので、王権強化に協力した。近代初頭のヨーロッパでは、農業に従事する人たちが大多数を占めていたが、商品経済の発展により工業製品の需要が高まり、工場で人を雇って商品の生産を始める資本家が出現、商品を運搬する道路や運河などのインフラ整備も進められた。そして、農業や酪農の進歩によって栄養状態がよくなったことや飢餓による死亡者の現象、医学の発展などにより、人口も増加していくのである。

続いて思想についてである。17世紀の初頭は、科学革命の時代と言われている。科学革命を後押ししたことの1つは、宗教改革を後押しすることにもなった、印刷技術だ。印刷技術の普及により、人が入手できる情報量が圧倒的に増えた。出版物を通していろいろな知識が行き交うようになり、これまでの通念や権威が力を失い始めた。さらに、貿易海路の開拓で天文学や地理学の知見が増えたことや技術革新により、造船術や農業生産率が向上したことなども科学精神の萌芽に関係していると思われる。そして、実験によって得た事実を元にして、理論を構築していくという試みが始まっていく。科学革命の代表的人物は、天文学のヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイ、力学のアイザック・ニュートンである。ケプラーは、ティコ・ブラーエが得た膨大な天体観察記録を使って天体の運動に関する理論を構築し、ガリレオは天体の動きを観察して得たデータを数学を使って分析し、地動説を証明した。ニュートンは、ケプラーやガリレオの説からヒントを得つつ、万有引力の理論を構築した。科学はしばしばキリスト教と対立するものとして描かれる。カトリック教会や聖職者は、科学による新しい発見をキリスト教への脅威とみなしていた。しかしむしろこれは、キリスト教が衰退することへの危惧というよりは、キリスト教という基盤によって成り立っていた社会が崩れることへの危惧といえる。しかし実際には、キリスト教への信仰をほとんどの人たちはやめていない。科学の発展に寄与したガリレオやニュートンも神を否定しなかった。

この時代には、近代を代表する哲学者が2人現れる。デカルト(フランス)とロック(イギリス)だ。デカルトは多彩であった、数学の分野では代数学と幾何学を融合させて座標を発明した。また、疑うことを基礎におき、その著書「方法序説」にて真理を導くための思考のルールを発表する。一方ロックは、政治思想に影響を与えることとなる、社会契約の説を唱える。政治思想においてもキリスト教基盤の理論が崩れたことから、それに代わる新しい理論が必要になっていた。そこに登場するのが自然法と社会契約の考え方である。自然法とは、自然に由来する、あらゆる世界にあてはまるとされている法である。自然法が支配する自然状態において人間は、自由かつ平等である。そこでは他人の生命や自由、健康、所有物を侵害してはならない。しかし、この自然状態は、犯罪や暴行などの侵害行為が起こる可能性を秘めた不安定な状態でもある。もし侵害行為が起これば、そのとき人間は侵害者を自然法に基いて罰することができる。しかし、それぞれの人間が持っている罰する権威をある1つの共同社会に譲れば、その共同社会は大きな力を持つことができる。この共同社会が人間間の仲裁人となり、不安定な自然状態を安定へと導くことができる。人間の同意、契約によって成り立つ共同社会は、人間の私有財産の保護を最大の目的とする。共同社会が自然法を侵害したならば、それに反抗してもよい、といった考え方である。ロックのこの思想には、自由と平等の思想が織り込まれている。そして、共同社会への反抗の権利を条件つきで認めていたことから、のちの市民革命に根拠を与えるのである。


参考文献
ウィリアム・H・マクニール「世界史 下」中公文庫 2008
大井正、寺沢恒信「世界十五大哲学」PHP文庫 2014
成美堂出版編集部「成美堂出版編集部「一冊でわかるイラストでわかる図解世界史―地図・イラストを駆使 超ビジュアル100テーマ 」成美堂出版 2006
J.M.ロバーツ「図説 世界の歴史〈6〉 近代ヨーロッパ文明の成立」