今学期,月曜日に履修している講義はけっこう重たい。今日もまたヘビーな時間であった。2つの科目を履修しているが,1つは昨日テスト勉強の記事で話題にした認知神経科学,もう1つは,フランスの思想家エマニュエル・レヴィナスがラジオ番組で語ったことをまとめた「倫理と無限」(http://amzn.asia/fzR3oAi)を読んでいく,というものである。認知神経科学はまだよい。毎回新しいことを学んでいるので確かに難しいが,多分その難しさは専門用語が多いことや,たくさんの要素が互いに相互作用して何らかの現象を成り立たせていることから,メカニズムが複雑であることなどに起因する。だから,用語の定義を把握し,複雑なメカニズムを整理していけば,けっこう理解が進むのである。また,心理学でこれまで学んできたこととも親和性があるので,比較的とっつきやすいし話についていきやすい。しかしレヴィナスの講義についてはそうはいかない。難しいことには変わりないのだが,認知神経科学の難しさとは違うように思える。何が違うか説明しにくいのだが,レヴィナスの気持ちになりきれないこと,彼の視点でものを見ることができないことからくる難しさと言えばいいのだろうか。
この講義では,私はいつも頭をフル回転させている。文章を読んでは,彼が何を言っているのか/言いたいのかよく分からずにちょくちょくつっかかる。これはこういうことか?なんでそう言えるんだ?とか,とにかく考えながら文章を読み進めている。また,先生やほかの哲学や思想に明るい学生たちが解説しているのを聞き,少しでも文章を理解しようとがんばっている。それでも,分かったような分からないような,ぼんやりとした感じで講義が終わることがしばしばだ。
そんな調子で毎回講義に出席していて気づいたことがある。私のこのような姿勢は,あまりほかの講義では見られないものなのだ。私はたいてい,講義で扱った内容について覚えたり,理解しようとして講義を受けている。当初はそんな感じで受けていた。しかしいつしか,覚えたり理解したりすることが最重要目的から外され,彼の言っていること自体について考えてみたり,彼が問題としていることについて自分なりに考えたりするようになっていた。彼の本の内容が一筋縄では理解できず,読んでも周りの人の話を聞いてもすっきりしないからそうなっていったのだろう。
私はこの体験をとてもポジティブにとらえている。理解した!とはならなくとも,この講義では考えることそれ自体に価値があるんじゃないかと感じている。だから,今後も文章に,レヴィナスの視点に寄り添いつつ,彼の話を考えていこうと思っている。思想・哲学を学ぶとは,そういうことなんじゃなかろうか。