日本語のネイティブスピーカーである私は,これまでに何度も日本語を学習中の友人たち(日本語のネイティブスピーカーではない)が書いた日本語の文を添削した経験がある。文法的な間違いで最も多いのは,助詞の使い間違いである。続いてよくあるのが活用の仕方の間違い,文脈に合わない単語の使用だろうか。そういった文を見ると,理屈抜きに瞬時に違和感を感じる。何を言いたいか分からない,意味が汲み取れない文章ではない場合でもはっきりおかしいと感じる。そしてどこがおかしいかもすぐ特定することができ,正しい表現に直すことも簡単だ。ただ,なぜそれが違うのかを説明しろと言われると,場合によってはしばし考えないといけなくなる。日本語を専門的に学習したことはないゆえうまい理屈が見つからず,結局日本語のネイティブスピーカーはこういうときにはこう言う,程度のことしか伝えることができていない。
一方で,英語の場合はどうか。英語は私にとっては第二言語であり,日本語のように自然に身につけたものではない。中学と高校でガッツリ文法を叩き込み,それを元に英文を読んだり書いたり,聞いたり話したりしている。英文を書いたり話したりするとき,私はよく文法ミスをする。話をしているときには,たまに今間違えたと自覚することもあるが,たいていはミスに気づかない。また,書いたものについても,よくよく見直しをしない限り自分では気づかないことが多い。つまり,母国語でなくなった途端,ミスをしても違和感を感じにくくなるわけだ。そして指摘されたあと,自分の頭の中にある文法知識と書いた文を照合させ,やっとミスに気づくこととなる。
母国語と,成長してから習得した言語の間には超えられない壁のようなものがあると私は思っている。しかし,それは私のレベルが高くないからそう思うのだろうか。もっと学習したら母国語のように外国語を扱えるようになるんだろうか。
イギリス人の先生は,私の書いた英文をささっと読んでミスを指摘してくれた。文法ミスのある英文を見たとき,彼はどんな感覚を感じているのだろう。私が文法ミスしている日本語文を見たときに感じるように,直感的に瞬時に変だと感じるのだろうか。そのような違和感は,言語によらず母国語において感じる普遍的なものなんだろうか。