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2018/04/06

無料だよ! 本郷・御茶ノ水散策

都内で美味しいラーメン屋探しをしていたときのこと(http://yukiron.blogspot.jp/2018/03/blog-post_19.html),本郷にある瀬佐味亭に行ってみることを決めたので,ついでにあのあたりを散策してみようと思いついた。本郷はなかなか行かないエリアなので,せっかくだからいろいろ見てみようと思ったのだ。それであのあたりを調べてみたら,なんと無料で見られる博物館が3つもある…!というわけで,3つの博物館をはしごしてきた。

東京都水道歴史館http://www.suidorekishi.jp/
江戸の上水システム
今回訪れた3つの博物館の中で,個人的に一番良かったのはココ!特に2階の,江戸時代,江戸の人々がどうやって水を手に入れ,使っていたかを知れる展示の数々がツボだった。水をひくって,本当に大掛かりな工事だ。しかもただ工事すればいいって話ではない。土壌や高度,人口分布など土地のことも考えなくてはいけない。現在でさえそうなんだから,400年前の江戸時代なんてもっと大変だったに違いない。それを人力と知恵をフル活用して,江戸の町に水を持ってくるという…。本当にすごいことだよ。
江戸時代の水道管は,木で作られていて木樋と呼ばれている。その木樋は,もちろんでかい!そして,1本の木樋の端っこには記号がついている。これは,その木樋にどの木樋をつなぐかを示すものだ。そして,つなぎ目には,檜や杉の内皮で作った繊維を詰めて,水漏れを防ぐ。当時の人々の創意工夫を感じられる。
記号を使って木樋をつなぐ
木樋
木樋
江戸時代の上水井戸
家庭では主に,上水井戸から汲み上げて水を使っていたようだ。上水井戸は数軒に1つ。飲料として,台所で,洗濯に,お風呂にみんなで使う。といっても潤沢に水があるわけではないので,無駄使いはできない。蛇口をひねれば水が出てくる生活をしている私が,もし江戸時代にとばされたら,思い通りに水を使えなくてイライラするに違いない。
発掘された上水跡
敷地内にある神田上水の復元
1階には,明治時代以降の東京の水道についての展示が並んでいる。今の都庁のところにあった,淀橋浄水場の写真や,水道管の変遷,戦時中の水の使用に関する注意記事,奥多摩にある小河内ダム,水をひくネットワークのことなど。江戸時代では単に「町に水をひく」だった。それだけでもすごいことだった。でも技術が発展して,知識も増えた現在は,「安全でおいしい水を絶やすことなくひく」ことができるようになった。改めて考えてみると,それって本当に幸せなことだ。そしてそれまでにはたくさんの人の力が必要だったのだ。1階ではその過程を知ることができる。
展示をすべて見終わったところで,東京の水道水の試飲の案内を発見した。東京の水のこと,こんだけ学んだら飲んで帰らずにはいられない!と思って,早速受付の人にお願いしてみた。すると,冷たくて透き通った,コップ1杯の水を出してくれた。味わうようにゆっくり飲んだ。これは美味しい…。東京では蛇口ひねるとこの味が出てくるのか…。私の住む某政令指定都市の水道水より断然うまくてびっくりした。


東京大学総合研究博物館http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/UMUTopenlab.html
本郷といえば東大だよね!東大になんか面白いものはないかと調べていたら,博物館が併設されているではないか。ってことで行ってみた。ここの博物館のいちばんの見所は,入り口入ったところにあるコレクションボックスではなかろうか。撮影不可のため,ここで写真を紹介できないのが残念だが,約100弱の展示物‥蝶の標本,動物や人の骨,埴輪や土器,装飾具などの出土品,日本の鉱物,被爆瓦などが,大きなガラスケースの中に収まっている。学者の作った蝶の標本の実物を見たのは初めてだったのだけれど,身体のどこかが微妙に違うたくさんの蝶が大量に並んでいるビジュアルは圧巻だった。
掘り出された土偶,道具など
人骨
コレクションボックスの外にもたくさんの展示があった。「総合研究博物館」の名にふさわしく,動植物の標本や剥製,鉱物,化石などいろんなものが並んでいる。展示の一つに,アイスランドガイの標本があった。ラベルの説明に目を通すと,人間より長生きな長寿の二枚貝とな…!何歳くらい生きるのか気になって,ささっとネットで調べてみたら,なんと507歳のアイスランドガイについて書かれた記事を発見…。500年前って,日本じゃ戦国乱世じゃないか。すごいな,おい…。
年代測定装置(AMS)
それからこの博物館には,放射性炭素年代測定ができる装置が置いてあります。モノに含まれている炭素の量で,それがどれくらいの年代のものなのか高い精度で分かるって話は聞いたことがあったのだけど,装置を見たのは初めて!ちょっと興奮した。


明治大学博物館https://www.meiji.ac.jp/museum/index.html
本郷と御茶ノ水は目と鼻の先だったのですね…!ということで,前から気になっていた明治大学に併設されている博物館にも行ってきた。私はその昔,明大生だったのだけど,在学中は博物館になんて行こうとも思わなかった。でも卒業後,博物館に行った友達の,「あそこギロチンがあるよ」との一言を聞いてから,いつか行ってみようと思って延ばし延ばしになっていたのだ。
ここの博物館は,「商品」「刑事」「考古」の3テーマで構成されていて,花形の展示は「刑事」。ギロチンありました。レプリカですが。それ以外にも,ヨーロッパ,中国,日本で使われていた拷問器具のレプリカや使用方法などを示した絵,記録が展示してある。個人的には,江戸時代の拷問の展示が興味深かった。テレビで見る歴史ドラマや時代劇では拷問シーンは出てこないし,そういう本も読んだことがない。だからとても新鮮だった。よくまぁこんなにたくさんの種類の拷問(罰)を考えたなと思いつつ,実際に拷問器具を使っているところの絵を見ていたらだいぶ怖くなった(汗)拷問だから当たり前ですが,あれやられたら絶対痛いし絶対辛い。いろんな拷問があることからも分かるように,江戸時代の刑罰はけっこう複雑なようだ。ところで,島流しは死刑の次に重い刑だと聞いたことがある。個人的にはあの拷問器具で拷問されるよりも島流しのほうがいいのだが…,島流しってそんな軽く考えていいものではないんだろうか…。
ところで明治大学といえば,旧日本陸軍の登戸研究所の跡地に生田キャンパスがあることでも知られている。登戸研究所に関する資料は,生田キャンパスの「明治大学平和教育登戸研究所資料館」(https://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html)に展示してあるのだが,こちらも興味深い。旧日本陸軍が,敵に対してどんなことを仕掛けようとしていたかを知ることができる。正直,原爆と比べたら雲泥の差なのだけれども…。あまり公には報道されない情報がつまっているから,訪問して損はないと思う。ちなみにこちらも無料です。

紹介した博物館はどこも規模が小さめ。ゆっくりめに観覧しても2時間くらいで全部見終わるんじゃないだろうか。近くにお出かけの際は,ぜひ立ち寄ってみてください~!

2018/03/19

東京,ラーメン探訪

友人に,美味しいラーメン屋を探すことを求められた。ラーメン…嫌いじゃないけれど食べる頻度は低い。月に1回食べるか食べないか程度。ラーメンにこだわりがあるわけでもないし,好きなラーメン屋があるわけでもない。つまり,美味しいラーメン屋がどこなのか分からない…(汗)!!そういうわけで別の友人に助けを求め,友人たちが美味しいと思うラーメン屋を数件紹介してもらった。協力してくださった皆さん,ありがとう!その中から場所や定休日情報に基づいて6軒をピックアップし,ご近所にある日高屋を追加し(日高屋のラーメン食べたことなかったのでこの機会に食べてみるかと思った),さらにラーメンランキングサイトやラーメンレポ書いている人のブログから3軒選び,計10軒。昼と夜,月~金まで1日2食,計10杯のラーメンを食べた。胃がちょっとアレだったが,ラーメンづくしの1週間,なかなか面白い経験をした。

とりあえず,まずは食べたラーメンを写真つきで紹介しよう。食べたのは,そのお店の定番メニューか人気メニュー(口樂は除く)。荒海のみ,追加料金なしだったので大盛に。写真左側が昼に,右側が夜に食べたラーメン。月~金の順に上から並べている。火曜と水曜については,食べ比べをしようとあえてメインのダシの素材が同じ店をぶつけてみた。

支那そば 八雲 白だし肉ワンタン麺ハーフ ¥800
日高屋 中華そば ¥390


つけ麺 五ノ神製作所 海老つけ麺 ¥800
えびそば 一幻 ほどほどしお細麺 ¥780


煮干しそば 虎空 煮干しそば ¥780
口樂 鯵な僕の煮干しそば ¥750


瀬佐味亭 担々麺 ¥800
ど・みそ 京橋本店 特製味噌こってりラーメン背脂あり ¥930


渡なべ らーめん ¥830
荒海 らーめん ¥780

美味しいラーメン,食べるだけでわかるのか?と思って,知識や理屈もちょっと得ようと思った。それでラーメンについて少し勉強した。手にとったのは,料理うんちくにはやっぱり美味しんぼだよね!ということで「美味しんぼ (38)」,ラーメン王の石神秀幸氏による「ラーメンの真髄」,タイトルに惹かれた「ラーメンを科学する おいしい「麺」「だし」「うまみ」の正体」,そもそも美味しいってなんなんだよ,と思って探して見つけた「うま味って何だろう」。一通り読んだはいいものの,結局美味しいラーメンとは何か答えが見つからなかった。だが,ラーメンの歴史や昨今のラーメン事情,スープの作り方,麺の注目すべき点,うま味とはなんぞやなど,へーそうなんだということもけっこうあって,面白かった。

で,ラーメン実食。とりあえず注目したのは,麺・スープ・具材それぞれの味,それらが統合された全体としての味,後味,熱さ,量,店の雰囲気,清潔さ,注文してからの待ち時間,店内のBGM,箸,サービスレベル,出される水の美味しさなど,「美味しい」に関係あるあらゆるものを丁寧に観察・分析しながら1杯1杯食べた。そんなに丁寧に食べたことなんて今までないよねってくらい慎重に,感じながら考えながら食べた。そしてたくさんメモした。
食べたラーメンのほとんどを美味しいと感じた。でも,全てにおいて大満足ってそうそうないんだなと思った。ある店は,具材はすごく美味しいと思った。でもスープがしょっぱすぎて後味が悪い。ある店は,ラーメンは美味しいのに,天井から水がポタポタたれてきたり,箸たてに具材のもやしがついてたりして清潔感に欠ける。ある店は,スープをとても美味しいと思った。でも最後までそのラーメンを食べるには少し疲れてしまう味…。ある店は,スープと麺で食べるとそこそこ美味しいのに,具材と組み合わさったものは私には合わなかった。なぜその具材を載せてるの?このメンマちょっと味強すぎない?など,スープ・麺から具材の味が浮いている感があった。
いろいろ見ようとすれば,感じようとすれば,見たり感じたりできるもので…。私ろくに考えずに普段ご飯食べてるんだなと気づいた。

今回10食食べてみて,近くに行ったときにはまた行ってみようと思ったのは,五ノ神製作所,瀬佐味亭,渡なべ,荒海の4軒。五ノ神製作所は,特につけ麺のスープと麺の歯ごたえが気に入った。瀬佐味亭はごまの香りとほどよい辛さの担々麺でおいしかった。渡なべは整いすぎていない味のスープが美味しく,出された水もおいしかった。荒海は,コクとまろやかさのあるスープがよかった。魚のアラ,野菜,鶏や豚などいろいろミックスして作っているらしい。この中から,友人の嗜好などをふまえて1軒を紹介した。もし美味しいと思ってくれたら,たくさん食べた甲斐があったというもの。どうなることやら…。

ちなみに煮干しラーメン,食べたのは今回初めてだったのだけど,2軒とも苦さというかエグさというか,そういうのを感じて若干苦手な味かもと感じた。それを美味しいラーメンを紹介した友人に伝えたところ,その友人,「美味しい煮干しラーメンを食べさせてやる」と煮干しラーメンを作ってくれた。丁寧にダシをとれば美味しいということで,煮干しの内臓をとり,1週間前から準備して作ってくれた。なんと!苦さやエグさが全然ないじゃないか!とてもとても優しい味で,すごくすごく美味しかった。そしてシンプル。友人の作ってくれたラーメンと比べると,私が食べた10杯のラーメンは,どれも味が濃いように思えた。友人の作ったラーメンは,素朴で自然,でも美味しい,そんなラーメンだった。

都道府県別統計とランキングで見る県民性http://todo-ran.com/t/kijis/11806)によれば,2017年の東京都のラーメン店は3296軒。行ったことのない店,まだまだたくさんある。

2018/03/08

谷川俊太郎展にて

谷川俊太郎展(http://www.operacity.jp/ag/exh205/)に行ってきた。谷川俊太郎の作品はもちろん,彼の生活スタイルや好きなモノ・コトも垣間見ることができる展示になっていて,だいぶ昔に教科書の中で知った「谷川俊太郎」を,肉をもつ,血の通った生きている人間として感じる,そんな時間だった。

この展示会は大きく2つに分けられる。1つは,入り口から入ってすぐの音と映像を用いたインスタレーションで谷川俊太郎の詩を紹介する展示。その空間を抜けたところにあるもう1つは,谷川俊太郎の作品と日常を様々なモノを使って紹介する展示だ。1つめのインスタレーションもけっこう衝撃的だったのだが,そこを抜けて次の展示会場に入った瞬間,これはすごい,やばい,こう来るのか…と度肝を抜かれた。展示会場内のキュレーションがものすごくステキだったのだ。
ステキなキュレーション
「自己紹介」
そう,彼の「自己紹介」という詩の一行一行にちなんだモノを展示しているのだ!展覧会のHPで読んだ詩がこんな形で展開されているとは…これだけでめちゃくちゃ興奮!!

詩を紡いでいます
「ばか」音で遊んでいるよう
展示品も心ゆさぶられるもの,グッとくるものがたくさんあった。例えば,そういうふうにして彼の詩は生まれるのだな…を見せる2つの展示。
1つは,谷川俊太郎が即興で詩を作っている様子が映し出されたワード。一文字一文字ゆっくりゆっくりタイピングされるていく。途中,タイプミスをけっこう犯し,一度入力した言葉を思い直して消去し,別の言葉を紡いでいく…。そのプロセスを観ていたら,妙に人間くさくて愛おしくなった。彼は何を思って言葉を変えたのかな。もう1つは,言葉の促音と韻で遊んでいる詩の制作過程の自筆メモ。アイウエオを縦横に一字ずつ書いた表を使って,使える言葉を探しているように見えた。そういうのの結晶が,インスタレーションで発表されていた詩や「ばか」につながっているんだろう。耳になじんで心地いい。

「朝のリレー」
バカボンのパパの詩
彼の作品もたくさん展示されていた。詩はもちろん,取扱説明書や国語の問題文,辞書の表記,英語からの翻訳作品,歌詞,子ども向け科学本の文章などなど。「春に」という詩を読んだとき,身震いした。「朝のリレー」という詩を読んだとき,心に何か滲みていくような気がした。バカボンのパパの詩を読んだとき,涙が出そうになった。
私は誰

「見る」というところに展示してあった作品は,何度も見返した作品の1つ。自分からみる自分と他者から見る自分が違うということを,これほど分かりやすく表現したものはこれまであっただろうかと思った。私は私。でも他者から見た私は,あくまでもその人の世界のどこかに布置される。その人の視点が反映される。「ジョハリの窓」よりも,もっと具体的に直感的に理解できるし,絵付きということもあって想像しやすい。

彼の作品を全部理解することは叶わなかった。日本語だから読めはする。でも,自分の中にストンと入ってこない谷川俊太郎の感性,思想,言葉があった。けれどそれでも,それぞれの作品に,訴えてくる何かはあって,何も感じないとかつまらないと感じるものは1つもなかった。

そういえば展覧会中,日本語の文字が放つニュアンスの多様さ,豊かさを感じていた。日本語ではひらがな,カタカナ,漢字を使う。ある言葉を詩の中で用いるとき,ひらがな,カタカナ,漢字のどの表記を使うか,これはけっこう重要じゃないか。例えば先に紹介した「ばか」の詩。この詩は全てひらがなで書かれているが,もし漢字が使える言葉を漢字にしたら,この詩のリズム感や遊び心みたいなものはひらがなのときに比べて伝わりにくいんじゃないだろうか。また,バカボンのパパの詩はカタカナと漢字のみで書かれている。もしカタカナの部分がひらがなに変わったら,バカボンのパパっぽくないよなぁ…。音で聴く分にはどんな表記でも気にならない。でも紙に文字として書くと,その文字のもつ雰囲気も読む人に伝わっていく。表記によって内容に色付けができるのだ。その分,表記の選定に気をつかうことにはなるが。緻密な計算,センスがいるだろう。

谷川俊太郎のひとこと

最後に…
先に紹介した「春に」は合唱曲の歌詞としても知られている。うろ覚えだった「春に」の合唱を家に帰ってから聴いてみた。うん,いい…(泣)また震えた。
それから,展示の軸になっていた詩の一行一行が書かれていた棚。裏側には谷川俊太郎の直筆ひとことが貼ってあった。その中で一番いいなと思ったのがこれ。

3/25まで新宿オペラシティで開催中です。ぜひ足を運んでみてくださーい!

2018/02/14

「レアンドロ・エルリッヒ展 見ることのリアル」に行ってきた!

先日,「レアンドロ・エルリッヒ展 見ることのリアル」
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/LeandroErlich2017/)に行ってきた!彼のことよく知らないまま,友人に誘われるまま,これといった先入観も持たずに行ってみたのだが,あっと驚くようなユニークで凝った作品が集まっていて,すごくすごく楽しい時間を過ごした。

「反射する港」
今回展示してあった作品は,「そうくると思ったでしょ?でも実は違うんだよねー」というのが多い。私たちは日常生活で実際に目にしたものをたくさん記憶に残している。作品を見ると,それらの記憶が呼び起こされて,私たちは見たものが何なのか理解する。でも,よくよく見ると,実際に触ってみると,思っていたのとは違うことに気づく。なぜならそれらは,意図的に,人工的に作られたものだからだ。
例えば,最初の展示物の「反射する港」。普通に見ると,水面に浮かんでいる手漕ぎボートだ。それこそ井の頭公園にありそうな…。しかも,少し揺れていて,じっと見ていると,風のせいで揺れているように思えてくる。でも,このボート,本当は水に浮いていないし,会場に風も吹いていない。水面に反射しているように見える部分は作られたもの。ボートの形や色だけでなく,オールまで,反射したらどう見えるかが再現して作られている。揺れがどのように起こされていたのかは私には分からないが,それも人工的に作り出されたものだ。
「美容院」
「美容院」もそんな作品の一つ。普通に見ると,美容院のよくある光景。施術椅子とその前にある大きな鏡,鏡の前の台にはタオルやボトル,ブラシなどの美容院グッズが置かれている。でもこの場所,実は鏡がない。ただ枠があるだけなのだ。枠を隔てた向かい側に,鏡に写ったように見えるように椅子やタオル,ボトル,ブラシなどが置いてあるだけ。作品内には施術ブースがいくつかあるのだけれど,一部は先に書いたような鏡のないブース。でも,ちゃんと鏡があるブースもある。どっちがどっちか,見ていると混乱してくる。さて,写真に写したのはどちらのブースでしょう?

「眺め」
「反射する港」や「美容院」とは少し作風が違うのだけど,「眺め」という作品も好きになった。ブラインドがかかっている窓を覗くと,窓のようなもの(実際はスクリーン)がいくつかついているアパート(マンション?)のようなものが現れる。そこのスクリーンで流されているのは,アパートの一室で繰り広げられる光景。その部屋で何が起こっているのか,住人たちが何をしているのか,覗き見できるというわけだ。ある部屋では夫婦が卓球を楽しみ,ある部屋ではヌードモデルがベッドに横たわって画家に絵を描かせ,また別の部屋では,口論しているカップルがおり,空き巣に入られてる!?みたいな部屋まである。どの映像も違うから,がんばっていろいろ見ようとするのだけど,ブラインドが邪魔をしてよく見えないのがまたもどかしい…。覗くのって楽しいのねと思った瞬間だった。

他にもいろいろな作品があるので,ぜひぜひ足を運んでみてほしい!それぞれの作品にはいろいろ仕掛けがされているから,作品を見たり体験したりしながら,驚いたり発見したりできること間違いなし!!そぅそぅ,「試着室」では迷わないように注意してくださいね…

全部の作品を鑑賞し,改めて本展示会のロゴを見ていたら…あっ!彼の作品にちなんだシンボルがロゴにいろいろ含まれているではないか!なんてオシャレで可愛いロゴなのだ…!作品を思い出しながらニヤニヤしてしまった。
雲,階段,ボートが!
エレベーター,プール,階段が!

ちなみに,「レアンドロ・エルリッヒ展」のチケットを購入すると,その下のフロア(52F)にある東京シティビューにも入場できる。こちらは,展望台になっていると同時に,いくつかのアート作品も展示されている。天気がとても良かったので,これぞ東京!って感じの贅沢な眺めを堪能できた。見渡すかぎりビル,ビル,ビル!
東京タワーとビル!
遠くにスカイツリー,そしてビル!

アート作品は,テクノロジーを使ったものが多かった。ピアノの鍵盤をたたくと,その音に紐付いた香りが漂う仕掛けの楽器とか,地球に見せた球体の中心部をストローで吸うと水も緑もなくなって,荒廃してしまうのとか。
人がいっぱいだよ!
平面だよ!
視覚トリックを使った作品(右)と人形の光が動いていく作品(左)が印象的だったかな。右の作品は,平面に映像を流して,山の季節の移り変わりを表現したものなのだけど,そもそも山に何本も線が引いてあって,その線同士の幅の違いや線同士が作る形を利用して山を立体的に見せてもいる。左の作品は,光を使ってネットの筒(多分)のようなものに人形を映している(多分)のだけど,光の当て方によって,人形が筒の形状に沿って動いていく。大きくなったり,小さくなったり,人が増えたり減ったりして,ちょっと幻想的な光景だった。

本当にいろんな人がいろんな作品を作っているなと思った。いろんなアイディアに触れられた。

※レアンドロ・エルリッヒのインタビュー記事と作品のいくつかが見られます。
https://numero.jp/interview67/

2017/08/17

素描せよ,時間を無駄にしてはならない ―レオナルド×ミケランジェロ展

自分で絵を描き始めてから,人の描いた絵を観る時間が今まで以上に多くなった。特に,素描や原画は本当によく観るようになった。観るというよりも観察するといったほうが近いかもしれない。線の太さ,傾き,影の濃さ,パーツの形や位置,全体におけるバランス,リアルさ,それらをじっくりじっとり見まくる。そして自分の描く絵に反映させたい。うまくいっているかどうかは微妙なとこだが,少なくとも自分の絵との違いは分かる。そもそも描く線が違うのだ。線の太さ,傾き,繊細さ,他の線とのバランス,全体における統合感…線が美しい絵は美しい。私は線が美しい絵が大好きだ。美しい絵はずーっと見ていられる。心を引きつける。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
「少女の頭部/《岩窟の聖母》の天使のための習作」
そんなわけで,三菱一号館美術館で現在開催されている「レオナルド×ミケランジェロ展」に行ってきた(http://mimt.jp/lemi/)。レオナルド・ダ・ヴィンチにミケランジェロ!ルネサンス期の代名詞ともいえる芸術家。彼らの遺した作品,特に素描作品を展示する作品展ときたら,線好きの私には行かないという選択肢はない!

美術館に入り,いざ展示へ…。最初に出迎えてくれたのは,彼らの肖像画と,彼らの素描の代表作とされている顔貌作品である。ここにある写真は,美術館内にフォトスポットとして用意されていた,元の絵を拡大したパネルだが,展示ではもちろん原画が迎えてくれる。どちらも本当に本当に美しい。かれこれ30分以上もこのセクションに滞在してしまった。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は,金属尖筆で描かれている。細く繊細な線がいくつも組み合わさり,柔らかい女性の表情を作り出す。まぶたの丸みとか,唇のぽてっとした感じとか,絶妙な陰影具合とか,金属尖筆1本でどうやって生み出してるんだ!という感じ。まぶたや鼻や頬骨のところには鉛白によるハイライトがついているが,そのハイライトでさえあるべきところにあるべき分量で載せてあり,今にもこの女性が絵から飛び出してきそうなくらいリアル…。
ミケランジェロ
「《レダと白鳥》の頭部のための習作」
一方,ミケランジェロの作品。こちらは赤チョークで描かれている。レオナルド・ダ・ヴィンチの線に比べ,ミケランジェロの線からは力強さや生き生きとした感じを受けた。それから漂ってくる温かさ。レオナルド・ダ・ヴィンチの上の絵からは,繊細なのにどこか冷たい感じを受けた。これは描いている道具から来る違いなのかもしれないが…。私はこの絵の,鼻の頭や目元,耳のフォルム,陰影の感じ,布の感じ,左下の絵に描かれたまつげにとても惹かれる。顔周りや頭部周りに,試行錯誤した跡のようなものがあるのもなんかいい。

ミケランジェロ
「背を向けた男性裸体像」
展示してあったのは顔貌だけではない。解剖学にたしなみ,人の身体に精通していた彼ら。彼らが生み出した素描の人体は恐ろしいほどよくよく観察されたものである。なぜそこまで見えるのか,そして正確に描写できるのか,知りたくてたまらない。リアルな描写に彼らの考える美が足された素描は本当に本当に美しい。なかでも私が気に入ったのがこの1枚(原画はすべて撮影不可のため,図録の絵を撮影)。筋肉,骨格,身体のしなり,おしりのフォルム…男性の身体美があますところなく描かれ,惚れ惚れする。もはや感嘆のため息しか出ない。

素描以外にも印象に残ったものがある。それは,レオナルド・ダ・ヴィンチの鏡文字満載の手稿と,ミケランジェロ―カヴァリエーリ間でなされた愛情あふれるお手紙。イタリア語はさっぱりなので何が書いてあるかは解説・翻訳に頼るしかなかったのだが,レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿からは,彼の細かさというか緻密さ,それから探究心がにじみ出ている。というのも,天体や武器,馬の鋳型の作り方など多岐にわたって細かく絵入りで書き留めているからである。お手紙のほうは,なんともほほえましいものであった。なかなか返事をくれないミケランジェロにカヴァリエーリが小言を言って…という前置きの元,ミケランジェロがカヴァリエーリに送った手紙とそれに対するカヴァリエーリからの返事が展示されていた。ミケランジェロのちょっと必死になっている感じ,焦っている感じが内容に表れていたように思う。カヴァリエーリはそんなミケランジェロの言葉をおおらかに受け止め慕う,という感じだろうか。こんなふうに言葉を尽くして愛を伝え合える関係はいいなと思う。

ところで,本記事のタイトルの「素描せよ,時間を無駄にしてはならない」は,ミケランジェロが弟子のアントニオに言った言葉として残っている。レオナルド・ダ・ヴィンチもまた,素描を大事にしていた。「画家はまず,優れた師匠の手による素描の模写に習熟しなければならない」といった言葉を残している。私自身絵を描き始めて感じたことだが,デッサンは本当に難しい。モティーフのデッサンや写真や絵の模写など鉛筆と消しゴムだけで600枚近く小さい絵を描いているが,自分の気に入る線を引けていない。ミケランジェロも「素描せよ」と言っている。素描を続け,いつか自分の納得のいく線を引けるようになることに期待したい。

2017/05/29

信長めぐりの旅とその後

先日,織田信長にゆかりのある場所をめぐる旅をした。彼が生まれた名古屋に始まり,彼が城を建てた岐阜,安土をたどって,亡くなったとされる京都まで。これまで,歴史で学んだり本やテレビでしか見聞きしていなかった場所に実際に訪れ,彼が生きた痕跡を見て知って触って,信長と彼の時代に関する新たな知識も学び,心が満たされた旅だった。

2日間でたくさんの場所をまわった。訪れたのは,古渡城跡,万松寺,清州城,清洲城跡,聖徳寺跡,熱田神宮,小牧城,岐阜城,信長居館跡,崇福寺,安土城址,安土城郭資料館,安土考古資料博物館,信長の館,セミナリヨ跡,本能寺跡,本能寺。綿密な下調べと計画を伴った旅ではなかったから,見逃してしまったところや見たりなかったところもあり,また帰ってきてから知った別のゆかりの場所もある。それらも含め,今回訪問した場所のいくつかはいずれ再訪したいと考えている。

旅を振り返ってみると,旅の最中心踊ることや感動することが幾度かあった。それらは主に,彼の遺したモノ,つまり城や館の遺跡やそこから出土した出土品,書状などの史料に触れたときである。500年近く前に存在していたものが今もそこに存在しているということにまず感動し,実際に彼がそれを考えたり,作ったり,使ったりしてたんだな,と思いながら信長に思いを馳せるとどんどん感慨深くなって,その場所から去るのがすごく名残惜しくなっていた。安土城址と岐阜城の山麓にある信長居館跡は本当に離れがたかった。どちらの遺跡も発掘がなされており,当時の様子を知り,感じることができたのが嬉しかった。また,安土城址は私にとっては独特の雰囲気を感じた場所であった。静かで厳かで圧巻される感覚。大手道を登りながら,高く積まれた石垣を触りながら,天主跡に遺っている石をじっと見ながら,そこの雰囲気,空気をたくさん自分の中に取り込んだ。安土城の天主の様子は,史料をもとに復元された模型が安土城郭資料館や信長の館に置いてあり,そこでもまた信長を垣間見ることができた。

信長居館跡 発掘がすすめられている
安土城址 大手道の石段
安土城址 天主跡

さて,信長めぐりの旅の最中からずっと思っていることは,信長のことをもっと知りたい!ということである。彼は有名人で500年近く過去の人。彼に関する本や番組もたくさんある。だから世間にはいろいろな信長のイメージがあふれている。私もそのイメージで信長を好きになったクチだが,今私が知りたいのは,信長は実際どんな人物だったのかである。彼が何を考えていたのか,彼は何をしたかったのか,彼がとったさまざまな行動の後ろにある動機は何なのか,彼はなぜそのような発想ができたのか。そんなことに私は興味がある。それで最近,暇を見つけては本を読んでいる。太田牛一「現代語訳 信長公記」,千田嘉博「信長の城」,藤本正行「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学」が今手元にあって,「信長の城」は読了,残り2冊は並行して途中まで読んだ。

「信長公記」は信長の家来の一人であった太田牛一が信長の一生を書いたものである。同時代に,彼のそばで生きた人間が書いたものということもあり,史料としての価値は高いとされている。「信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学 」は,タイル通り「信長公記」をベースにして,信長がしてきた戦いが実際どんなものだったのかを再考するという内容である。私がこの本を知ったのは大学の講義であった。幸運にも,タイムリーにも,大学の歴史学入門の講義で織田信長をテーマとして講義する回が数回あることを知り,早速聴講しに行ったときに登場した。桶狭間の戦いに関する通説やそこから派生している世間におけるイメージが,信長公記から読み取れる桶狭間の戦いとはだいぶ異なっていることを学んだ。なんと面白い。

「信長の城」は,信長にまつわる城を通して信長が実際どんな人物だったのか,彼が何をしたかったのかを考えていこうという内容だ。城の遺跡や史料に忠実に向き合い,論を飛躍させることなく,それらから出来る限りの実際像を引き出そうとする著者の姿勢に尊敬を覚えた。私が訪れた清州城,小牧城,岐阜城,安土城は,もちろんこの本でも詳しく紹介されている。本を読みつつ自分が見てきたものを思い出し,あそこはそういう場所だったといえるのかと振り返ったり,見逃してきた箇所もいくつかあって少々残念な気持ちになったり,私が博物館でみた安土城天主の模型(史料をもとに作っている)とは別の天主を,安土城址の主要な場所にあった説明書きに書かれている解釈とは別の解釈を著者が指摘していて驚いたり。いろんな感情を喚び起こされつつ,城,歴史,信長について学ぶことのできた本であった。

旅を契機に信長や歴史に対する興味が増し,知りたい気持ちがいっそう強くなった。今後も信長ゆかりの場所を訪れたり,彼について学んだり,考えたりしていきたいなと思っている。

2017/04/03

「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!」に行ってきた

先日,渋谷で開催中の企画展「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎!」(http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_kyosai/)に行ってきた。絵師の河鍋暁斎を知ったのはほんの数週間前。「春画!」とタイトルにひかれておもわずクリックした「暁斎春画」のレビュー記事(http://honz.jp/articles/-/43866)を読んでいたら,暁斎の描いた絵を実際に見てみたくなった。鯉のぼりの中に入って事を致している姿を描くとか,せんすを障子に見立て,表面と裏面を使って,障子を貫通してつながっる様を描くとか,「なんて粋なことするんだー!」である。それでぜひとも現物を見なくてはとなったのだ。



平日の昼前後に行ったこともあって,有閑マダムの方々で少し混雑した会場だったが,合計180点弱の作品をゆっくり観ることができた。蛙や烏,きつね,猿,人間,幽霊,鬼,鍾馗,七福神,釈迦…彼は実にさまざまなものを描いていた。しかも描き方もさまざま。細くて繊細な線によって細かく細かく描いている絵もあれば,太い筆を使って一気に描き上げたんじゃないかと思える絵もある。色使いもしかり。はっきりくっきりした色を組み合わせて豪勢に仕上げたものも,淡いぼやっとした色によってふんわりとした感じに仕上げたものもある。暁斎は5~6歳の頃から絵を描いていたらしいが,彼の絵の技術はたくさんたくさん描いて身につけた賜物なのだろう。

展示してあったほとんどは,創作の絵である。動物や幽霊たちが人間のように宴会さながら騒いでいる絵は,観ているこっちまで楽しい気分にさせてくれる。扇子をもって踊る蛙やねずみ,太鼓をたたくうさぎ,三味線を鳴らす骸骨,かぼちゃの追いかけっこなどなど,愉快なアイディアにあふれている絵が多い。なんだか昔話の世界にいるかのような気分になってくる。たくさんの対象が絵の中に描かれているものについては,描かれている1つ1つの対象がそれぞれ魅力を持っていて,それでいてあるべきところにあるべきものがある印象。だから全体としても1つに調和している感じがする。

暁斎の絵を観ているとほっこりとしたあったかい気持ちになる。今回展示されていたのは楽しい絵が多かったのだけれど,大笑いするようなおかしさではなく,思わずクスッと笑ってしまうようなもので,しかもどこか懐かしい感じがする。それに絵を観ていると,暁斎はきっと絵に描いている対象を愛おしく感じながら描いていたんじゃないか,と思わずにはいられない。絵が柔らかい雰囲気をまとっているからだと思うが,怖い顔をしてガリガリ描いている姿が想像できない。

さて,冒頭でちょっと触れた春画は,但し書きの置かれた展示会場の一角に10点くらい展示してあった。前出のHONZのページに載っているもの+他の数点である。春画ってなんでこうもエロく感じるのだろう。エロ本やエロ動画などのリアルエロを観るよりエロい気分になるのは私だけだろうか。……春画について今回はひとまずこれくらいにして,もう少しいろいろ見てからまた改めて書くことにしようか。

そんなわけで心地よい時間を過ごせた暁斎展。まだ会期中なので時間のある人はぜひ。

2017/01/13

戦国時代展@東京都江戸東京博物館

東京都江戸東京博物館で開催中の「戦国時代展」(https://goo.gl/zoR7OL)に行ってきた。イケメン戦国や真田丸の影響で,昨年からじわりじわりと熱くなってきた戦国時代への興味。年末の飲み会でこの展示会について友人から聞いて以来,これは行かねば!と思っていた。

2時間超,時間をかけてすべての展示をじっくり見て回った。何百年前に生まれ,使われていたものが今こうして間近で見られることに,こみ上げてくるものがある。それに,戦国武将たちが使っていたもの,愛用していたものを前にすると,既存のイメージに引きずられながらもいろんな妄想が始まる。そしてもっと武将たちのことを知りたくなる。謙信が春日山城の毘沙門堂に祀っていたとされる毘沙門天像,謙信はどんなふうに祈って大切にしていたのか。謙信が使っていたとされる酒盃,彼は宴会の席で何を語るんだろう。織田信長が朝倉氏を討って得た名物籠手切正宗,彼の刀さばきはどんな感じだったのか。佐竹氏の甲冑,兜には前に進むとの気概をこめた装飾が施されているが,戦うの怖くなかったのかな。上杉文書に書かれていた願掛けと武田信玄の甲州法度,当時も今も人が人や国を思う気持ちは変わらない。彼らはどんな国を目指していたんだろう。展示を見ていると,お話の中でしかなじみのなかった戦国武将が実在して生きていたことを実感する。

戦国時代というと戦いのイメージが強い。だがその一方で文化の成熟も起こっていたようだ。それでこの展示会では,連歌や茶の湯などに関する品も展示されていた。連歌がたくさん書かれた冊子,字が読めなくて何かいてあるか分からず,無念…。読みたかった…。室内の装飾の仕方について書かれた書物は,イラスト入りで分かりやすく目を引いた。大陸からの工芸品もけっこう展示されていて,日本のものとの違いが分かる。

それから花押の展示も印象深かった。武将たちが何らかの思いを込めて作ったのだと思うが,それぞれ違っていて,彼らのセンスやこだわりみたいなのが表れている。展示されていた中での一番は織田信長!花押,私も作りたい。

そんなわけで戦国時代展,武将たちの生をたくさん感じ,勉強にもなり,贅沢な時間を過ごせた。たが,信長関連の品があまりなくて少し残念…ということで,安土に行くことを計画しようと思う。

2016/11/14

第九コンサートに行ってきた

ベートーヴェンの「第九」は,好きなクラシック曲の1つである。私は毎年末,テレビで流れる第九コンサートを見ているのだが,今年はコンサートホールで生の演奏を聴く機会をもらった!第九を生で聴けるなんて,とても嬉しい。テレビだとよく聴こえない音も拾えるし,何よりも演奏の空気を直に感じられるのがいい。


第九を聴くたびに私は,ベートーヴェンはこの曲を作るときにどんなことを感じたり考えたりしていたんだろうと思う。最初から熱く,激しく,最後の合唱では光や希望も湧いてくるような印象で,ベートーヴェンの中でふつふつ沸いていた何かが昇華されていったようにも受け取れる。本で読んだり映画で観たりするベートーヴェンの人生は, 苦労づくしだ。特に難聴なんて,音楽をやる人間にとっては地獄の中の地獄にいるようなものだと思う。そんな状況の中で第九は作られているけれども,ずっと聞いていると自分のすべてをぶつけているという凄みと真剣さみたいなのがひりひり伝わってきて,ものすごく心を動かされるし,あてられそうになる。

そんなわけですごくよかった第九コンサートだが,曲に加えて指揮者がすごく素敵だった。小柄な女性だったのだが,身体をフルに使った指揮で動きがとてもダイナミック,会場が揺れるんじゃないかと感じたくらいだ。そして,彼女の指揮にオーケストラが反応し演奏を変化させているのもよく伝わってきた。特に第四楽章終盤のスピード調整はすごいと思った。他の曲を指揮する姿も見てみたい。

第九からも,女性指揮者の仕事ぶりからも力をもらえたコンサートだった。

2016/11/10

漫画展に行ってきた

東京,日比谷図書文化館で開催されている「江戸からたどるマンガの旅 鳥羽絵 ポンチ 漫画」展に行ってきた(http://hibiyal.jp/hibiya/museum/edo-manga2016.html)。江戸中期~昭和初期くらいの間に世に出された,漫画や庶民に親しまれた絵を多数展示している。


江戸時代に描かれた戯画は見ていて飽きない。動きを大きく描く手法で描かれた庶民の何気ない生活の絵を見ていると私まで元気になるし,おっちょこちょいな人間やおとぼけな人間が描かれた絵は,つっこみどころ満載で思わずクスッと笑ってしまう。「遊び絵」と呼ばれるジャンルの絵は,アイディアがいい!たくさんの人を組み合わせて,一人の顔を描いたり,人がどうポーズして影絵を作っているかを描いていたり,文字を形を生かして何らかの絵を描いたり。影絵の絵は,影絵自体はとても美しいのに,それを作るためにポーズしている人がおかしな感じで,そのギャップがまたよかった。

江戸の戯画では,吹き出しも描かれているんだけど,現代のものとはけっこう違っている。まず吹き出しの中身が多い。絵にしろ,文字にしろ,1つの吹き出しにたくさん書いてある。それから,吹き出しが人の胸から出ていたり,口にくっついて出ていたりする。江戸時代の文字が読めたら,吹き出しに書かれていることもちゃんと読み取れたのに!と思うと,少し残念だったが,解説されていた吹き出しの中身を読む限り,今の私たちと考えていることはそうそう変わらないようだ。なんだか親近感がわくし,あんまり進歩してないんだなーとも感じる。

江戸時代の絵には,人以外にも,動物や妖怪の類がよく登場していた。鬼や天狗,化かし狐,なまず(地震と関連して)などが,人と一緒に話していたり戦っていたりする。動物や妖怪たちは当時,今よりもっと人にとって身近な存在で,日常生活のあらゆるところに彼らの存在を垣間見ていたのかもしれない。

明治時代以降は雑誌や新聞が登場し,それらのメディアで大衆向けの絵や漫画が発表されるようになる。そして,外国の大衆メディアに影響を受けた人たちによる風刺画や漫画も登場するようになる。現代の漫画にストーリーは欠かせないが,絵と文字を使ってストーリーを表現するようになるのも,このころからのようだ。妻の尻にしかれる旦那の日常を描いたものや,少年の冒険談,無職中年男性の日常など,いくつかの作品を読むことができた。

今回の展示会では,当時の普通の人たちの生活を知れたり,彼らが普通に楽しんでいたことを共有できたりして,とても面白かった。最近よく一般人を出演させるテレビ番組を見かけるが,そういうのを見たときに感じる,新鮮さや面白さ,驚きと近いものがある。巷にあふれる偉人の話や大きな出来事もインパクトがあって面白いが,庶民のなにげない日常や暮らしもそれぞれに味があって面白い。

2015/04/22

たけのこ採って林を守る

先日、生まれて初めてたけのこ掘りをした。経験者の友人から、「地面がもこっとしているところを探すんだよ」とアドバイスをもらっていざ出陣。いっぱい持ち帰れるように袋もいくつか用意した。なのに、現地に着いていくら歩きまわっても、もこっとしたところが全然見つからないじゃないか!たけのこを次々と見つけ、さくさく掘っている人も周りにたくさんいるというのに。

そもそも今回のたけのこ掘りは、大学が管理している緑地保全のためのイベントだった。この緑地は雑木林として学校が維持・管理し、研究にも使用しているのだが、竹林も点在しており、雑木林が竹林に取って代わられることが危惧されている。だから、竹に薬剤を注入して枯らしたり、適宜切って竹炭として使ったりしているらしい。たけのこ掘りも、竹林拡大防止の小さな一端を担っている。

ではなぜ、雑木林から竹林へと変化するのがまずいのか。それは、雑木林とそこに住むいろいろな動物、昆虫、他の植物たちが構成する生態系が崩れてしまうからである。竹は元々は中国からの外来種。成長が早いため、手入れをしないとどんどん分布が広がる。そして竹は背が高いため、竹よりも背の低い植物たちは少ない光しか得られず枯れてしまう。さらに竹林の土壌は固いため、棲みつく動物も少ないらしい。よって竹林の拡大防止に取り組まなければ、雑木林とそこに見られる動物や植物の多様性が失われてしまうのだ。しかしかといって、竹を1本残らず取り除いてしまうのも生態系にとってはよくないらしい。バランスが重要ということなのだろう。

外からの侵入物によってもともとそこにあった固有のものが失われていく現象は、自然に起きるだけではない。環境保全のための植林活動でも同様のことが起こりうる。小笠原諸島で実際にあった話。環境を保護するため、小笠原諸島で生えているのと同種の九州地方で育てた木を植林したところ、互いの遺伝子が大きく異なっていたことから交配できず、さらに九州から来た遺伝子が小笠原諸島固有の遺伝子に置き代わってしまう危険があると判断された。そして結局植林した木を伐採し、芽が出た実生も抜くこととなったという。植林もうかつにしてはかえって逆効果というわけだ。
たけのこGET!

こんな話を聞いていると、植物は分かりやすいくらいに弱肉強食になっているなと感じる。自身の持つ遺伝子や構造がより環境にマッチしたものが生き残っていく。人間の場合、少し事情は異なる。短期的には弱肉強食も生き残れるように見えるが、強いだけでは生き残れない。人間は高度な社会性と認知能力を備えているがゆえ、利他行動をするよう進化して生き残ってきた。つまりは、持ちつ持たれつの関係を前提として行動できる者が生き残れるというわけである。進化心理学の視点から見れば、自分の強さだけで生き残ろうとする者はいずれ自滅するか駆逐される。

たけのこ掘り、私は見つけるのも掘り出すのも一苦労だった。でもとても楽しかった。慎重にあちこち歩きまわって、たけのこの頭がひょいと出ているのを見つけたときはとても嬉しかった!しかも採りたてのたけのこは新鮮で、今まで食べたどのたけのこよりもおいしく感じた。残りのたけのこで、煮物やたけのこご飯も作ってみようと思っている。



参考:ひなたブック 首都大キャンパスの松木日向緑地ハンドブック